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「解雇は殺人だ」

[派遣美術-現場美術]釜山に発つ希望の旅程(2)

シン・ユア(文化連帯) 2017.08.14 17:07

かなり遅い時間に到着したわれわれは、 韓進重工業労組のパク・ソンホの案内で造船所の中を見て回った。 家族対策委があるテント座込場と85号クレーンが見える。 35メートルのクレーンにはキム・ジンスクが手を振っている。 そのそばには「さらに強い挫折と試練にも勝ち抜いた。 一緒に生きて、必ず生きなければならない」と書かれた大型横断幕がかけられ、 クレーンの中央には「整理解雇撤回クレーン座り込み99日」と書かれている。

急いで準備してきた横断幕を張って、15メートルの大型横断幕を地面に広げた。 小さなイメージを大きく出力したので解像度が低い。 私たちは染料を持ち出して絵に色を重ねることにして作業を始めた。 鮮明になった横断幕をクレーンにかけるために皆が力をあわせた。 影島は島なので、四方がすべて海だ。 だから風が強い。 途方もない風の抵抗を受けながら引き上げた横断幕が85号クレーンにかかる姿は、 まるで龍一匹がうごめきながら座り込むようだった。

造船所の工場の中には鉄のかけらが転がっていた。 ナ・ギュファンは彫刻家で、鉄の作品を作る。 そのため溶接をして何かを作ってみようと考え、鉄のかけらを集めた。 造船所の労働者たちは溶接には自負心があったし、皆、溶接はこうする、ああすると言いながら、 互いに技術を誇った。 85号クレーンの下の空間で溶接を始めた。 危険に見えたりもしたが、次第に形になっていくのを見守っているのはおもしろかった。 完成した鉄製の造形物は、85という数字だ。 クレーンの数字を作ったのだ。 鉄の造形物の周辺に安全帽を設置して、巨済島で作った疲労は「甲」のためだという横断幕を付けた。 珍しくて面白かった。

溶接の火花が四方に飛ぶ片隅ではイ・ユニョプ作家が絵を描く作業をしている。 キム・ジンスクの高空座り込みを支援するために作った座り込みテントに絵を描いているところだ。 そして皆は労働者の象徴でもある軍手を長いロープにつないだ手袋ロープを85号クレーンに持ち上げて、ぶらさげた。 万国旗がはためくように労働者の手が空で揺れる。 作業は深夜まで続いた。 100日を迎え、私たちの素朴な祭りの準備を終わらせ、みんなへとへとになって宿舎に移動した。 宿舎は工場の労働者たちの宿舎として利用される職員のサービスエリアだ。 大工場に入ったのも初めてで、彼らの空間で眠るのも初めてなので、 全てが珍しく思うだけだった。

2011年4月15日、韓進重工業の85号クレーン高空籠城100日になる朝、 天気も良く気持ちも良い日だった。 キム・ジンスクはクレーンの上でまたどのような朝を迎えたのか気になった。 彼女は活気に満ちて手を振り、私たちに挨拶をしたし、大きな声で 「会えてうれしいです。良く寝ました」と叫んだ。 前日の作業を見ていた彼女にも、私たちの連帯が小さな希望になったことが分かった。 前日終わらなかった作業を終わらせて、われわれはソウルに戻った。 ソウルに戻ったわれわれは、チョン・テギョンの写真をビラにして、あちこちに配りながら、 韓進重工業の整理解雇問題とキム・ジンスクの話を世の中に知らせ始めた。

そんなある日、コルト・コルテックのギターを作って解雇された労働者たちが毎月開く水曜文化祭に参加するために弘大に行った。 ソン・ギョンドン詩人と双竜自動車解雇労働者イ・チャングン、そして人権活動家基線のキソンが一緒に茶を飲む場があった。 派遣美術チームが韓進重工業に連帯した話を始め、近付いてくる129日目をどう連帯すればいいのかについての話がやりとりされた。 われわれは希望列車に乗ってみんなで釜山に行けば良いといった。 それと共に美術家たちが彼らの才能を疎通の道具にして現場に訪ねて行ったように、 双竜自動車の解雇労働者たちが韓進重工業の解雇労働者を訪ねて行けば、 どれほど良い絵になるかと当事者連帯を提案した。 この時が希望バスができた初期の議論の場であった。 この時まで、この場が2011年の希望バスという巨大な市民連帯の始まりになるとは考えていなかったようだ。 当事者連帯の提案を受けた双竜自動車労組は、 85号クレーン座り込み129日目に合わせてバスを運行し、 市民に提案することにしたが、さまざまな理由でその時点が遅れた。

また小さな連帯を作らなければならなかった。 129日をそのまま過ごすこともできないためだ。 100という数字も重要だったが、85号クレーンでは129の意味もまたそのままやり過ごすのは難しかった。 キム・ジュイク烈士が越えられなかったが、キム・ジンスクは生きてこの日を越えさせなければならないという恐れがあった。 死の時間を楽しく越えることにした。 文化連帯は懇意にしていたメディア活動家たち(キム・ジュノ、パク・トヨン、キソン、チョン・テギョン)とまた韓進重工業85号クレーンに行った。 始まりが美術行動だとすれば、今度はメディア行動だった。 この間、派遣美術チームが設置した大型横断幕をもうひとつ準備していった。 85号クレーンの前に設置されたイメージをクレーンの後にもう一つ設置しなければいけないという考えだった。 クレーンの下に広げられた横断幕には「解雇は殺人だ」という文字とイメージがある。 広げられた横断幕を見ると、何かをしたくなった。 韓進重工業の組合員たちと横断幕の上で写真を撮る遊びをした。 横断幕イメージにある人をまねして、スローガンを叫ぶ遊びだ。 初めは照れくさかった組合員たちが、一人二人と参加する。 クレーンに上がったチョン・テギョンは格好良く写真を撮ってくれる。 こうして互いに関心を見せながら、少しずつ親しくなり始めた。 二回目の出会いだからか、いつしか親しさも感じられた。

メディア活動家たちはレーザーで文字を書ける多様な装備を準備していて、暗くなる時点に85号クレーンの柱に「解雇は殺人だ」と何十回も書いたり、 私たちはあなたと一緒にいるという意味で可愛いハートの形を描いたりもした。 クレーンで座り込みをしているキム・ジンスクは、レーザーで書いた文字を見て驚いたり遠くから両手を頭に上げてハートを送ってくれた。 「生きていられる」。 しばらく安堵のため息をついてみた。 この間、派遣美術チームがかけて行った懸垂幕の絵を背景にして写真作業をして、 韓進重工業の組合員たちに過去の闘争発言を集めてくれと言った後、 これらを映像で再編集する作業をした。 このようにして作られた映像物を韓進重工業工場の建物をスクリーンにして上映した。

「笑いながら楽しく最後まで闘争!」 キム・ジンスクといえば思い出す言葉だ。 恐らくこの言葉がキム・ジンスクを生かした言葉であり、労働者たちを団結させた言葉であり、 全国の市民が影島造船所まで希望を込めて来させた言葉でないだろうか。 メディア活動家たちの夜間作業があった85号クレーン座り込み129日目の夜、 造船所の労働者たちは文化祭を開き、クレーンの上のキム・ジンスクはマイク越しに造船所工場いっぱい鳴り響くように叫んだ。 「笑いながら楽しく最後まで闘争!」 [続く]

付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にものせられました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-08-19 16:29:28 / Last modified on 2017-09-10 23:36:54 Copyright: Default

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