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基地村のお母さんとマミー(mommy)

[3・8世界女性の日特別企画(3)]排除された女性たちの都市

ユン・ジヨン、ウン・ヘジン記者 2020.03.05 08:04

〈3・8世界女性の日特別企画〉

(1) 東豆川、トッコリマウルには

(2) 基地村の村、洗濯する女性たち

(3) 基地村お母さんとマミー(mommy)

(4) 東豆川、相変らず排除された女性たちの都市

(5) 東豆川のエジプト女性難民、モナ

▲トッコリマウルの遊興酒屋と各種のクラブ[出処:ワーカーズ取材チーム]

マミー(mommy)とお母さん

夜になるとトッコリマウルにひとりで残される子供たちがいた。 お母さんが仕事に出ていくと、彼らは村の住民たちの手に預けられた。 村の女性たちは基地村女性の子供たちの世話をして金を稼いだ。 子供たちは保母のような住民たちの言うことをよく聞いた。 その子供たちももう年を取って、五十を遥かに越えた年齢になっている。

トッコリマウルの住民、イ・スノク(78)氏は1962年にこの村にきた。 当時、彼女は今しがた結婚式を終えた20歳の若い新婦だった。 イ氏は28際になる竜山第8軍に所属する軍人と結婚をした。 そして夫の勤務地が東豆川に変わり、姑、義理の弟と共にトッコリマウルに移住した。

ここに引越してきた後、3年間は病気の姑の看病をした。 いつのまにか4人の子供も産んだ。 夫が軍人なので暮らしは苦しくなかったが、夫の稼ぎだけで4人の子供を育てるにはいつもお金が足りなかった。

イ氏は住んでいた家をいくつかに分けて5つの小さな部屋を作った。 そしてその部屋には基地村で働く女性たちが入って住んだ。 キャンプホビーの前の基地村通りが一年365日不夜城だった時であった。 イ氏は基地村の女性たちから5千ウォンの家賃を受けた。 女性たちは夜になるとキャンプの前の繁華街にある「ホール」に出勤して接待をした。 そして夜が深ける頃、米軍と共に月貰部屋に戻った。

姑が死んだ後、イ氏は本格的に仕事を始めた。 当時トッコリマウルの女性たちは自分の家に家賃を払って暮らす基地村女性たちの家事をして金を稼いだ。 イ氏も彼女らの家事をして金を稼いだ。 家事と共に子供を預かることもあった。 ある日は生まれて百日の子供を抱いた女性が彼女の家に入ってきた。 米国で子供を産んだが結局またここに戻ってきた基地村女性だった。 イ氏はやっと百日になる子供を引き受けて育てた。 子供が五歳になるまで彼らはイ氏の小さな部屋で暮らした。 子供は自分のお母さんを「マミー(mommy)」と呼び、 イ氏を「お母さん」と呼んだ。 実の母に怒られると、その子供は枕を抱いてイ氏の部屋の扉をたたいた。

花棺

米軍に人気のある基地村女性は、家事労働費を家主に支払う程金を稼いだ。 それで金が必要な外地の多くの若い女性がここに駆けつけた。 米軍と会って米国に行くために基地村に入ってきた学生もたまにいた。 だが彼女らのほとんどは暮らしが苦しい人で、稼いだ金をまた実家に送っていた。 金がない女性たちはたびたび家主に金を借りた。

前の家主にお金を返さなければならない女性は、 今住んでいる家主にまた金を借りた。 イ氏の家に住んでいた基地村の女性たちは、休む暇もなく働いた。 運が良ければ三、四人の米軍を連れてくることもあった。 米軍が泊まって行く時は20ドルを、夜の時間だけなら10ドルを受けた。 その金がそのまま彼女らの金になるのではなかった。 女性たちは米軍から受けとった金を全て抱主に出さなければならなかった。 抱主は毎月一定金額を差し引いた後、女性たちの分を支払った。 抱主がいくらピンハネしているのかはわからなかった。 金を払わないこともたまにあった。

70〜80年代の基地村の繁華とは対照的に、基地村の女性たちの人生はいつも不安だった。 さまざまな威嚇と暴力にも露出した。 米軍が金を払わず、もめる過程で殺された女性もいた。

トッコリマウルでは、ときどき人が死んだという知らせが聞こえてきた。 村に住んでいる人が死ぬと、基地村女性自治体のタンポポ会が花棺を作って埋葬地に運柩した。 花棺には白い紙の花がいっぱいつけられていた。 白い喪服を着て花棺を持ったまま、キャンプ ホビーの前を回る姿は壮観だった。

村では大小の犯罪が昼夜起きていたが、米軍を処罰できる人は存在しなかった。 問題を解決できるのは米軍憲兵だけだった。 だが犯罪を行っても部隊に入ると、誰が犯人なのか知る術がない。 公式に解決する方法がない住民たちは、非公式な報復を敢行した。 村の青年たちは「青年防犯隊」という組織を作り、 犯行を犯した米軍を路地に引きずりこんで暴行した。

商圏が繁華で裏金があふれる村なので、たびたび醜い事件も起きた。 ある時は「ヤンキー物」という米国の産物を販売する男性が、妻と一緒にナイフで刺されて死ぬ事件が発生した。 今はありふれたミックスコーヒーさえ、米軍と結婚しなければ買えない物で、 米軍から物を受け取って転売する商売人が満ち溢れていた。

無法天下の町だったので、日が沈めば子供は外に出ることができなかった。 上の子供が中学校に入る頃、イ氏はスンデ屋で仕事を始めた。 だが3か月で仕事をやめるしかなかった。 彼女が出勤した後、若い男たちが家の塀をのり越えようとしていたという話が聞こえてきたためだった。 イ氏をはじめ住民たちは、必要なことはできるだけ昼間に解決しようとしたし、 夜に急に必要なことがあっても、子供たちには絶対にお使いをさせなかった。

▲トッコリマウルに建設されたLNG複合火力発電所[出処:ワーカーズ取材チーム]

毀損された村

全国から人が集まるほど繁華だったトッコリマウルは、80年代になると衰退の道をたどった。 特に2004年のイラク戦争の時にここの駐韓米軍が出ていき、村の商圏も完全に衰退した。 生きる道がなくなった基地村の女性たちと商人は一人二人とここを離れた。

こうして衰退した村に2012年、LNG複合火力発電所が建てられるという知らせが聞こえてきた。 賑やかだった時、村に不動産投資をした人たちにとっては朗報だった。 施行社は坪当たり1万5000ウォンもならない土地を100万ウォンで買うと言って人々をあおった。 だが、まさに村人たちは発電所の設立に反対した。 それは村の前の東豆川と山や木、そして花を勝手に傷つけるものだった。

2013年、村の女性や老人たちは、発電所の工事現場に入ろうとする建設車両を夏の間ずっと昼夜なく防いだ。 工事現場の前に作った座込場で熱い日差しに耐えてその年の夏を過ごした。 座込場で眠り、梅雨で流されそうになることもあった。 警察が鎮圧を試みるときは、全身に人糞を浴びせて抵抗した。 四肢をつかまれて身動きできない状態で連行された。 発電所の敷地の地主と一部の住民は、彼らの戦いを非難した。

結局、2015年、トッコリマウルが属する光岩洞一帯の25万6500m2の土地に LNG複合火力発電所が竣工した。 施行社は発電所設立の代価として32億5000万ウォンを村に支払った。 この金で住民委員会は村の企業洗濯工場の「オレンジラウンドリー」を作った。 だがこの工場はまた別の議論を生んだ。 2016年、洗濯工場の社長と住民委員会委員長を兼職していたA氏の不正事件が起きたからだった。 当時、A氏がペーパーカンパニーを作ってホテルと契約を結んだ後、 洗濯工場に下請に出す方式で収益を上げたという疑惑がふくらんだ。 村は大小の対立に苦しんだ。 発電所側の人と言われる人物が住民委員会の委員長に選出されると、 また村が騒がしくなった。 数十年、兄弟のように過ごした住民たちが互いに反目した。 衰退を繰り返したトッコリマウルは結局、村の共同体まで崩壊してしまった。

外界は彼らの60年の歳月を消した。 トッコリマウルはもう入ることも、出て行くこともできない町になって久しい。 薬局も、病院も、保健所も何もない町には、毎日寂寞感だけが漂っている。 彼らを「マミー」と呼んだ子供たちの声も、今ではよく思い出せない。 それらを覚えている人さえ今は何人も残っていない。 外界はこれ以上、残った者の話には関心がない。 まるで何も起きなかったかのように、本来そんな姿だったかのように。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-03-31 09:12:42 / Last modified on 2020-04-04 12:48:11 Copyright: Default

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