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投稿:シベリア抑留死亡者名簿読み上げに参加して思う | ||||||
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投稿者:吉原 真次 シベリア抑留死亡者名簿読み上げに参加して思う8月23日から26日まで、シベリア抑留体験者の村山常雄さんが10年の歳月を費やして作成したシベリア抑留死亡者名簿(村山名簿)に記された4万6305人の名前を、パソコンやスマホ等を使ったリモート(遠隔)を通じて48時間をかけ交代で読み上げ、死亡者を追悼するイベントが行われた。コロナ禍の2020年に始まった読み上げは今年で6回目、22年から参加した私は30分で500人の御名前を読み上げることができた。担当する名簿のページを印刷して一度目を通し、何度も読み上げの練習をしてから本番に臨んだ。練習のたびに村山さんが名前を人間の尊厳として名簿を作成したことが少しずつ分かるようになった。同姓同名でも生まれた月日や亡くなった年と年齢は一人一人違い、読み上げでは同姓同名に聞こえても名前には異なる漢字が当てられている。名前は親が子供に贈る最初の贈り物で、将来はこんな人になってほしいこんな人生を送ってほしいとの願いが込められている。また友達や恋人にとっては友情と愛の証、子供には信頼の証である。名前に人間の尊厳だけでなく家族や友人、子供の心が込められていることを想うと読み上げの前には自然と背筋が正しくなる。 今回の読み上げ担当のページにはなかったが、名簿の中には名字や名前が完全に分からないものがあって不明な部分には?が当てられていた。私はその人の尊厳と家族や友人の思いが無視されているような気がして残念な思いにかられたが、村山常雄さんの無念の思いはとても大きかっただろう。ユーチューブで?が書かれた名簿を見ながら他の人の読み上げを聴いていると「すまない!」と謝る村山さんの姿が脳裏に浮かんできた。 読み上げの後で担当者の感想を聞いて、読み上げに参加した人がそれぞれの想いを持っていることが分かった。特に戦後補償問題に取り組んでいる方のお話を聞いて今まで主にシベリア抑留は日本人の問題と思っていた私の無知が分かった。 旧満州(中国東北部)で武装解除された朝鮮人の日本兵・軍属は約1万5000人、シベリアに抑留されたのは約1万人でその内の約7000人は比較的早い段階に解放されたが、残る3000人は長期間捕虜収容所に抑留された。約60万人とされるシベリア抑留者の60人に1人が朝鮮人兵士・軍属と計算すれば、日本名であっても村山名簿の中の約770人の朝鮮人兵士・軍属が抑留中に死亡したことになる。さらに人数は不明だが台湾人日本兵・軍属も村山名簿に含まれるだろう。亡くなられた方の中に朝鮮人、台湾人の日本兵・軍属がいて当然なのに日本名ゆえに気付かなかったことが恥ずかしい。 ソ連崩壊後の1992年11月、日本人並みの恩給支払いを求めて京都地裁に提訴した李昌錫(イ・チャンスク)さんは、1940年の朝鮮総督府による創氏改名政策により小林勇夫に名前を変えさせられ、43年12月に植民地朝鮮で日本軍に召集された。敗戦時は旧満州のソ連国境近くで武装解除され、シベリアに8年間も抑留された後に1953年12月、日本軍軍人として帰還したが、前年のサンフランシスコ講和条約発効により日本国籍を一方的に剥奪された。 日韓条約締結前の1963年、李昌錫さんは東京の総務庁恩給局課長に面会して恩給の支給を求めたが取り合ってもらえず、自宅のある町役場で恩給申請を訴えたが無視され、大阪弁護士会人権擁護委員会に救済を求めた。日本弁護士連合会は1990年に恩給法の国籍条項は不合理の差別だとして政府に勧告したが、期待に反して政府は何もせず李昌錫さんは国を相手の訴訟に踏み切った。日本軍兵士として召集されて抑留生活中には二度と思い出したくないほどの肉体的・精神的打撃を受け、舞鶴に帰還した時には日本人だったにもかかわらず、自分の意思に基づかない一方的国籍変更により恩給支給を拒否された理不尽がその理由で、身寄りのない日本での生活は苦しいことばかりだったのに李さんには日本に対する恨みはない。 恩給法第9条の国籍条項は法の下の平等を保障した憲法第25条、さらに国際人権規約に違反している。軍人恩給制度に国籍条項がなければ仮の計算でも李さんは800万円の恩給を受け取れるはずだった。想定外の提訴に対してあわてふためいた国は恩給法の条文解釈を変更した。 1998年3月に京都地裁は恩給法の国籍条項を合憲とする判決を下し、2000年2月には控訴した大阪高裁でも敗訴、上告した最高裁の決定を待つことなく李昌錫さんは翌年に亡くなったが、最高裁の棄却決定が下されたのは2002年7月だった。 2010年6月、強制抑留者に関わる問題に関する特別措置法(シベリア特措法)が成立、民間人を含めて抑留期間に応じ、25万円から150万円の特別給付金が6万8847人に支給されたが、日本国籍を持つ者に限定され朝鮮人や台湾人は支給対象外とされた。またシベリア抑留で辛酸をなめた日本人でも、帰還後の海外移住で移住先の国に国籍を変更した人も対象外にされた。 天皇主権の大日本帝国から国民主権の日本になっても、職業軍人本位の恩給法が示す官尊民卑と植民地差別は続いている。保守を含めて良心的な政治家はいるが恩給法の改正を含め、敗戦後80年の歳月を経ても国内・国外の戦争被害者に対する欧米諸国並みの補償は実現されないままだ。 来年は『朝鮮人シベリア抑留』(東京外国語大学出版会)、『忘れられた朝鮮人皇軍兵士―戦後五十年目の検証、シベリア脱走記』(林えいだい著、梓書院)を読んで村山名簿の読み上げに参加することにしよう。(9月13日) Created by staff01. Last modified on 2025-09-14 08:14:20 Copyright: Default |