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「金嬉老事件」を憶えていますか?―『奇妙な果実〜マルコムXと金嬉老〜』を観て

小泉雅英

 昨年暮に、「新宿梁山泊」公演『奇妙な果実〜マルコムXと金嬉老〜』を観た。ほんとうに素晴らしい舞台だった。(2022/12/20恵比寿、シアター・アルファ東京)。幕が上がる前に、PPM(ピーター・ポール&マリー)の歌う『風に吹かれて』など、かつて多くの若者(私も)が口ずさんだフォーク(ソング)の名曲が流れていた。それらは当時、拡大するベトナム戦争への反戦歌でもあった。マリー・トラヴァースの美しい声で、『花はどこへ行った』などを久しぶりに聴き、1960年代後半のあの時代に引き戻されたような気分になった。

 幕が上がると、喪に服す白装束の女達が、老女を中心に、手に小さな燈明を持って、花道のように二手から、静かに登場した。舞台の真ん中で、老女は朝鮮語で息子への思いを語り、哀しさを訴えるように、切々と歌った。金嬉老の母親だった。既に息子は死んでいた。その死を悼むオモニの声が、静かに響く。

 この序幕の後、突如、背景にアメリカの黒人たちの集会や警察官との衝突、日本でのヘイト集会やデモの映像が流され、それにぶつけるように、パギヤン(趙博)他、大編成バンドによる『Born to be wild』の激しいサウンドが炸裂した。この大音響は何なのだ。叩きつけるドラムの強烈なビート、トランペットやトロンボーン、サックスなど管楽器の叫び、それらに乗せて、激しい怒りを吐き出すような、パギヤンの熱唱が重なり、融合しながら、観客を一気に劇的興奮に引きずり込んで行った。

 パギヤンの歌う『Born to be wild』は、かつて映画館で観た『イージーライダー』のオープニング、バイクで疾走するヒッピー風青年たち(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー他)の背景に流れる軽快な曲調とは、全く異なっていた。それは、飼い慣らされることなく、溜めに溜め込まれて来た怒りの、文字通りワイルドな爆発だった。それは、アメリカの黒人たちのものであり、金嬉老たち、在日朝鮮人たちの怒りだった。それらの怒りを、パギヤンの肉体が、全身で、叫ぶような歌で表現していた。

 劇は酒場の女給たちや、その店のママさんとマスター、常連客などで進行して行く。女給の一人がビリー珠希で、彼女の源氏名は、亡くなった母から受け継いだものだ。母の持ち歌というのが、ビリー・ホリデーの『奇妙な果実(Strange Fruits)』だった。それを娘の珠希が熱唱する場面も見せ場だが、実は彼女の母と金嬉老とは、恋仲だったことが、酒場のママさんによって明かされる。とすると、珠希は二人の娘だったのかも知れないが、それは謎に残され、劇は進行する。

 実はこの酒場に出入りする酒屋の息子が、後で重要な役回りとなるが、彼は毎週のように、在特会などのヘイトデモに対するカウンターを組織しているのだった。そのカウンターデモに、この店の女給たちやマスター、ママさんまで参加しているというのだから驚きだ。そんな店の常連に、高利貸しのヤクザ、岡田がいる。この男は、警察とも薬物で黒い関係を持ち、かつて金嬉老に貸した金銭の取り立てで、母親を脅しに行ったりもしている奴だ。

 ある日、この岡田が極右団体の会長、桜川信(在特会の桜井誠に似た名前だが)を連れて、この店にやって来る。その日、お店は年に一度の「コリアン祭り」で、女給たちは皆、艶やかなチマチョゴリ姿で客を迎えていた。岡田や桜川も、レイシストのはずが、チマチョゴリの女給たちに囲まれ、景気よくボトルを空け、親父ギャグを連発したりして、はしゃいでいる。そこへ金嬉老が入って来た。手には猟銃、腰にダイナマイトを装着している。この店とは深い繋がりがあることは、ママさんや、ビリー珠希の母との関係からも分かる。

 オモニを脅しに行ったことを咎める中で、嬉老と岡田たちに、当然にもいざこざが生まれ、挙げ句に拳銃を向けて来た岡田を、嬉老は猟銃で撃ち抜く。さらに札束を示し命乞いする桜川も、ぶち抜く。この修羅場に、飛び込んで来た酒屋の息子は、嬉老に、自首し、裁判で訴えるように懇願する。嬉老の思いを共有しても、暴力でそれを実現しようとすること、まして人を殺めたことは許されない、と説得する。この場でのやり取りは、映像で語られるマルコムXの暴力論と共に、今に至る重い普遍的問いを提出している。これは、作者パギヤンの、この芝居に込めた問いでもあるに違いない。

 嬉老は、これまで朝鮮人を侮辱し、差別してきた警察の非道を、広く社会問題として訴え、謝罪を求める手紙を託し、皆の説得にもかかわらず、ライフルの銃口をくわえ、自決する。と、舞台は暗転し、パギヤンたちの賑やかな音楽が流れる。「負けるな!負けるな!チョッパリに負けるな!」と連呼するパギヤンの歌を聞く内に、涙が溢れて来た。(マスクをしていたので、知られず済んだが)。やがて、白い喪服姿のオモニが、死者の魂に語るような、静かで、深い哀しみの場面の後、紗の幕が下り、華やかなフィナーレとなった。


*アフタートーク。左から演出の金守珍、ゲストの中川五郎、作者のパギヤン

 途中を省いたが、多くの見せ場の内、特に印象に残ったのは、マルコム Xの演説の映像に被せて、パギヤンが英語で演説する場面だ。アメリカの黒人たちが、どれほどの迫害を白人から受け続けて来たか、アフリカから奴隷貿易で運ばれて以来500年余の差別の歴史と、自由の価値、暴力的抵抗の正当性を語っていた。その中で、「これまでアメリカには、民主主義(democracy)などなかった。あったのは、偽善(hypocrisy)に過ぎない」という言葉が、記憶に残った。激しい演説で、パギヤンは、マルコムXとなっていた。

 米国でのマルコムXは、どうか知らないが、金嬉老は、今やこの国では、忘れられた人物ではないか。その彼を、マルコムXと重ねて、この時代に甦らせたのは、作者趙博(パギヤン)と、演出家金守珍であり、「新宿梁山泊」による演劇の力だ。ほんとうに、素晴らしい舞台だった。

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