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4次・5次希望バス、新しい連帯運動の開始

[派遣美術-現場美術]釜山に発つ希望の旅程(6)

シン・ユア(文化連帯) 2017.09.07 18:06

希望バスを派遣美術という大きな構図で見よう。 派遣美術チームは現場に自らを派遣する人たちの集まりで、 彼らは派遣に行ったところで自分たちの才能とできる全てのことを連帯にする。 希望バスの乗客はすべて派遣美術チームだと考えて、 彼ら1人一人の連帯が活動につながり、大きな構図の希望バスが作られたのだ。

8月27日の4次希望バスはソウルだ。 対国民提案記者会見をして、討論会もした。 「整理解雇の闇を破って走れ、希望バス」 そして韓進本社を圧迫するパフォーマンス、「趙南鎬の詰まった耳をかっぽじれ」は 多くの人々に楽しみをもあたえた。 ラバーカップを利用したパフォーマンスはその後の記者会見でリサイクルされた。 ソウルにきてくれという希望バスの叫び、そして連帯が連帯を作るという基調にふさわしく、 全国の闘争事業場の労働者たちが共同闘争団を設置して連帯を作り出した。

「塩の花共同闘争団」という名前をつけ、記者会見で闘争事業場労働者の連帯により今は政府に直接要求し、 韓進重工業整理解雇問題をはじめ、闘争事業場事態を解決し、進展させるという闘争方向を明らかにした。 「われわれは個別に追い出され、一人一人が追い出されたが、いまや一つになって立ち上がる」、 「一人の苦痛、一人の運命、一人の絶叫、一人の決断で、みんな固く団結する」と宣言した。

清渓川に集まった希望バスの乗客は、光化門交差点で警察の車壁に塞がれ、 迂回道路の西大門側に移動して独立門公園で夜を明かした。 ここで私たちはまた楽しく遊んだ。 次の日の朝、青瓦台が見える仁王山の頂上に登り、大型横断幕を張って整理解雇撤回を叫んだ。 独立門で朝をむかえた希望バスは、竜山区の葛月洞にある韓進重工業本社前に向かい、 そこに集まった人々は警察の放水銃と正面から闘った。 スチロールで作った整理解雇の壁をたたき壊すパフォーマンスをして、 警察と対峙して整理集会をして帰った。

10月8日の5次希望バスは、また釜山に走った。 警察の対応の強度はさらに強かった。 一般バス乗客の影島進出を防ぐために身分証検査をして参加者を探したり、 再びデモ行進した市民を無作為に連行して行ったり、 絶えず催涙液と放水銃を発射しながら威嚇した。 その上、高速道路の料金所で希望バスを止め、釜山に入れさせないとして通行そのものを封鎖した。 釜山駅につながる道は険しく、私たちは集結地を南浦洞のBIFF広場に決めてそこで文化祭を開くことにした。 ちょうど釜山国際映画祭のイベントで多くの人がこの広場に集まっていて、 映画人宣言に参加した1543人が希望バスに参加することにしたことにより決めた場所だった。 映画人たちは叫んだ。 「キム・ジンスク、彼女と映画を見たい」。 南浦洞のBIFF広場の夜はまた楽しい大騒ぎの夜になった。

派遣美術チームは民芸総の釜山事務室を借りてクレーン85号の造形物を作り、BIFF広場に設置した。 人々と共に作るクレーンは、5次希望バスの夜を守ってくれた。 5次希望バスの仕上げは翌日、釜山駅広場でCT85という人間文字を書くことを最後に解散した。 希望バスが5回走って得たものは、整理解雇の問題が誰かの問題ではなく、私たちすべての問題だという認識の拡散だ。 韓進重工業会長の趙南鎬(チョ・ナモ)は国会聴聞会に出て行かなければならず、 国政監査も受けなければならず、 彼らの整理解雇が絶対に正当化できないという事実、 そして韓国の大部分の整理解雇が使用者側の不当な行為だという事実が社会的な共感を得た。 しかしこの時まで、何も解決しておらず、 闘争のための祭りを作る努力は準備チームにとっては苦しい時間だった。

1泊2日、実際は無泊2日の希望バスに乗ったが、帰り道は一度もまともに覚えていない。 気絶するように目をとじて芽を冷ませば、釜山出発、即ソウル到着で、 ソウルに到着して家に帰る道はいつも何の記憶もなかった。 夢遊病の患者のように、ただ家に帰った。 2次、3次、4次、5次… 回数が増えるほど召喚状が飛んでくる回数が増え、 召喚に応じない企画チームの人の一部は手配され、身動きできない身分になった。

キム・ジンスクがクレーンに上がって300日になる日が近付き、 5次希望バスからあまり長い時間が過ぎていないが、 300日文化祭は釜山とソウルに分けて進めることにした。 11月1日、300日になる日に私たちは「希望BUSと書いてブースと読む」という名前のラジオ・ブースを韓進重工業本社前に設置した。 毎日午前6時から夜12時まで、リレーで行うラジオ生放送だ。 誰でもゲストとして参加することができ、誰でも自分の声を話すことができた。 その間、11月9日に韓進重工業使用者側と労組の妥結の知らせが聞こえてきて、 キム・ジンスクはそうしてクレーン85号高空籠城から309日目に地面に降りてくることになった。

韓進重工業に行く希望バスはこうして終わったが、 それから密陽で、蔚山で、大田で、江汀で、さまざまな名前の希望バスで全国的な連帯を続けていった。 闘争の、連帯の新しい方式が作られたのだ。 もうひとつの名前の希望バスに乗った派遣美術チームの話は続く。

付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にものせられました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-09-10 23:31:43 / Last modified on 2017-09-10 23:39:48 Copyright: Default

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