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太田昌国のコラム : 30年近く前のペルー大使公邸占拠事件の「人質」だったひとが遺した仕事 | ||||||
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30年近く前のペルー大使公邸占拠事件の「人質」だったひとが遺した仕事その名を小倉英敬(おぐら・ひでたか/写真=メディアより)という。1951年生まれ。私たちが1980年にボリビア・ウカマウ映画集団の作品の自主上映活動を始めて間もなく、ボリビアの隣国・ペルー在住の未知の日本人から、彼の地の一演劇集団の活動を紹介するチラシやポスターが届くようになった。発信者が小倉英敬とあった。見知らぬひとだ。当時使われていた言葉を使えば、ラテンアメリカ各地で活発な活動を展開していた「民衆演劇」を志すグループのひとつであったのだろう。日本公演の可能性を探ってもらえないかという誘いの言葉があった。映画ならフィルム一本を輸入すればよいが、演劇公演なら大勢の出演者・スタッフの旅費の工面から始めなければならない。即肯定的な返事ができるはずもなかった。小倉はそのころ、1959年のキューバ革命の勝利の後にペルーに生まれた複数の左翼武装組織に関する詳細極まりない分析の論文を日本の左翼雑誌に投稿もしており、不思議な傾向性を持つ「未知の」存在だった。 公開されている経歴によれば、その後1986年に彼は日本国外務省に入省したらしい。中南米局に在籍した彼は、やがて在キューバ大使館に勤務した。私は1992年、初めてキューバを訪れる機会に恵まれたが、ハバナでそのとき初めて彼に会った。キューバ勤務が何年間に及んだのかは知らないが、その後の仕事に反映される、キューバ革命およびチェ・ゲバラの思想と実践に関わる深みのある仕事の素地は、このキューバ滞在期につくられたものであろう。 やがて、在ペルー大使館に転勤し、政務担当一等書記官となった。そこで、彼にとって(関わりをもったすべての人びとにとって、そうだったろうが)その後の人生を画する一大事件が起こった。1996年12月17日、日系人大統領、アルベルト・フジモリ政権下での「在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件」である。この日、大使公邸では、ペルー政府高官、ペルー駐在各国大使、日本企業駐在員、日系人移住者など700余名を招いて、天皇誕生日の祝賀パーティが開かれていた。今は引退した天皇明仁の時代だから誕生日は12月23日だが、ペルーの高官や各国大使を招待するからにはクリスマス祝賀の日程と重ならないように、誕生日パーティの日程を繰り上げたのであろう。占拠・人質事件を起こしたのは、反体制左翼武装組織、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)だった。彼らの要求項目は以下のものだった。フジモリ政権が採用している新自由主義経済政策は民衆に貧困と飢餓を強いる路線だから、中止せよ。日本政府は、このフジモリ政権の経済路線に対する支援をやめよ。獄中にある同志たちを釈放せよ。 事件は長引いた。フジモリ大統領が武力をもって、人質解放・ゲリラ殲滅作戦を実施した1997年4月22日までおよそ4か月間続いた。肝心の小倉は、この4か月間にわたって最後まで大使公邸に幽閉された72人の人質のひとりだった。大使館員としての公務で、パーティの場にいたのだ。事件から半年後、一時帰国した彼とはすぐに会って、いろいろな話を聞いた。 小倉は、事件後、在ペルー大使館政務担当書記官として事件が起きたことへの責任を痛感し、また武力決着で17名の命が失われたことが納得できずに、翌年外務省を辞職した。すでにペルー現代史研究者としての研鑽を積んでいた彼は研究者の道に戻り、神奈川大学などで教鞭をとった。そして著したのが『封殺された対話――ペルー日本大使公邸占拠事件再考』(平凡社、2000年)だ。特筆すべきは、MRTA ゲリラとの対話が克明に記録されていることである。14人のゲリラは、武力決着の際に全員殺された。特殊部隊が邸内を制圧した段階で3〜4人のゲリラが投降し武装解除されたとの目撃者証言が複数ある。だが、終わってみれば、その彼ら/彼女らも生きてはいなかった。その場で処刑されたのであろう。ゲリラの生の声は、唯一、小倉のこの本で記録されたのである。他にも、コロンブスのアメリカ到達(1492年)以降の500年の歴史の厚みの中でこの事態を捉える視点があり、現代ペルーの政治・社会史とその中で展開されてきた社会運動に関する分析などもあって、読み応えがある。この問題についての報道は、事件のさなかには「日本人人質安否報道」に一元化され、また武力決着に関しては、フジモリ大統領の「英断」を礼賛する言論が溢れ出るばかりだったので、小倉の冷静な分析は際立って印象に残るものだった【註1】。 小倉は2017年以降、《グローバルヒストリーとしての「植民地主義批判」》と題する全10巻のシリーズを書き下ろすという壮大な企画に取り組んできた(八王子・揺籃社刊)。第1巻『「植民地主義論」再考――グローバルヒストリーとしての「植民地主義批判」に向けて』(2017年)、第3巻『マーカス・ガーヴェイの反「植民地主義」思想――パンアフリカニズムとラスファタリズムへの影響』(2017年)、第2巻『グローバル・サウスにおける「変革主体」像――「21世紀型」社会運動の可能性』(2018年)、第4巻『1960年代ゲバラの足跡と「1968年」論――「グローバル・シックスティーズ」研究のために』(2021年)までの刊行を終えたところで、病のために帰らぬひととなった。次回配本は第6巻『反日思想の系譜』が予告されていただけに、とりわけ、残念なことである。植民地主義批判を基軸に据えて、近代以降の歴史過程と現代を俎上に載せる小倉の一貫した企図は、私のそれと共通のものを感じ、心強い。 彼の文章には、研究者としては当然なことに資料に基づいた精緻な分析と論理展開が見られるが、その底流には、地球全体を支配するグローバルな「世界システム」の「不当さ」に対する憤りが溢れていて、感情を揺さぶるものがあった。彼が、ラテンアメリカ、とりわけペルーを対象とする一専門研究者の枠を超えて、グローバルな研究視点を持ち得たからこその特徴だったと思う。惜しまれてならない、72歳での早逝だった。 【註1】ペルー日本大使公邸占拠・人質事件に関わっては、私は他にも、ふたりのひとの視点に注目している。確定死刑囚・永山則夫と歌手・中島みゆきである。永山は、収容されていた東京拘置所で、朝日新聞に出た一つの記事に注目した(と推察する)。日本人の人質の安否報道一色に染め上げられたメディアの中にあって、朝日紙には、事件が起こったペルーの社会的な背景を探る記事があり、路上で働く子どもたちが取り上げられた。子どもたちはパン作り、花屋さん、靴磨きなどさまざまな仕事に、助け合いながら共同で取り組んでいた。 極貧の中に育ち、育児放棄されたなどの果てに孤立無援のままに犯罪に走ってしまった自分とは違って、ペルーのこの子どもたちの「協働・共生」ぶりはどうだ、と永山は思ったのかも知れぬ。1997年8月1日、死刑を執行される直前に残した遺言は「自分の印税は、世界の、とりわけペルーの働く子どもたちへ」だった。「永山子ども基金」の活動は、この永山則夫の意思を受け継いで、今日まで続けられている。→ https://nagayama-chicos.com 中島みゆきが1998年に出したアルバム『わたしの子供になりなさい』(ポニーキャニオンPCCA—1191)の中に「4.2.3.」と題する曲がある。これは、日本時間で言えば4月23日に実施されたペルー大使公邸への武力突入を題材にしている。特殊部隊の作戦行動を初めから終わりまで中継した日本のテレビ局の報道は、「日本人の人質が全員無事」と叫ぶばかりだった。ペルーの兵士には死者が出ているのだが、「日本という名がついていないものにならば/いくらだって冷たくなれる」のだから、「この国は危い」と歌っている。 私も、この事件が続いているあいだじゅう、および事後的に、いくつもの発言を行なった。それは『「ペルー人質事件」解読のための21章』(現代企画室、1997年)にまとめてある。 (文中、敬称略) Created by staff01. Last modified on 2025-09-14 17:23:17 Copyright: Default |