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東豆川のエジプト女性難民、モナ

[3・8世界女性の日特別企画(5)]エジプト民主化のために戦った医療支援活動家、難民認定を受けられない韓国

ユン・ジヨン、ウン・ヘジン記者 2020.03.08 18:45

〈3・8世界女性の日特別企画〉

(1) 東豆川、トッコリマウルには

(2) 基地村の村、洗濯する女性たち

(3) 基地村お母さんとマミー(mommy)

(4) 東豆川、相変らず排除された女性たちの都市

(5) 東豆川のエジプト女性難民、モナ

▲モナ氏(一番右)が韓国にくる前にアラブ女性の権利増進のためのイベントに参加している。[出処:モナ]

また寒波がやってきた2月、暖房がないモナの家に寒気が満ちる。 3人家族のモナが暮らす家は保証金300万ウォンと月家賃35万ウォン。 1年前モナが仁川から東豆川に引っ越してきた当時、 蘆原の難民組織が180万ウォンを支援したおかげで住めるようになったところだ。 彼女の家は東豆川市上牌洞にある。 東豆川市で最も貧しいとされる町だ。 上牌洞近隣の保山洞は、東豆川で難民の割合が一番高い地域だと言われている。

エジプトの軍部独裁に抵抗したモナは2017年4月、 3歳の娘を連れて夫とともに韓国に避難した。 彼女がエジプトを離れてわずか5ケ月後、モナの兄が殺害された。 周辺の知人がエジプトから離れろと説得しなければ、 モナもそのまま逮捕されるか死刑にされていただろう。 兄の死で大きな衝撃と恐怖に苦しみ、エジプトに置いてきた家族への懐かしさも深まるばかりだった。 その上に経済的な困難もモナを病気にかからせた。 結局モナは6か月前、2か月になる子供を流産した。

エジプトを離れた理由

モナが韓国に来た2017年は、 軍事クーデターで政権を取ったアブドゥルファッターハ・エルシーシ政府が執権4年目をむかえた年だった。 モナは当時、エジプトのナイル川にあるワラク島(Warraq Island)で、 医療・教育支援活動をしていた。 エルシーシ政府はこの島をUAEに売るために、10万人の住民を追い出そうとした。 容赦なく家屋を撤去し、反発する住民を逮捕して殺した。 エジプトの人権状況は日ましに後退していった。 国際人権監視機構(HRW)の2019年の世界報告書によれば、 エルシーシ政府の逮捕命令は増加し続けている。 エジプトは2017年基準、全世界で死刑執行6位、死刑宣告3位を記録した。

2011年のムハンマド・ムルシー政府の時までは、モナの活動は危険ではなかった。 アラブの春以後、はじめての直選大統領になったムルシー政府は、 青年・社会団体の活動を支持した。 モナは2013年国際女性運動(Women's Campagin International)の団体から アラブ女性の人権向上のための活動を認められ、表彰された。 しかしムルシー政府は市民の期待を裏切った。 公企業を民営化して、食料品への国家補助金を削減した。 市民の暮らしはムバラク独裁政権の時よりむしろ難しくなった。 ムルシーはデモ隊に実弾まで発砲して弾圧した。 現エルシーシ大統領はこの状況を利用して軍事クーデターを行い、 再び軍部独裁が始まった。

エジプト民主化を戦った難民、韓国での地位

韓国政府がモナの家族に出したビザはG-1(人道的滞留許可)だ。 人道的滞留許可は 「難民協約上の難民の定義には該当しないが、 難民申請者の出身国の情況上、本国に戻ることが難しいと判断される時、 補充的に与えられる地位」だ。 最初は3か月だったビザの延長期間が最近になって6か月に延びただけで、 政府はモナにまともな難民の地位を認めなかった。 ひとまず生きるためにエジプトを離れたが、韓国での暮らしも容易ではなかった。 結局、モナの闘争は韓国でも続いた。

モナと夫のワリードは2018年9月14日、 青瓦台に近い孝子治安センターの前で公正な難民審査を要求して野宿・ハンストを行った。 彼らがハンストに突入した理由は、ビザ延長で発生した出入国管理事務所職員の蔑視と不当な行為のためだった。 二回目のビザ延長期間だった2018年8月、 ワリードは仁川入管に連絡をした。 延長最終日に訪問ができないので4日後に訪問してもいいかを尋ねるためだった。 当時、職員は「かまわない」と答えた。 だが4日後に入管職員がモナの家族に48万ウォンの罰金を払えと通知した。 モナは「私のあやまちではない」、「金がない」と訴えて絶叫した。 結局、職員は結婚書類を提出すれば、娘の罰金の8万ウォンだけでいいように措置するといったが、モナの手中には8万ウォンもなかった。

味気ない韓国での暮らし…相変らず人々を助けたいモナ

2018年にはワリードが腰に怪我をして働けなかった。 モナは生活費のために雇用を探し歩いたが、容易ではなかった。 やっと面接を受けに行ったが担当者は 「大変でできないでしょう」としてモナを採用しなかった。 彼は金を稼ぎたくても稼げなかった。 今は肩の痛みで働くことは思いもよらない。 治療を受けなければならないが、保険がないのでそれも諦めなければならない。

6か月前、モナが妊娠2ケ月だったときに下血が激しくなり、応急室に行った。 だが医療費80万ウォンに耐えられなかった。 結局、道に追い出されたが、彼女にできることはなかった。 彼女を発見した近くの住民がモナを議政府病院に連れて行った。 幸い「議政府EXODUS移住民センター」がモナの医療費一部を支援した。 足りないお金は友人から借りた。 だが結局子供は流産した。 病院では追加で17万ウォンの金を請求した。 流産の衝撃が去る前に、彼女はまずお金を工面しなければならなかった。

モナは妊娠前からよく悪夢を見た。 馴染みのない土地で、彼女は毎日ストレスに苦しんだ。 韓国での暮らしは思ったよりつらかった。 モナの家族の所得は、ワリードがプラスチック製造工場で働いて稼ぐお金が全て。 現在、ワリードの月給は200万ウォン。 しかしワリードの母親がガンにかかり、治療費用を毎月100万ウォンずつ負担している。 また、家賃と管理費を差し引けば、使える金はせいぜい50万ウォンだ。 幸いなのは、韓国移住人権センターが娘のビサンに対し、毎月の教育費30万ウォンを支援しているということだ。 モナの生活費は保健福祉部が昨年8月に告示した3人世帯生計給与選定基準の116万ウォンにも満たない。

モナの願いは娘のビサンが幸福になることだった。 だが彼女がしてやれることは多くない。 写真の中のビサンは、いつもからだに合わない大きな秋のコートを着ていた。 ビサンが持っている一張羅のコートだった。 可愛くて暖かい服を着せたいが、そうしてやらないのが残念だ。 今年5歳になるビサンは、外で走りまわる年齢になった。 だが出て行くとお金がかかるので、大部分の時間を家で過ごす。 韓国で暮らし始めて2年半以上の時間、モナの家族は一度も服を買ったことがない。

モナはエジプトで4年間、医科大に通った。 彼女はエジプトと同じように、医療技術分野の勉強を終えて研究員になるのが夢だ。 コロナウイルスのように新型ウイルスが発生する時、 ワクチンを研究する仕事をしたい。 まず韓国語の勉強をしたくて、うわさをたよりに韓国語学科がある大学を捜したが、 登録金が1年で500万ウォンを超える。 結局、モナは教会が運営するハングル教室とユーチューブの動画を見て、 韓国語能力試験(TOPIC)の準備をすることにした。 まだ第一歩に過ぎないが、これから非営利組織を作って苦しんでいる人を助けたいという夢に少しずつ近付こうとしている。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-03-31 09:12:42 / Last modified on 2020-04-04 12:50:58 Copyright: Default

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