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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『不敗のドキュメンタリー 水俣を撮りつづけて』
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毎木曜掲載・第94回(2019/1/31)

戦後日本の根っこのところから問う

●『不敗のドキュメンタリー 水俣を撮りつづけて』(土本典昭著、岩波現代文庫、2019年)/評者:木下昌明

 もう半世紀もたつのか。わたしは1973年、千駄ヶ谷のどこかのホールで土本典昭監督の『水俣一揆 一生を問う人々』(写真)をみて衝撃を受けたことが、いまでも忘れられない。

 何よりも驚いたのは長机をはさんで、チッソの社長を中心に経営陣がずらり。対面する水俣病患者がこれまたずらり。それを2台のカメラが両側から撮りつづけている。そこで患者が泣きながら切々と語り、時には嘆願して、自らの窮状を訴え、それに社長がボソボソと応答している――それだけなのに、観客は圧倒されっぱなしだ。こんなドキュメンタリーがこれまであったか。

 最近刊行された土本基子と栗原彬が1冊にまとめた土本典昭『不敗のドキュメンタリー』を読んでいて、あのときの感動がよみがえってきた。

 土本は2008年、79歳で没して、すでに10年の時がたっている。だから、いまさら土本のドキュメンタリー論でもあるまい、という見方もあろう。しかし、この本を読んで再認識したのだが、戦時下の亀井文夫のドキュメンタリー精神に学び、それを戦後に生かした土本の映画論には教えられることが多々あった。

 犠呂痢嵜緞鵑暴于颪Α廚痢嵜緞鵐痢璽函廚鬚呂犬瓠↓蕎呂痢嵒塲圓離疋ュメンタリーをめざして」の「逆境のなかの記録」などの諸論は、当時土本が映画を撮りつつ、その合間にあれこれ悩みながらかいたもので、現場での撮影やそれを上映する上でのかれの息使い、その思いが伝わってくる。

 特にかれが水俣を撮りに行った最初の作品。1965年のテレビノンフィクション劇場の一本として『水俣の子は生きている』の制作のために水俣に飛んでいく。が、そこで患児(胎児性水俣病の子)の母親たちから激しい拒絶にあって、自分の正義が「観念の上のいかり」でしかなかったと悟る。かれはカメラマンと二人、途方にくれて船つき場で、海底にみえる茶わんのかけらを撮りつづける――その生みの苦しみをつづっている。そこからさらに5年間、悶々として、今度は患者の人々が厚生省前で座り込み闘争をしているのに参加し、一緒に活動し、逮捕されたりしながら、再び映画の仕事をはじめる。土本はこの患者の人々との「出逢い」をきっかけに、水俣でかれらの生活の場に腰を落ちつけ、患者の「側に立つ」ことを学ぶ。

 このとき土本の手足になったのは未認定患者の川本輝夫で、かれは村々の患者を一軒一軒まわり、聞き取り調査をしていく。土本はその川本の後についていき、カメラを回す。ここから土本と川本のコンビが生まれ、患者とは漁民のことである、といった当たり前の世界がみえてくる。『水俣―患者さんの世界』でのタコ取り老人のシーンはそれを象徴的に表している。かれは患者を撮りつつ同時にかれらを前向きにし、行動にかりたてていく。それが土本のドキュメンタリーの本領なのだ。

 『水俣一揆』で、川本が長机にのっかり、あぐらをかいて、目の前の社長に、おだやかに「あなたの宗教はなんですか?」うんぬんと尋ねるシーンは圧巻である。そこには社長と患者の関係をこえて、裸の人間と人間とが対峙している姿がみられる。社長はしかたなくそれに応じるのだ。

 本の最終章、「映画で出会った川本輝夫との30年」がとてもいい。そこには映画には描かれていない川本との交流が事細かにかかれていて読ませる。また「工作者川本」とともに運動してきた土本の生き方もよく伝わってきて感動させられる。

 土本のドキュメンタリーは、戦後日本の根っこのところから社会のあり方を問うているのが特徴である。かれは水俣病を一公害病としてではなく日本「社会の病理」だと喝破している。その意味では、フクシマの、“原発病”もまた「社会の病理」といっていい。

 現代のドキュメンタリストは、土本の仕事を受けて、この「病理」にカメラでいどんでほしい。

●若い人たちに読んでほしい

     土本基子(妻・発行人)


*水俣の現地取材をする土本典昭さんと基子さん

 土本典昭の新本が出来ました。「若い人たちにドキュメンタリーを知ってもらう」というメッセージを中心に絞りましたので、見やすく面白い本になったと思います。岩波の優れた編集者の田中朋子さんによる編集で、従来ははいらなかった、手がき地図や、海とお月さまの「月の運行表」など、土本典昭の学問的な部分がはいりましたのはよかったと思います。川本輝夫さんについてかかれた文章は、土本典昭のドキュメンタリーの作り方の面目躍如の文章で、小品の「回想川本輝夫」という作品がどのような下地の広さと深さをもって作られたかがわかります。土本典昭の名文に一つです。

 ただ絞ってしまったために、抜けてしまった部分があります。それは社会主義とかコミニズムと 土本典昭の関係です。本ができあがってから気が付きましたが、水俣がなぜアフガニスタンにいったのかという理由が今一つわかりません。それは若い時に土本典昭が文学から受けた、ヨーロッパの精神「自由 平等 博愛」の精神だったと思います。そのことはだんだん、学生運動を通して、土本典昭の中で熟成し、帝国主義くるしめられる植民地を救うという、コミュニズムの国際主義に代わっていきます。その精神が 土本典昭をアフガンスタンに導きます。

 私は学生運動をやっていましたが、土本典昭たちの早稲田の学生運動とは、なにか違うものがあると思っていました。私は、なにか古いものだと思っていました。しかし違いました。それは私たちの学生運動は、速成で、軟弱、土本典昭たちのような、文学的な基礎を欠くものだったと思います。土本典昭たち、早稲田の学生運動の仲間たちの崇高さとは比べようもありません。新日本文学の運動などはすたれてしまいましたが、それをもう一度ほりおこしていくことも必要だと思っています。どうか、素直の気持ちでお読みください。(2019年1月20日)

2/2レイバーシネクラブで『水俣一揆』上映会


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