本文の先頭へ
LNJ Logo 中国:フェミニスト・ファイブの弾圧から10年(その3完結 )
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1742886339533st...
Status: published
View


〔レイバーネット国際部・I〕

その3(完結)です。 「その1」「その2」はレイバーネットのヘッドラインニュースでも掲載していただいて ます。感謝。 その1 http://www.labornetjp.org/news/2025/1742735775630staff01 その2 http://www.labornetjp.org/news/2025/1742855698430staff01 原文 https://diyin.org/article/2025/03/li-maizi-after-feminist-five-arrest-2015/ (つづき) ◇北京からニューヨークへ コロナ・パンデミックが始まって2年目に私は中国を離れようと考え始めたが、正確な時 期は思い出せない。直接の理由はPCR検査の強制措置がもたらした混乱だった。72時間ご との検査が48時間ごとの検査に強化された。時おり統制系統が混乱し、48時間のうち2回 もPCR検査、つまり24時間ごとの検査が求められた。 ある日、私たちが仕事中のとき、オフィスビルの管理部署から全員24時間ごとのPCR検査 を受ける必要があるという通知があり、職場のスタッフ全員がPCR検査会場に検査を受け に行くことになった。陰性の検査結果がないとオフィスビルに出入りできないので、会社 の人事部があわてて検査するよう指示を出したからだ。私たちは外出着に着替えて、いち ばん近いPCR検査ステーションまで2キロの道のりを歩き、長蛇の列にならんで長い時間待 つことになった。結局並んでから1時間たったときに人事部から連絡が入り、明日は全員 が在宅勤務でいいと伝えられた。 その時だろう。私だけでなく多くの市民が、このゼロコロナ政策が徐々に制御不能で滅茶 苦茶なものになりつつあることに気づき始めた。PCR検査ステーションの職員は一般人の2 〜3倍の給料をもらっていたが、受診者は健康コードが緑から黄色や赤に変わらぬようビ クビクしていた(※訳注1)。PCR検査ステーションは権力と金力の癒着の産物であり、 この国は特効薬の開発よりも、すべての市民にPCR検査を強制することに執着し、その背 景には赤裸々な権力の利権化があるということが、私の中では一層明らかになった。 ※訳注1:コロナ検査の結果を示すスマホのアプリで、検査結果などがQRコードが表示さ れ、緑色は陰性、赤色は陽性、黄色は未検査または濃厚接触者、橙色は検査中などに分類 された。 コロナ・パンデミックによって、すべての市民に対する中国政府の統制はさらに強化され 、この国を離れたいという私の気持ちも強まった。私が中国を離れることになったより直 接的な理由は、つねに警察からの連絡や嫌がらせが続いたからだ。私はパートナーと出国 の方法について話し合った。その方法の一つは、彼女が留学に行き、私もそれに同行する という方法だった。いくつかの国の状況を調べ、最終的にアメリカ行きを決めた。アメリ カの法律を調べたところ、留学生の家族としてビザを申請できるのは法律婚のカップルだ けであることが分かった。こうして私たちは2022年1月5日に結婚した(※訳注2)。 ※訳注2:BBCの報道によると、李麦子さんはインターネットを通じて結婚申請が可能だ ったユタ州で婚姻登録を行い、それを祝うために中国国内で披露宴を行おうとしたが公安 警察から「許可しない」という恫喝を受け、やむなくオンライン上で披露宴を行った。 BBCの記事とは日付など若干の違いがある。https://www.bbc.com/zhongwen/articles/cn545l3k23wo/trad ◇ ニューヨーク生活 ニューヨークに到着してから最初の6か月間は恋人の家で炊事に専念した。その理由の1 つは、私は自宅でLGBTの人たちの結婚を支援するビジネスを営んでいたので、時間が比較 的自由で、かつ有意義だったこと。2つ目の理由は、お金がないので、自炊すればかなり お金が節約できたから。最初の半年、私たちの生活はかなり厳しかった。 ニューヨークは国際都市であり、非常に多様性に富んでいる。この街を歩いていると、奇 異な目で見られる心配は全くない。そして、留学生の家族としてコロンビア大学の学生寮 に正々堂々と住むこともできる。私たち二人はどちらも妻を名乗り家族用ルームを申請す ることができた。ニューヨークに到着するとすぐにマンハッタンの一室を借りることがで き、私たちの生活は順調に進んでいるように感じた。 ある偶然の機会に、さまざまな手段を通じてアメリカに来た中国人イスラム教徒のグルー プにも会うことができた。2023年12月には、ずっと懐かしく思っていた蘭州ラーメンを食 べることもできた。 もうひとつ、アメリカの生活で便利なところは、様々な大学に招かれて講演し、教室で学 生たちに中国のフェミニスト運動やLGBT運動の紹介を伝えることができることだ。私は自 分の経験を生かして、過去10年のあいだに中国で何が起こったかを皆さんに伝えている。 市民社会にまだ多くの活動空間があった当初から、市民社会の活動がタブーとなり、社会 がだんだんと締め付けられていった。しかし、海外の学生が目にする報道で伝えられてい るほど、中国では何もできないというわけではない。中国の変革を目指し、中国をより良 い場所にするために、独自の方法で取り組んでいる進歩的な人は今も中国にたくさんいる。 また、ニューヨークでは「ガールズアイデア・トークショー(女子主意脱口秀)」や「ス トーリーワークショップ(故事工作坊)」など、文化的な活動も非常に充実している。私 はほぼすべてのイベントに参加しており、出演者として2回、ボランティアとして数回、 それ以外も観客として参加している。2024年7月にはアジア虹色合唱団を設立し、10月に は「ガールズアイデア(女子主意)」のオープニングを務め、「薔薇の少年(玫瑰少年) 」という曲を歌った。中国では、この類の組織が協力して活動すると、常に警察から嫌が らせを受けるリスクがある。警察は家主に嫌がらせを行い、イベントを中止させるために 会場に来て嫌がらせを行い、さらには人々を警察署に直接「ご招待」することもある。し かし、ニューヨークではこうした活動はなんら滞りなくおこなえる。 アジア虹色合唱団設立のアイディアは非常にシンプルだ。アイデンティティ・ポリティク スはLGBT運動において非常に重要な戦略だ。コミュニティのつながりを通じてコミュニテ ィを育成し、コミュニティの文化、コミュニティのアイデンティティを形成し、感情的な レベルだけでなく、コミュニティ支援ネットワークを通じてお互いの権利と利益を守るた めにお互いをサポートする。合唱団の公演を通じて、私たちの中国LGBT合唱団のアイデン ティティを強調し、ニューヨークでもこのような方法でLGBT運動の発展を促進することが できる。私は、自分の住んでいる場所に根ざした行動こそが最大の利益をもたらすと考え ている。いま私はニューヨークにいて、2025年の旧暦正月を祝う爆竹の音を聞きながら、 将来どんな人間になりたいか、つまり、有意義な人生を送り、中国で女性の権利とLGBT運 動を推進し続けることについて、以前よりももっと確信をもつことができているように思 う。 ニューヨークは社会運動の空間が広いだけでなく、個人的な成長の機会も豊富にある。中 国では若者の失業率が非常に高い。金融関係で働いている友人は1年間も仕事が見つかっ ていない。また、半年も失業している友人もいる。私も例外ではない。かつてアクティビ ストとして英国で人権学の修士号を取得して中国に帰国したが、フルタイムの専従活動家 の仕事を見つけることはできなかった。というのも、政策提言活動を行っていたすべての NGOが閉鎖を余儀なくされたからだ。私が学んだ人権学専攻を生かした有給の仕事は、国 連といくつかの国際NGO以外に就職の選択肢はないようだった。そこで私は、ボランティ アで社会活動をしながら、生活費を稼ぐ仕事をすることを決意した。これが実は社会運動 の持続可能性を維持する方法であることを、後になって理解した。以前、あるセミナーの 講師がこのことについて言及したことがあったが、そのとき私はまったく理解できなかっ た。今では、持続可能な社会運動にとっても、そうすることが必要だという考えにはきわ めて賛同している。 現在、私のフルタイムの仕事はハラール・レストランの経営だ。ホール業務から市場マー ケティングまで、何から何まで、毎日頭を高速で働かせている。パレスチナを支援するス カーフを巻いてお客様をお迎えし、一緒に「Free Palestine」と叫び、とても有意義な交 流ができるこの仕事が大好きだ。一見したところ、私は社会運動からビジネスへとキャリ ア転換を図ったかにみえるが、実際にはレストラン経営は運動コミュニティの運営と非常 に似ている。食事とは単に食べ物を提供するだけでなく、感情的な価値やお客様のニーズ を満たすことも重要だ。特にハラール・レストランではそうだ。9/11事件以降、アメリカ 社会ではイスラム教徒コミュニティに対する差別や恐怖が高まっており、多くの人があえ て自分をイスラム教徒と名乗らないようになっている。社会運動に従事し、社会的テーマ に取り組むことは、人々のニーズを満たすことでもあり、この2つには多くの類似点があ る。 この10年間を振り返ってみると、私の人生は無駄ではなかったと思う。知識と行動を可能 な限り統合するために最善を尽くしてきた。さらに、私は行動者、アクティビストとして の責任も果たしている。私のいるところでは常にコミュニティがあり、コミュニティの活 動を組織する。ずっとそのように活動できたらいいと思う。 20歳のとき、私の目標は世界を変えることだった。そのことにとても自信を持っていた。 いま私が言いたいことは、自分のできることをやりながら、世界を変え続けていく、とい うことだ。 (以上)

Created by staff01. Last modified on 2025-03-25 16:06:24 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について