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LNJ Logo 太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 米国内の銃乱射事件の「先に視える」こと
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 ●第14回 2018年2月25日(毎月10日・25日)  

 米国内の銃乱射事件の「先に視える」こと

 現在の米国トランプ大統領の言動を、歴代大統領との比較において、信じ難いとか数段落ちるとかいう評価をよく見聞きする。オバマ前大統領は、銃乱射事件が起こるたびに銃規制の強化を図ったが、トランプはその逆を行っているというように。確かにオバマ大統領は、どこかで銃乱射事件が起こって死者も出たとき、全国に宛てたメッセージで、声を詰まらせ目に涙を浮かべて、その哀しみと犠牲者および遺族への哀悼の気持ちを語ったこともあった。だが、その時にも彼の視野は米国国内に限られていて、人びとの殺害のために使われたその銃がどのような回路をたどって、「国内に戻ってきた」のかを問う姿勢はまったくなかった。すなわち、国外のどこかの地を戦場にした戦争を――「9・11」以降の現在であれば「反テロ戦争」を――絶えず遂行している米国は、「国外で」自らが使っている銃や弾道ミサイルや無人爆撃機やドローンの残虐性や暴力性を問うことは、決して、ない。なぜなら、米国が国外で行なっている戦争は、彼らによれば、常に正しいから、それを問う必要がないからだ。

 2016年、伊勢での首脳会議に参加するために来日していたオバマ前大統領が、岩国米軍基地で米国兵士を「激励」する演説を軍の最高指揮官として行なったついでに、広島平和公園へほんのちょっとだけ寄り、「71年前、雲ひとつない朝の、抜けるような青空から、死が降ってきて、世界は変わりました」と宣ったことを思い出してみればよい。原爆投下の責任については頬かむりした大統領は、自ら手がけたという折り鶴を平和資料館に置くというセンチメンタルな行為でごまかしたのだ。「岩国→広島」という行路の意味も、主体不明の物言いの無責任さも問うことをしなかった日本の大方のメディアと世論は、お人よしにも、こんな仕掛けにころりと騙されたというべきだろう。

 岩国基地にいた兵士も、70年以上も前に自国が行なった原爆投下の意味を問い直す機会もないままに、やがて帰国することになろう。国外では何の規制もなく武器を使っていた兵士が米国に戻ると、ダグラス・ラミス風に言えば、一緒に「戦争が帰って」ゆく。武器を使うことに慣れ親しんだ元兵士は、戦場で負った精神的な傷を、家庭内暴力をはじめとする暴力的な発現に求めるほかはなくなる場合がある。戦場へはまだ行った経験を持たない若者の中からは、自国兵士が国外で行なっている(しかも、大統領も議会もマスメディアもそれは正しいと言っている)戦争行為を日々見聞しているうちに、自分でもそれを「実践」してみようと思い詰める者が出てくる。米国フロリダ州で17人の高校生の命を奪った今回の乱射事件の加害者(19歳!)も含めて。このような悲劇的な事件を前にしての、オバマとトランプの反応の違いは、米国内部ではそれなりの意味をもとう。同じ武器が「海外で」使われている意味を顧みない点では両者は同じ位置にいることを、私たちは忘れるべきではない。

 このように強調しつつも、現大統領の愚かさは半端ではない、と絶句する。トランプ曰く「もし銃に熟達した教師がいたなら、襲撃をあっという間に終わらせることができるだろう」。だから「特殊な訓練を受け、銃を隠し持った教師を学校に配置することで、もはや銃のない場所はなくなる」、これが有効な対応策だと語っているからには。

 これに対置すべき考えは、イランの映画監督モフセン・マフマルバフ(写真)の次の言葉に表現されている。「(アフガニスタンにおいて)もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。」(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』、現代企画室、2001年刊)。日暮れて道は遠いが、常にこの原点に立ち戻りたい。


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