本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:[派遣美術-現場美術]釜山に発つ希望の旅程(3)
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1503129363658St...
Status: published
View


ワハハ希望バス出発

[派遣美術-現場美術]釜山に発つ希望の旅程(3)

シン・ユア(文化連帯) 2017.08.17 10:34

2011年6月11日、いよいよ希望バスがエンジンをかけた。 希望バスは誰でも乗ることができ、何よりも解雇労働者が別の解雇労働者と連帯して、 私たちが私たちと連帯するバスにしようという趣旨から出発した。 労働者たちが闘争に苦しみながら生きる道を模索するのに戦々恐々としていた時期だったが、 解雇労働者が解雇労働者と連帯することこそが共生だという信念で、希望バスに始動をかけることにした。

希望バスを準備する人たちは、派遣美術チームが韓進重工業を訪問した時に撮った写真を集めてウェブポスターにして、 参加するすべての所にメールで回し、友だちと一緒に行き、電話もして、メッセージも送った。 出発はどこにして、地方から来る人はどうすれば会えるのか、 移動バスはどのように計画して、バスの中では何をするべきか、 釜山に到着したら影島韓進重工業までどう移動するのか、 キム・ジンスクがいるクレーンの前では何をするのか、 そして夜が明けたら、また私たちはどうするべきか…。 出発前に考えるべきことは本当に多かった。

バスを調べて、視覚イメージを作る人を調べて、楽しく連帯できるプログラムを考えて、 さまざまな段階を経てあっという間に話は拡大した。 「希望バスに乗りに行きます」という公開提案文が発表された。 その後、どう時間が過ぎたのか、私は分からなかった。

すべてが楽しくて大変だった。 何もない状況から全てを作り出さなければならなかった。 どんな金で車を借りるのか? 参加費を集めよう。バスを借りるのにいくらかかるのだろう? 食事はどうする? 個人が各自食べることにしよう。 どこで眠るのか? 野宿すればいいじゃないか。 気持ちで同意する人がくるだろうと言っていたのだが、本当にそうだった。 インターネットに作ったカフェには一日もおかずに人々が入会申請をしてきたし、 良い企画をありがとうという激励の意見も書いてくれた。

希望バスの申し込みを受けつけながら、一緒に準備した友だちの中で賭けをすることもした。 何台の希望バスが出発できるのか、事前に申し込みせずに当日現場に来る人々はどれくらいになるのか。 たくさん人が来たら、足りないバスはどうするか、等等。 楽しい心配が準備する間中、ときめきを与えたりした。 全てが冒険だったし、全てが不確かな状態だった。

6月11日が近付くと、希望バスの申込みは毎日増えた。 2台が3台に、3台が4台に、一日に一台ずつ増えるのを見て喜んでいる頃、うれしい知らせらが聞こえてきた。 文正鉉(ムン・ジョンヒョン)神父が朝ごはんを作ってくれる、 カルビ連帯から数百人が食べられる肉を送ってくれる、 派遣美術チームはイメージを作ってくれる、 音楽をする人は公演を自ら要望する。 文人たちは言論に寄稿文を書いて、本も寄付し、 メディア活動家は映像制作の後援をし、写真作家は写真を撮ってくれるという。

進んで広場を作る人々は、食事に悩まなくても良く、 プログラムに悩む必要もなかった。 人々は集まって、進んでプログラムになって、食事になって、希望になった。 働いて、こんなに楽しいのは本当に久しぶりだった。 いや働くという感じよりも楽しい遠足を準備する子供のようだった。 準備するすべての気持ちがそうだっただろう。

いよいよ希望バス搭乗日。 人が来なければどうすればいいのだろう。 バスが余ったらどうすればいいのだろう…。 不確かな心配は取越苦労に過ぎなかった。 6月11日午後6時30分、市庁にある才能教育労組の座込場には私たちにも理解できない一群の美しい人々が集まり始めた。 必ず遅れて来る人がいるので、最後の一台の車は少し遅く出発しようといったが、 人々は妙なほど早く到着して三々五々、楽しい出発を待っていた。 皆がきれいで、明るくて、楽しい顔だった。

希望バスのコンセプトは「楽しく遊ぼう」、希望バス担当者の名前は「ワハハ」だ。 楽しい笑い声だ。 バス担当者の標識は三角帽をかぶることにしたが、最初、三角帽のアイディアは気に入らないと反対する人々もいた。 滑稽でおかしな姿がカッコ悪いという理由だった。 だが論議の末にバスの車掌はワハハ三角帽をかぶることにした。 ぎこちない笑いでも、労働者たちの顔には嫌ではない笑いが広がる。 ワハハ三角帽は1次希望バスの象徴でもあった。

希望バスを象徴するピンクのハンカチは、色を決めるために長い時間考えた。 そして決まった桃色は少数者の色であり、多様性の色だ。 性的少数者の色の虹は6色だ。 初めは8色から出発したレインボー・フラッグは、さまざまな理由でピンク色と藍色が排除され、結局現在の6色で使われている。 この時、最初に排除されたのがピンク色だったという話を聞いて決めた色が桃色だった。 社会的排除を全身で感じている当事者なら、誰もが桃色の旗を掲げたかったし、 曇った桃色ではなく鮮明な桃色を使いたかった。 それで作られた希望バスのハンカチは、その後イ・ユニョプの多様な版画作品としてデザインされ、 6次希望バスまで続き、ある人はこのハンカチを集めるのがおもしろいと話した。 今考えても素敵な選択だったと思う。

釜山に行くバスの中では搭乗者と互いに挨拶をする時間を作った。 私はなぜ希望バスに搭乗して、何をしている人なのか、それぞれ自己紹介する時間だ。 解雇問題が別の誰かの問題ではなく、自分の問題だという考えでバスに搭乗した人々が多かった。 ある人はただ好奇心で、ある人は連帯方式に同調して新しい方式に対する好奇心で搭乗したとも言う。 長い時間の運行で事前の準備に気を遣い、非正規闘争や解雇闘争関連の映像とキム・ジンスクのイメージ映像を上映した。 すでに知っているだろうが、希望バスが釜山に行く理由を充分に伝えたかった。

希望バスはソウル、全州、順天、水原、平沢などから分れて出発した。 夜12時を過ぎて到着した釜山影島。 影島橋を渡った瞬間、妙な圧力と共に重い責任感が押さえ付け始めた。 750余人の参加者は影島区峰来市場の近くでバスを降り、 すぐにキャンドルを持って韓進重工業方向にデモ行進を始めた。 デモ隊は水の流れのように韓進重工業正門方向に流れた。 初めて道路に入った時、警察は「不法集会」だと放送をしてデモ行進を止めた。 白髪の白基玩(ペク・キワン)先生はデモ行進の隊列の一番前に立っている。

デモ行進の車からは詩の朗読とスローガンをしてくれる人を事前に交渉していた。 だがデモ行進が始まる頃、交渉していた人がデモ行進の開始時間までに到着できず、 結局マイクを持つ人がいなかった。 そばでいらいらしていた私に誰かがしばらくやってくれと言って渡されたマイクで、 私はシュプレヒコールをあげた。 生まれて初めてのシュプレヒコールの歌い始めだった。 その当時のぎこちなさは、今考えても顔が赤くなる。 ぎこちなさを笑いでごまかそうと、へらへらした私のシュプレヒコールはマイクを通してキャンドルを持つ人たちにそのまま伝えられ、 後で知ったのだが白基玩(ペク・キワン)先生がずいぶん怒っていたという。 いったい誰があのようにいたずらっぽくシュプレヒコールをするのかと…。 今考えても粗雑な行動だった。 そのために宣伝カーのマイクを持った主導者として罰金まで払うことになったのだ。[続く]

付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にも掲載されました。 また希望バスの話は2011年と2012年に各メディアに筆者が寄稿した文の一部を編集したものです。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-08-19 16:56:03 / Last modified on 2017-09-10 23:37:47 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について