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「れいわ祭り」に参加して思ったこと〜「刺さってくる」肉声

    小泉雅英

 7月12日、東京・品川駅港南口広場での集会「れいわ祭り」。感想を報告する。私自身、選挙前のこうした集会に、初めて参加した。帰りの道すがら、行って良かったと思った。わざわざ1時間もかけて、仕事の後、この集会に出かけたのは、なぜか。

 今回の選挙で、山本太郎氏(以下敬称略)が起ち上げた党派「れいわ新選組」は、名前に違和感があり、最初は思い入れることもなかった。が、彼の訴えを動画で見て、これは本気だと感じた。蓮池透さんが最初の公認候補と発表された時も驚いたが、寄付金の目標額と、それにより可能となる候補者の人数を明確に掲げられた時も、リアルな戦術で、嘘がない、と思った。

 何もない所から、人々の気持ちを結集し、その大きさに応じて候補者を立てるということは、この国の現状を変えようと願う人が、多く集まれば集まるほど、グループは大きくなり、大きな発言力を持つ組織となっていく、ということだ。この組織の作り方にも共感できる。一つの考え方で統制されたものではなく、それぞれの候補者の個性を活かした、ゆるやかな統一戦線が実現されれば良いな、と思った。

 それぞれの候補者の発言は、動画で拝見していたし、全国を駆け巡って行われている山本太郎自身の発言も、いろんな方たちが、動画として、ネットに上げてくれていて、何度も見ることができた。その都度、共感が深まり、この人たちこそ、民衆の代弁者として国政で活躍してもらいたい、と思うようになった。

 そうした候補者10人が、全員集合するというので、この「れいわ祭り」に足を運んだ。どんな表情で語るのか、聴衆の反応はどうなのか等々、この目で確かめたいと思ったのだった。結果は、予想に違うことはなかった。一人一人の発言が、具体的で、それぞれの方たちの現実に基づき、当事者ならではの発言だった。まさに私にも「刺さってくる」肉声だった。ほんとうに素晴らしい人ばかりで、全員、当選してもらいたい、と強く感じさせられた。

 今回の比例選挙では、特定枠が設けられ、その第1位と第2位に、選挙活動さえままならぬ重い障害を持つ方々を指名し、山本太郎は他の6人の候補者と共に、特定枠の後に登載した。自身のハードルを上げたということだが、その考え方にも、強く共感した。立派だと感じた。山本太郎個人が、議員として生き延びれば良いのだ、というのではなく、組織として、多くの同志を国会に送り込み、そこで新しい政治を実現する勢力となることを、リアルに考えている。その理想主義とリアルな戦略に共感した。これこそ政治家ではないか、と思った。

 今や国会でも地方でも、政治を職業の一つとして、ビジネスとして、議員(または秘書)になっている方が多いのではないか。だからこそ、家業を継ぐ形で、政治業を継承し、議員をやってるような人が多いように思える。彼らは政治業者あるいは政治屋というべきで、決して政治家ではないだろう。

 今回、「れいわ」が、ALS患者ふなごやすひこ氏と、重度障害者木村英子氏の二人を、特定枠として登載したが、このことだけでも、このグループを支持し、「比例」では彼らに投票しようと決めた。しかも、その他の方々も、全員、当選してほしい、と願う方たちばかりなのだ。

 元J.P.モルガンの大西つねき氏は、今回の選挙で「れいわ」が多数当選を果たせば、それは一種の革命だ、革命を起こそう、と発言したが、この言葉に浮ついた響きはなかった。ほんとうに、そうだと感じさせられた。お金そのものには、何の価値もないこと。価値は人間の時間、様々な働きに裏打ちされ、生み出されるのだということ。人間の働きや時間を搾取するシステムには未来がないことを、お金のプロが発言していた。大西氏の言葉に、ミヒャエル・エンデを読んだ時と同じような共感を覚えた。

 彼には、国会で、黒田日銀総裁を、正面から理路整然と論破し、あのニヤニヤ顔を真っ青にさせてほしい。まだ安倍が首相に留まっていたとしたら、アベノミクスなるものをへし折り、あの自信に満ちた嘲笑と詭弁を、全ての人々の前に明かし、退路を絶ってほしい。

 やすとみ歩氏は、彼の第一の主張通り、「子どもを守ること」を基点に、人間を含む動物の生きやすい社会を作っていってほしい。生き物の命を大切にする社会ということだ。「経済効率」が優先され、「生産性」で人間の価値が測られるような社会には未来がないことは、今や多くの人が感じているのではないか。彼が女装を通していることにも、大きな意味がある。この国の牢固たる価値観を変えていく、大きな力になるだろうと思う。ジェンダーの問題は、差別の問題、平和の問題に通底している。やすとみ氏が国政で力を発揮していく意味は、想像以上に大きいだろう。

 山本太郎が何度も言うように、死にたくなるような社会ではなく、一人一人が、そのままで生きていける社会、希望の持てる社会の実現に、一歩でも近づいていけるのではないか。今回の選挙で、そんな「革命」が起きるかも知れない、と強く感じながら、帰途についた。

 問題は、この集会に参加した人や、ネットで共有できている人たちだけでは、限界がある、ということだ。今回の集会も、毎年行われている「5・3憲法集会」と似ている。あれだけ多くの人々が結集し、盛り上がっていても、日本全体からみれば、まだまだ一部でしかない、という厳然たる現実なのだ。それをどう突破するのか。それが今の大きな課題だと思う。

 山本太郎が「れいわ新選組」などというオールドファッションで、レトロなネーミングを決めたのは、それを意識したものではないか。若い人たち、政治に期待することも、関心もなくなっている人たち。彼らを取り込む他には、この国の政治を変えることはできない。団塊ジュニア(=ロスジェネ世代)を中心とする若い人たちが、希望を持てるようにすること、この中にこそ、この国を変える鍵があることを、同世代の山本太郎は、強く意識し、戦略的に、リアルに考えた結果、このネーミングを選んだのだと思う。その目論見通りになること心から願っている。私としては、ネットにも接しない、多くの知人に、今回の状況を伝え、地殻変動を起こせるように、微力を尽くしたい。(2019/7/14)

<追伸>「れいわ新選組」というネーミングについて

 なお、私自身は、天皇制とデモクラシーは原理的に相容れないもの、と考えています。現行の日本国憲法は、そうした矛盾を孕んだもので、将来、改憲し、名実ともに民主主義を実現すべき、と考える者です。

 元号は、そうした天皇制を支えるイデオロギー装置の一つ、と捉えています。何気なしに元号を使用することが、即ち天皇制を支持し、永続化する働きがあるのです。日の丸を掲げることや、君が代を歌うことも同様です。したがって、私は、もう何十年も、元号を使わず、区や市役所だけではなく、裁判所への提出文書でも、全て西暦で記入しています。娘の小学校、中学校の卒業式でも、「国歌斉唱」の号令で、一斉に周りの親たちが起立しても、私は座っていて、歌うことはありませんでした。

 そのような者が、「れいわ新選組」という名前に、違和感を持たない筈はありません。しかし、その点にこだわっていては、投票する対象はなくなってしまいかねません。天皇制という観点からは、共産党を含め、全く問題はない、という政党はないでしょう。かつては、議会制民主主義を軽視または無視し、投票にさえ行くこともありませんでした。その結果、詰まる所、現在のような日本政治があるのだ、と反省しています。

 山本太郎が起ち上げた「れいわ新選組」の名前にこだわるより、実際の政策や、基本理念を支持したい、と思っています。天皇制の廃止には、時間がかかります。既に150年以上にわたり、天皇制イデオロギーが浸透されてきたのですから。教育その他いろんな方法で、時間をかけて、本当の民主化を進めていかなければならない、と思っています。

 憲法第一条を変えるのは、今すぐにはできませんが、原発を廃止したり、税制を変えたりなどは、政権が変われば、直ぐに実現できることです。様々な差別の根源に天皇制があるとしても、目の前の差別の現実を変えることが先決です。実際に具体的な差別、不公平をなくし、民主化を進める中で、天皇制を無化し、その上で形式的にも天皇制を廃止する、という順序ではないでしょうか。私はそのように展望しています。

 先の報告で書き落としたことは、あの品川の集会の終わりで、会場から「れいわ!」「れいわ!」というコールが起こり、大きくなっていったことです。これには正直戸惑いました。この「れいわ」は、決して「令和」ではないことを願うばかりです。もし「令和」の意味を込めて唱和していたのだとすれば、これがリベラル派の限界点だ、ということでしょう。この点については、いずれ明確になってくるのではないでしょうか。(2019/7/15)


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