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LNJ Logo アリの一言:天皇の「慰霊の旅」はなぜ平和に逆行するのか
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天皇の「慰霊の旅」はなぜ平和に逆行するのか

2025年09月15日 | 天皇と戦争・戦争責任
   

 天皇一家が12日長崎市を訪れ、メディアは「戦後80年に際して戦禍の地を巡った一連の訪問が区切りを迎えた。…訪問先(硫黄島、沖縄、広島、長崎)は30年前、上皇ご夫妻が戦後50年に巡った「慰霊の旅」と重なる」(13日付京都新聞=共同)と報じました。

 恒例化している天皇の「慰霊の旅」。それは天皇を「平和主義者」と描く国家権力による演出です。しかも単なるパフォーマンスではなく、平和と民主主義に逆行するきわめて有害なものです。なぜでしょうか。

 天皇家では明仁天皇(現上皇)以来、「忘れてならない4つの日」を決め、その日に宮中で黙とうしていると言われています。「4つの日」とは「6・23(沖縄慰霊の日)」「8・6(広島被爆)」「8・9(長崎被爆)」「8・15(玉音放送)」です。今回徳仁天皇らが訪れた所もこれに対応しています。

 彼らの「忘れてならない日」はきわめて象徴的です。そこには、「7・7」「9・18」「12・8」「12・13」などは入っていません。「盧溝橋事件(1937)」「柳条湖事件(1931)」「真珠湾攻撃・天皇裕仁の開戦詔書(1941)」「南京占領(1937)」です。

 天皇(皇室)の「忘れてならない日」、「慰霊」する対象はすべて日本が被害を被った(あるいは敗北につながった)日であり場所です。日本の侵略戦争の画期となった加害の日・場所はまったく含まれていないのです。

 それはもちろん徳仁天皇だけでなく、明仁天皇時代からの一貫した特徴です。
 例えば、明仁天皇夫妻(当時)は2015年4月に西太平洋・パラオへ、26年1月にはフィリピンへ「慰霊の旅」を行いましたが、花を供えて頭を下げたのは戦死した日本兵に対してであり、近くにある犠牲になった島民や市民の慰霊碑には目もくれませんでした(写真右)。

 問題は、これがたんに天皇・皇室の歴史認識の無知・欠陥を示すだけではないことです。
 日本の加害に目を向けない天皇の「慰霊」は、侵略戦争・植民地支配の加害責任の隠ぺいを図る歴史修正(改ざん)主義と一体となって、日本人の歴史認識に重大な歪曲・偏狭をもたらしています。天皇賛美のメディア報道がそれに拍車をかけていることは言うまでもありません。

 例えば、今回の天皇の長崎訪問に際し、「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中重光さんは「被爆地・長崎(での慰霊)に親子で参加された意義は大きいと思う」と述べた」(13日付京都新聞=共同)と報じられています。天皇の戦争責任、敗戦を遅らせて被爆を招いた責任を追及することなく、天皇の被爆地訪問を手放しで歓迎することが果たして真の被爆者運動と言えるでしょうか。

 被害の側面に偏り加害責任を事実上不問にしている被爆・平和運動と、加害責任にほうかむりした天皇の「慰霊の旅」はけっして無関係ではないでしょう。

 日本人の歴史観から侵略戦争・植民地支配の加害責任の抹消を図る国家戦略。それこそが国家権力にとっての「象徴天皇制」の存在意義の1つだと言って過言ではありません。



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