太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 米国内の銃乱射事件の「先に視える」こと | |
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米国内の銃乱射事件の「先に視える」こと2016年、伊勢での首脳会議に参加するために来日していたオバマ前大統領が、岩国米軍基地で米国兵士を「激励」する演説を軍の最高指揮官として行なったついでに、広島平和公園へほんのちょっとだけ寄り、「71年前、雲ひとつない朝の、抜けるような青空から、死が降ってきて、世界は変わりました」と宣ったことを思い出してみればよい。原爆投下の責任については頬かむりした大統領は、自ら手がけたという折り鶴を平和資料館に置くというセンチメンタルな行為でごまかしたのだ。「岩国→広島」という行路の意味も、主体不明の物言いの無責任さも問うことをしなかった日本の大方のメディアと世論は、お人よしにも、こんな仕掛けにころりと騙されたというべきだろう。 岩国基地にいた兵士も、70年以上も前に自国が行なった原爆投下の意味を問い直す機会もないままに、やがて帰国することになろう。国外では何の規制もなく武器を使っていた兵士が米国に戻ると、ダグラス・ラミス風に言えば、一緒に「戦争が帰って」ゆく。武器を使うことに慣れ親しんだ元兵士は、戦場で負った精神的な傷を、家庭内暴力をはじめとする暴力的な発現に求めるほかはなくなる場合がある。戦場へはまだ行った経験を持たない若者の中からは、自国兵士が国外で行なっている(しかも、大統領も議会もマスメディアもそれは正しいと言っている)戦争行為を日々見聞しているうちに、自分でもそれを「実践」してみようと思い詰める者が出てくる。米国フロリダ州で17人の高校生の命を奪った今回の乱射事件の加害者(19歳!)も含めて。このような悲劇的な事件を前にしての、オバマとトランプの反応の違いは、米国内部ではそれなりの意味をもとう。同じ武器が「海外で」使われている意味を顧みない点では両者は同じ位置にいることを、私たちは忘れるべきではない。
これに対置すべき考えは、イランの映画監督モフセン・マフマルバフ(写真)の次の言葉に表現されている。「(アフガニスタンにおいて)もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。」(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』、現代企画室、2001年刊)。日暮れて道は遠いが、常にこの原点に立ち戻りたい。 Created by staff01. Last modified on 2018-02-25 12:38:06 Copyright: Default |