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「糸の腕輪が緩む日がお母さんが復職する日」

[ヨンジョンのバカみたいな愛](131)韓国サンケン労働者の日本サンケン電気偽装廃業撤回元職復帰闘争の話(1)

ヨンジョン(ルポ作家) 2021.05.13 16:52

[筆者注]5月8日、日本のサンケン電気の偽装廃業撤回・韓国サンケン工場正常化・解雇者復職を要求して闘争している 馬山の韓国サンケンの労働者(金属労組慶南支部韓国サンケン支会所属)のテント座り込みが300日を迎えた。 韓国サンケン労働者の闘争の背景と過程、闘争を選択した理由と心情を読者に伝えたい。

馬山で早朝に食事をしてソウルにくる

4月14日午前。 ソウル市江西区麻谷洞のコナ・ビルの前に到着したワゴン車から 「食い逃げ日本サンケン電気不法廃業撤回」と書かれたオレンジ色のチョッキを着た労働者たちがおりる。 慶南の馬山自由貿易地域(旧馬山輸出自由地域)の韓国サンケンで、 短くても10年、長ければ32年も働いてきた労働者たち(金属労組慶南支部韓国サンケン支会所属)だ。 1月20日、親会社である日本のサンケン電気の一方的な廃業(法人解散)で雇用を失った16人の韓国サンケン労働者は、 日本のサンケン電気の偽装廃業撤回と韓国サンケン工場の正常化、解雇者復職を要求して276日間闘争している。

「いらっしゃい。朝早くご苦労さん!」

先に来ていた上京チームの労働者たちが 馬山から来た労働者たちを歓迎する。

「ほかよりもいいね。」

「はやくしろ!」

韓国サンケンの労働者たちが労働組合の旗を立ててアンプを設置し、 横断幕をつけて集会の準備に忙しい。 春雨が降り、久しぶりに顔を出した日差しはうれしいが、 風がかなり強くて横断幕を持っているのが容易ではない。

▲集会の準備をする韓国サンケンの労働者[出処:ヨンジョン]

「これからサンケン糾弾集会を始めます。 今日もやはり私たちはソウルのコナ・ビルの前に来ています。 不法偽装廃業で韓国の労働者をみな殺しにする不道徳な日本企業、 サンケン電気に抗議する気持ちで、大きな声で喚声をあげましょう。開始〜!!」

「ワ〜〜〜」

初めて集会の司会をするというペク・ウンジュ氏の開会の言葉で集会が始まる。 コナ・ビルの4階にはサンケン電気ソウル営業所があり、 5階にはLGとサンケン電気の合弁会社(電気51%、LG 49%)、 アドバンスパワーデバイス・テクノロジーがある。

オ・ヘジン支会長が突然の都合で上京闘争に参加できなくなり、 役割分担に大きな変化がおきた。 いつもオ・ヘジン支会長がしていた集会の大会発言をキム・ヒョングァン事務局長がすることになり、 キム・ヒョングァン事務局長がしていた司会はペク・ウンジュ氏がすることになった。 これにより、写真撮影と組合員の発言にも変動があった。 サンケン電気ソウル営業所と日本大使館、LGツインタワーの三か所で集会をするので、 発言も司会も3回準備しなければならなかった。 発言をした労働者たちは、準備のためにまともに眠れなかったという。 これからの日程の間、ずっと「ああ緊張する...」という組合員たちの声が絶えない。

各種の特典、甘い汁を吸って逃げた「食い逃げ企業」

「私たちは馬山自由貿易地域で働く労働者です。 馬山自由貿易地域は外国人投資促進法により、各種の税金の特典などを受けています。 こうした恩恵はすべて大韓民国の国民の血税で払われたのではないでしょうか。 そんな恩恵を受けても韓国であらゆる悪いことをしているのが、 この日本のサンケン電気です。」(韓国サンケン支会キム・ヒョングァン事務局長)

韓国サンケンは1973年、 馬山自由貿易地域(旧馬山輸出自由地域)に日本のサンケン電気が100%出資して設立した会社で、 電源装置やトランス・CCFL(冷陰極蛍光管)・LEDなどの電機電子部品を生産してきた会社だ。 これまで韓国サンケンは外国人投資促進法により、 租税・賃貸料減免など各種の特典を受けてきた。 キム・ヒョングァン事務局長は、多くの恩恵を受けたのなら 韓国で良質の雇用を創って維持するべきなのに、 日本のサンケン電気は甘い汁を吸って逃げた「食い逃げ企業」だと批判する。

38年間、サンケン電気は韓国の生産工場である韓国サンケンで7回の希望退職公告をして、 3回の生産事業部撤収を試みた。 2千年代の初期、サンケン電気は産業の展望予測を間違って すぐに斜陽産業になるCCFLの生産を韓国サンケンの工場に配置し、過度な投資をして事業転換に失敗、 2008年のリーマンブラザーズ事態まで発生して大規模な赤字を出す。 会社は労働者の持続的な新規アイテム開発要求を拒否して、 すべての責任を生産職労働者に押し付け、 意図的に「金にならない」事業を韓国工場に配置した。

▲日本サンケン電気ソウル営業所があるソウル麻谷洞のコナ・ビルの前で横断幕を持って集会をする韓国サンケンの解雇労働者[出処:ヨンジョン]

サンケン電気は2016年にも経営悪化を理由に生産部門を廃止して生産職労働者69人を解雇したが、 地方・中央労働委員会の不当解雇の判定と1年間の日本遠征闘争の末に希望退職者を除く16人が復職することになった。 復職にあたり、会社は労働組合と工場の正常化のための諸般の措置をするという合意をしたが、 会社はこの合意を破り、これまで1%の機械生産設備投資さえしなかった。 そして復職して4年になる前に、労働者たちを再び街頭に追い出した。 今回は整理解雇でも生産部撤収でもなく、解散と清算だった。

「会社が労働組合と交渉もせず、仕事がないからと一方的に3か月休業をしていたときでした。 会社が閉まっていて入ることもできませんでしたが、 私たちは毎日会社の前に出てきました。 ずっと休業を続けていいのかと思いました。 そのうちに日本のサンケン電気のホームページを見て サンケンの撤収を知りました。 業界で世界8位の会社なのに、苦しいといい続けているので、 本当に難しいのか思ってずいぶん譲歩しました。 交代しろと言われれば交代して、昼に回れと言われれば昼に回り、 休業しろと言われれば休業して。 10年間、賃金も凍結しました。 しかしそうではありませんでした。 私たちを復職させておいて、裏では天安に他の工場(EK、旧LGチフン)を作り、 じわじわと私たちを整理する準備をしていたのでしょう。」

21歳で韓国サンケンに入社して、 今年で20年になるというイ・ヘミン氏は、まだ廃業が信じ難いというようすだ。 ヘミン氏は「サンケン」という名前が出るだけでも涙が出てくるといった。

▲日本のサンケン電気ソウル営業所があるソウル麻谷洞のコナ・ビルの前で集会をする韓国サンケン解雇労働者[出処:ヨンジョン]

日本に来られない、この時が絶好の機会

昨年7月9日、工場の前で退勤宣伝戦をしていると、 ある組合員が日本のサンケン電気ホームページでおかしな兆しを発見する。 確認してみると日本のサンケン電気の役員会で韓国サンケンの解散を決定したという。 日本本社の動きと休業などの雇用問題に関して、 月1回、労使が雇用安定協議会を開いて雇用についての問題を議論しようと合意をしてから二日後だった。 新型コロナの前から日本のサンケン電気でLEDと電子に関連する事業部統廃合の動きが把握されていて、 労働組合でもモニターを続けている中だった。 会社側に問題提起して説明を要求したが、 会社は韓国サンケンとは無関係な内容だということしか言わなかった。 初めは当時の韓国サンケンのイ・テヨン代表理事も清算の決定を知らなかったと言っていたが、 後で「知らないわけないだろ?」と言葉を変えた。

「代表理事が後で私が知らないわけがあるかと言いましたが、 本当の知らなかったようです。 日本の本社でとても急に決定をしました。 日本の本社が全般的に構造調整をしていました。 日本の現地工場も構造調整をする過程はあったのですが、 そこに韓国サンケンは該当事項ではないと聞きました。 しかし『コロナのために今回は韓国から遠征闘争に来ることができない。 この時が絶好の機会だ、無条件に整理しろ』 そうして突然、清算される工場に含まれたのでしょう。」 (韓国サンケン支会イ・ソニム組合員)

昨年7月15日、会社は勤労関係終了公示文で 「十数年間続いた累積損失により、これ以上、正常な経営が不可能な状況になったため、 2021年1月20日付で廃業(韓国サンケン(株)法人解散)」するとした。 労働組合は経営悪化に関する根拠資料を要求したが、 使用者側は彼らに有利な損益計算書と貸借対照表3年分しか出さなかった。 サンケン電気は年間50億の赤字という韓国サンケンの人員と生産規模を考慮すれば、 可能ではない主張をした。 韓国サンケンの団体協約には 「会社が廃業、縮小、移転などで解雇・減員する時は、 6か月前に労働組合に通知する」と書かれているが、 これを意識したかのように日を正確に合わせて廃業の日付を決めて公示した。

多い時は500〜600人もの労働者がどんどんと辞めて、今は16人が闘争をしている。 多くはない人員だが、サンケン電気ソウル営業所と日本大使館、LG電子、釜山領事館、共に民主党慶南道党などで1年近く闘争をしている。 日本では韓国サンケン闘争を支援する会が結成され、 日本国内のサンケン電気の8つの営業所と本社前で闘争を進めている。

みんな表では笑っているが、 身も心も経済的にも楽ではない。 周辺から、さらに仲間たちも「答がない戦い」と止めたが、 彼らはまた新しい道を作る旅程に踏み出した。

▲日本サンケン電気ソウル営業所の前で発言するイ・ヘミン組合員[出処:ヨンジョン]

「20代の若い年に韓国サンケンの会社に入り、 今では三人の子供のお母さんになりました。 私には20年の青春を捧げて働いた工場です。 私の左の腕には三色の糸で作った糸腕輪が巻かれています。 上の息子がお母さんのために学校の先生と作ったと言って、 三色の糸腕輪を私にプレゼントしてくれました。 そしてこの糸腕輪が切れる日には、良い知らせが訪ねてくると言って、 その日はお母さんが会社に復職する日だと言います。 私たちはこのまま退くことができません。 日本で私たちを支持している多くの連帯団体と110万民主労総組合員たちと共に 糸腕輪が切れる日まで、私たちの闘争は止まらないでしょう。」 (韓国サンケン支会イ・ヘミン組合員)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2021-05-18 16:46:19 / Last modified on 2021-05-18 16:46:22 Copyright: Default

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