
渡部通信(9/21):
明けない夜はない(331 )<若者を再び戦場に送るな!(81 )
「米価」と「日本イデオロギー」と「神話」>
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私は「明けない夜はない」(311、5月27日)で、
<小泉農水大臣の米価介入と市場について>で、
山片蟠桃(1748〜1821)の『夢の代』からの引用で、
・「徒(いたずら)ニ価ヲサゲテ民ヲ救フト思フハ、病人ニ毒ヲアタヘテ死ニ至ラシムルゴ
トシ」
・「スベテ物価ノコトハ無理ニ賤(やす)キヲ欲スベカラズ。・・・
・・タダ官ニアリテハ物ノ有無ヲハカリテ価ニカゝハルベカラズ。」
ということばなどを紹介した。
そして、「小泉の農水大臣の「コメ2000円」の政府による米価介入は、
歴史の教訓に耐えられるでしょうか」と述べた。
あれから4か月弱、すでに現在「新米奪い合い」「価格つり上げ競争」が起き、
新米は再び4000円を超えている。
7月の参院選では、「日本人ファースト」を掲げる参政党が躍進した。
そして、軍拡・戦争準備が強まる中で、
世の風潮もそれに同調するかのような傾向が強まっている。
戦前、満州事変(1931年)が起き、やはり軍拡が強まる中、
1935年に当時の傑出した唯物論者・戸坂潤は『日本イデオロギー論』という本を書いた。
そこで彼は次のようなことを述べている。
〇日本主義・東洋主義乃至(ないし)アジア主義・其他々々と呼ばれるとりとめのない
一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える。
そしてこの感情によって裏づけられている社会行動は至る処(ところ)吾々の眼に余って
いる。
而(しか)もそうした種類の社会行動は何か極めて意味の重大なものであるかのように、
巨細となくこの世の中では報道されている。
〇・・処(ところ)が実はその内容に這入って見ると殆ど全くのガラクタで充ちているの
である。
そうして当時「日本主義」を唱えていた人物らを具体的に批判し、次のように述べている
。
〇どういう精神主義の体系が出来ようと、どういう農本主義が組織化されようと、
それは、ファッショ政治諸団体の殆ど無意味なヴァラエティティーと同じく、
吾々にとって大局から見てどうでもいいことである。
ただ一切の本当の思想や文化は、最も広範な意味に於て世界的に翻訳され得るものでなく
てはならぬ。
というのは、どこの国のどこの民衆とも、範疇の上での移行の可能性を有(も)っている
思想や
文化でなければ、本物ではない。丁度本物の文学が「世界文学」でなければならぬと同じ
に、
或る民族や或る国民にしか理解されないように出来ている哲学や理論は、例外なくニセ物
である。
ましてその国民その民族自身にとってすら眼鼻の付いていないような思想文化は、
思想や文化ではなくて完全なバルバライ(聞きづらい言葉を話す者)に他ならない。
その後、日中戦争、太平洋戦争をへて、結局、歴史は当時の「日本主義」を破綻させた。
現在の参政党の「日本人ファースト」や、戦前回帰を図る政治家やそれを忖度する学者た
ちも、
結局のところこの「日本イデオロギー」の現代版であり、
その観念的で独善的な考えは、再び冷厳な現実にぶつかり破綻するだろう。
ところで参政党の「新日本憲法」(構想案)には、(教育)の中に。「教育勅語」ととも
に、
「国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道及び政治参加の教育は必修とする」とも書い
てある。
ここに「神話」をも必修とすると書いてあるのである。
しかし、山片蟠桃は『夢の代』の中で、「神話」について以下のように述べているのであ
る。
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日本紀神代巻ハトルベカラズ。願(ねがわ)クハ神武以後トテモ大抵ニ見テ、
十四五代ヨリヲ取(とり)用(もち)ユベシ。シカリトイヘドモ神(じん)功(ぐう)皇后(こう
ごう)ノ三韓国退治ハ妄説多シ。
応(おう)神(じん)ヨリハ確実トスベシ。我日本太古ヨリ神ヲ祀(まつ)リ、祓除(みそぎは
らい)ヲ以テ事トス。
神託・霊異ヲ云(いう)コト、ミナソノ云人ノ語ニシテ実ニアラズ。
コレ我朝ノ一風俗ナリ。スベテ草昧(未開の状態)ノ世ノナス所ナリトシルベシ。
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すでに江戸時代末期から、山片蟠桃は「日本神代巻ハトルベカラズ」と述べているのであ
る。
また、参政党の「新日本憲法」は、その第一条の一に、
「日本は、天皇のしらす君民一体の国家である」と書いてある。
先に見た戸坂潤の『日本イデオロギー論』の「日本主義の帰趨」では、
次のように結論づけられている。
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復古主義に於ける日本主義は、ファシズムの政治権力の意志表示となることが出来る。
皇道主義こそだから、日本主義の窮極の帰一点であり、結着点なのである。
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私たちは、山片蟠桃から約200年後、そして戸坂潤から約100年後。
再び、「ガラクタで充ちている」「ニセ物」の
日本主義(日本イデオロギー)と闘っているのである。
ガラクタは冷厳な現実の前に再び粉々に砕けるだろう。
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