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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕エーリヒ・ケストナー 『飛ぶ教室』
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毎木曜掲載・第286回(2023/2/2)

時代や年齢や国の違いを超えて

『飛ぶ教室』(エーリヒ・ケストナー 著、高橋健二 訳、岩波書店、1600円)評者:大西赤人

 自分が最も集中して本を読んでいた時期は、いつだったろうか? 大西の場合、それは小学校時代であったと思う。まあ、未だパソコンもスマホもインターネットもなかったわけで、一旦本を開けば、周囲の犹┣鮫瓩房挧發気譴襪海箸眈なかった。身体が悪く家で過ごす時間が多かったという条件も含めて、幼い頃から読書は大好きで、こと字を読む能力については早熟だったようだ。小学校に上がるか上がらないかの頃から文庫本を手渡され、どこまで理解していたかは判らないものの、少なくとも普通に読みこなしていた。父親がカバーを付けてくれた『グリム昔話集』(角川文庫)や『アンデルセン童話集』(岩波文庫)は、スッカリ変色しながら今も書棚に並んでいる(写真の一冊には日にちと名前が記されており、これは満七歳、入院した時に持ち込んでいたものだと思う)。すぐに神様だの天使だのが登場するアンデルセンの話は、子供心に鬱陶しかった記憶がある。今ならば、猖香臭い瓩箸いι集修浮かぶところだろう。

 父親は子供向けの本に関して言わば幾分の「岩波」信仰があったのかもしれず、特に小学生時分の大西は、『ドリトル先生』もの(ロフティング)、『ナルニア国』もの(ルイス)、『ツバメ号』もの(ランサム)、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)や『指輪物語』(トールキン)、あるいはとりどりの岩波少年文庫を買い与えられた(ちなみに、だからといって漫画を避けるようなことは一切なく、手塚治虫、白土三平、水木しげる、永島慎二、石森章太郎等々、親子ともども読んでいた)。そんな中でも忘れがたい作品といえばケストナーによる一群の物語であり、『エーミールと探偵たち』や『ふたりのロッテ』や『点子ちゃんとアントン』を夢中になって読んだわけだが、一冊を選ぶとすれば、やはり『飛ぶ教室』ということになる。

 ケストナーはユダヤの血を引き、ナチス政権によって執筆の制限、あるいは焚書の対象とさえ位置づけられたにもかかわらず、戦争終結までドイツ国内に留まって仕事を続けていたことで知られる。本書については、随分昔に端的な紹介を書いたことがあるので、それを引用しよう。

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 E・ケストナーはドイツの作家で、一九七四年七月に亡くなっている。「エーミールと探偵たち」や「ふたりのロッテ」も、彼の有名な作品である。作品の対象は一応子供だが、もちろん大人が読んでも全く失望しないはずだ。「飛ぶ教室」の舞台は、ドイツのギムナジウム(日本では小学上級から高校までに相当する学校)。そこの生徒たちの、クリスマスを中心とした時期の物語である。「飛ぶ教室」とは、クリスマスに演じる劇の題名で、色々な生徒たちや先生たちの心の結びつきが、わざとらしくなく、ユーモラスに暖かく綴られている。比較すること自体無意味だが、日本の近頃の「学園もの」の馬鹿らしさが明らかに覚らされるだろう。
(『装苑』1975年2月号「僕の選んだ二十冊の本」から
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 子供向けに何らかの作品を創造することは、決して容易ではない。そして作り手は、話を緩めたり、和らげたり、ボカしたり、単純にしたり、判りやすくしたりすることが子供向けと考えがちである。ケストナーは、そのような態度を一蹴する。

「私は、ある著者からおくられた子どもの本をとりあげて、読みはじめましたが、まもなくわきへおきました。ひどく腹が立ったのです! なぜだか、いいましょう。その著者は、じぶんの本を読む子どもたちをだまして、はじめからおわりまでおもしろがらせ、楽しさで夢中にさせようとします」
「どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?」(第二のまえがき)

 『飛ぶ教室』に描かれる少年たちは、しばしば屈折を抱えている。それは、いわゆる「天真爛漫」とか「無垢」とかとは隔たったありようだ。でも、その心情は、時代や年齢や国の違いを超えて、しんしんと我々にも伝わってくる。マルティンやヨーニーやウリーの――そしてその周りの大人たちの――姿に、自分や知っている誰かやの姿を重ね合わせることにもなる。

 ケストナーに対しては「ベンヤミンを含む、マルキシズムの立場からは、政治的に立脚点が無く、その理想は、プチブルジョアのための慰めでしかない、という批判」(Wikipedia)も存在するし、訳者の高橋に対しても、太平洋戦争中における大政翼賛的姿勢、戦後の自己批判の欠如への責めが見られる。しかし、それでもなお、『飛ぶ教室』の魅力は捨てがたい。「いたまえ」「したまえ」「くれたまえ」というようないささか大時代に訳された物言いも、むしろ少年たちには似つかわしく感じられるのだ。そして付け加えれば、1933年に書かれた本書において狎犬ている疊爐蕕料蠹部分が、その概ね十年後には、個々の好むと好まざるとにかかわらず様々な場面で殺したり殺されたりしていたのであろうと想像する時、冷厳な想いに駆られる。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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