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障害者労役闘争、それは市民的不服従だった

重症障害者活動家たち、「権利探しで捕まえると言うなら、いっそ捕まえて行け!」

カン・ヘミン ビーマイナー記者 2012.08.17 14:41

▲障害者運動で罰金を宣告されたが、これを払えない重症障害者運動活動家8人が7日に労役闘争を宣布し、ソウル中央地方検察庁に自主出頭した。しかし検察が拘置所に移送する時、2人の重症障害者が応急室に運ばれ、6人の重症障害者がソウル拘置所に収容された。彼らは3日後に宗教団体の罰金代納などの手続きを取って出所した。

障害者は「犯罪」を行うことはできても、法が定める処罰の労役は受けられな いのか? 障害者の人権保障を要求して戦った重症障害者活動家に罰金刑が下さ れた。だが彼らはほとんど生活保護受給者や貧困層で、罰金を払えなかった。 また「競争と効率」だけを強調する資本主義の市場で労働力を売れない重症の 障害者だった。

しかし罰金を払わない限り、彼らは督促状と差し押さえ状を受け取り、不安な 手配生活で日常を過ごさなければならない。それで『どこに行っても一日に5万 ウォンも稼げない』彼らは、『一日5万ウォンとする拘置所の労役』を選んだ。 しかし労役を選択した重症障害者活動家8人のうち2人はその上、拘置所で一夜 も過ごせず出てこなければならなかった。

生活保護43万ウォンで暮らす仁川ミンドゥルレ障害者夜間学校パク・キリョン 校長(身体障害1級)。パク校長は60万ウォンの罰金刑を受けた。障害等級制廃止 と、国家人権委員会の玄炳哲(ヒョン・ビョンチョル)委員長退陣で、占拠座り 込みをしたという理由だ。

罰金を払えずに手配生活をしていた彼は、8月7日、ソウル中央地方検察庁(以下 検察庁)に自主的に出頭し「いっそ捕まえて行け!」と叫んだ。移動手段がなく、 6時間以上検察庁で待たされたパク校長は、その日の夜、ソウル拘置所への収監 過程で腕が抜け、救急車で病院に運ばれた。拘置所の収監者が彼を車椅子から 立たせ、部屋に移動する過程で彼の腕が抜けたのだ。

パク校長は激しいリウマチ性関節炎を抱えていた。「この状態で収監生活がで きるのか?」と聞く病院の医師の質問に、同行した刑務官は「われわれは専門家 ではないので看護できない」とし、パク校長の収監に難色を示した。診療後、 パク校長はまた拘置所に戻ったが、刑務官たちは彼の電動車椅子を動かす時、 今度は電動車椅子が故障した。結局、拘置所内で移動できなくなったパク校長 は、朝そこから出なければならなかった。

罰金120万ウォンを宣告された恩坪障害者自立生活センターのチェ・ヨンギ所長 (身体障害1級)は、拘置所に行くこともできなかった。7日晩、検察庁側は退勤 時間だとし晩6時に冷房を切った。すでに昼の3時から検察庁に8人の重症障害者 『犯人』が自主出頭したが、検察側は移動手段がなく、あわてた。当時、全国 障害者差別撤廃連帯のイ・サンヨン組織室長は「大韓民国の検察が犯人を護送 する方法を犯人に聞いている」と怒りを表わした。

この過程で、障害のため体温調節ができないチェ所長は、エアコン、扇風機で からだの熱を冷まさなければならなかったが、検察庁はこれを支援しなかった。 結局、暑さにより悪化した床擦れと38度を越える高熱に苦しんだチェ所長は、 応急室に運ばれた。彼が病院にいる間、検察は彼に電話して罰金は分納しろと 言って帰宅するよう説得した。事実上、検察は重症障害者の収監を拒否したのだ。

その後、労役を申請した重症障害者8人のうち6人が実際に収監された。

▲城東障害者自立生活センターのチェ・ジニョン所長が拘置所に収容される時、センターの参加者がチェ所長の安否を心配して送った携帯メッセージ。

この日、労役のために自主出頭した障害者活動家8人は、30万ウォンから最高 120万ウォンの罰金刑を宣告された。彼らは罰金を払う方法がなく、自ら拘置所 に入ったが、収監の過程から出所までの3日間は、重症障害者にとって労役さえ 闘争であることを克明に見せた。

『重症障害者労役闘争』は、障害者という存在がこの社会でどう位置している のかをはっきりと見せた。罪を犯した時、その罪にふさわしい罰を受けること も市民の義務だとすれば、障害者はこれさえ強制的に「剥奪」された。障害者 は、自分が『罰を受ける』いかなる方法も選べなかった。労役闘争をした中浪 障害者自立生活センターのヤン・ヨンヒ所長が指摘したように、国家は「重症 障害収監者の便宜提供をしたくないので罰金刑だけ宣告」したが、社会から排除 され、貧困の最前線に放置された重症障害者は罰金を払えず、罰金の代わりに 労役をすることもできなかった。

重症障害者が出頭した後、検察庁からソウル拘置所に移動する過程も、障害者 への国家の非常識をありのままに見せる。検察庁側は移動手段を見つけられず、 出頭した『犯人』をソウル拘置所に移動するのに6時間ほどかかった。

また、この過程で検察は24時間活動補助が必要な重症障害者に活動補助を提供 せず、食事時間まで活動補助を提供せず、数人の障害者は夕食を食べられなかっ た。検察は初めから障害者活動補助への理解がないように見えた。その上検察 は、移動の過程でも電動車椅子から障害者を分離しようとし、車椅子を乗せら れる警察護送低床バスも、出頭から6時間以上たって到着した。

三日間収容されたソウル拘置所も、重症障害者の便宜提供はめちゃくちゃだっ た。収監された人々の話を総合すると、拘置所に入る過程ほどに、労役生活も 順調ではなかった。刑務官は重症障害者活動補助を同じ部屋の収監者に任せた。 そのため、部屋にどんな人がいるかにより活動補助支援の偏差が大きかった。

『老人2人、障害者1人』がいた部屋を配分された重症障害者は部屋で活動補助 を全く受けられなかった。食事補助もきちんとなされなかった。またトイレは 重症障害者が使うには狭すぎ、使用が難しかった。一坪ほどの部屋には電動車 椅子が入れず、這って生活しなければならなかった。監獄の外で排除された 障害者たちは、監獄の中でさえ排除されていた。

▲拘置所に収監された重症障害者活動家はほとんどが言語障害があり、意志疎通が円滑ではなかった。面会要請時、この部分を考慮して面会時間(10分)延長を要請したが拒絶された。刑務所側は「言語障害ある人の面会時間を増やせばそれだけ他の人の面会時間が減るのでそれは差別」だと答えた。

重症障害者活動家たちは叫んだ。「障害者権利探しが罪か? それなら捕まえて 行け!」。そうして労役を決めたが、まさに彼らを拒否したのは国家であった。 障害者に人間としての人生を認めない国家は、罰を受けるという彼らの労役の 権利さえ弾圧した。

人間の権利が剥奪された。人々は『すべての人に人権がある』と言うが、 『すべての人の人権が保証されている』とは言わない。その例外の空白に 障害者がいる。

しかし剥奪された権利を取り戻す闘争の権利まで剥奪されたわけではない。 いや、あるいは権利闘争のための闘争こそ、権利が剥奪された時にわかる 真の自由人の権利かもしれない。

重症障害者は刑罰を受けろという国家に「そうだ、それぐらい受け入れる!」と 言って出てきた。彼らは今回の労役闘争で国家が重症障害者に加える刑罰さえ、 いかに暴力的で非常識かを見せた。彼らの労役闘争は、国家が加える刑罰を 『受ける』という服従の行為ではなく『堂々と受け入れる』という抵抗の意味 だった。重症障害者が監獄に入ること、それは抵抗であり、闘争であり、その 意味で本当の市民的不服従だった。(記事提携=ビーマイナー)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-08-19 06:17:54 / Last modified on 2012-08-19 06:17:59 Copyright: Default

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