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「あなた、その川を渡らないで」

2014年 チン・モヨン監督 大明文化工場製作

 昨年、韓国で公開された「あなた、その川を渡らないで」という独立ドキュメンタリー映画が韓国で誰もが予想しなかったほどの大ヒットを記録したという。封切りから半年で観客数が480万人だというのだから、資金力のない独立プロダクションの作品としては驚くべき数字だ。
 インターネットでの口コミで広がったというのだが、この映画についてインターネットを検索すると、映画評はもちろん、映画を見たほとんどの人が絶賛している。ストーリーは単純だ。韓国の田舎で暮らす98歳と89歳の仲睦まじい老夫婦の話で、若い新婚夫婦のような日常の生活、そしておじいさんが死ぬまでの時間が韓国の美しい自然を背景に淡々と記録される。

▲(株)アンプラグド提供
 ここでは映画についての詳しい紹介は割愛するが、よくできた映画だし、感動的でもあり、また切なくもある。多くの人が映画館を訪れ、涙を流したというのもうなづけるし、ロスアンゼルス映画祭のドキュメンタリー部門で大賞を取ったというのももっともだ。
 ただ最初、ぼくにはあまりピンと来なかった。実はしばらく前、日本に来る韓国の友人に頼んでDVDを持ってきてもらったのだが、「うーん…」というのが正直な感想。主人公の老夫婦の行動が、まるで韓流ラブストーリーに登場する仲睦まじいカップルの描写そのままなのだ。韓国の若者言葉で言えば「鳥肌カップル」といったところ。最初に見た時は、ヤラセか何かの演出かと思ったほどだが、後で調べてみると撮影にあたり、ヤラセや作為的な演出は一切なかったという(韓国でも「ヤラセではないのか」と思った人は少なくなかったらしい)。
 とにかく、なぜ韓国人はこの映画に感動するのか、それが不思議だった。
 もちろん映画の意図は理解できるし、どこに感動するべきなのかもわかる。素直に感動して「良かった」と思えないのは、ぼくがへそ曲がりなのか、感性が歪んでるのか…

 先日、このドキュメンタリーの日本語版の配給を用意している(株)アンプラグドから、日本の大学生を対象として製作中の日本語版を上映するという案内をもらった。日本での公開にあたり、上映館の確保に苦労しているらしい。韓国で大ヒットしたこの映画についての大学生の意見を聞き、そして韓国について、そして韓国と日本の関係について考えてみようという企画だという。
 日本の大学生は、この映画にどんな反応を見せるのだろうか。また、韓国という国をどう見ているのだろうか。それが知りたくて上映会を取材させてもらうことにした。

 上映後まず、映画の感想を短く何人かの学生から聞かせてもらった。予想はしていたが、とても好意的な発言が多く、うらやましい、結婚したらこんな夫婦になりたい、純粋な愛に感動した…などなど、だいたいインターネットに書き込まれている韓国人観客の感想と同じような内容である。
 その後、韓国についてのイメージ、日本との関係などについても、最近、マスコミで喧伝される「嫌韓ムード」はどこの世界の話かと思うほど、極めて常識的な発言が続いた。
 一通りの発言の後、上映会に参加した学生やこの企画に協力してくれた大学の李先生から直接話を聞く機会があった。まず大学生たちに、ぼくが気になっていることを直接聞いてみることにした。「本当に感動した?」
 答はやはり「本当に感動的な映画だった」。だんだん自分の感性が次第に信頼できなくなってくる。「何かわざとらしくなかった?」「全然!」。
 しかしその後、大学の韓国人の李先生と話しているうちに、ぼくの感覚の何がズレているのかがわかった。ぼくはこの映画に登場する100歳に近い老夫婦に、何か漠然と古い韓国の夫婦のイメージを重ねていた。便所が家の外にあるような古い韓国の民家で韓服を着て暮らす老夫婦は、今は失われてしまった古き良き韓国の原風景への憧憬を掻き立てるのではないかと思っていた。
 そんなぼくの見方を打ち砕いた李先生の一言は、「いいえ、そうではないでしょう。むしろとても現代的な夫婦の姿なのではないでしょうか」というものだった。「この映画のおじいさんとおばあさんは、子供たちから独立している。すごいですよ」という。つまり家門や子供たちを前提とする韓国の伝統的な家制度の中の老夫婦の幸せではなく、この二人は「家」から独立した純粋な個人と個人の関係を生きているというのだ。
 なるほど、と思った。どうやらぼくは完全にこの映画の見方を間違えていたらしい。
 ロサンゼルス映画祭で大賞を取ったのも、この老夫婦の欧米的な個人主義的な関係がアメリカ人の愛の形と同じで、抵抗なく受け入れられたからだろう。韓国では20代から30代の若い層からの反応がいいとも言われているが、まさに現代の若いカップル、それこそ普段、韓流ラブストーリーを見ているような人たちが持っている「恋人たち」のイメージをそのままこの老夫婦に投影することができたからに違いない。上映後に大学生から「こんな夫婦になりたい」という発言があったことを思い出した。
 この映画は、自分が知っている(と思っている)世界にあてはめて物語を解釈するのではなく、映像の世界に没入して胸で直接感じなければならなかったのだ。

 そんなことを考えながら家に帰ってもう一度、映画を見直してみた。最初に感じた演出臭さは相変わらずだが、改めて見直してみると悪くない。「実話版・現代的ラブストーリー」として愛と死のメロドラマの世界に浸るもよし、古い家族制度に縛られない純粋な愛の物語として見るもよし、家族について考えてみるもよし。一編の映像による詩のような1時間20分、批判するにせよ賞賛するにせよ、いろいろなことを考えさせてくれる類まれな映画であることは間違いない。

 何かの硬直したフレーム、あるいは先入観のおかげで、本当だったら見えるはずの大切なものが見えなくなることがある。
 上映後、学生たちとこの映画について話して感じたのは、彼らの感覚の屈託のなさだった。たとえば、彼らにとって韓国という国は反韓・嫌韓の対象でもなければ、特別な何かがあるわけでもなく、つまりアメリカやフランスと変わらない「普通の外国」らしいということだった。日韓の間で今もわだかまりが残る植民地支配、戦争責任といった言葉は、言われてみればそうかもしれないけれど、という程度の遠い昔のできごと。サッカーの競技場を埋め尽くす太極旗も日の丸もオッケー、スポーツなんだから、と。
 こうした若い学生たちに対して「歴史的センスの欠如」と批判するおとなもいる。たとえば日韓の「特別な過去」について。しかし、おとなたちのそんな「硬直したフレーム」が、ありのままの韓国を理解する障害になっているのではないだろうか。それは同時に、歪んだ反韓・嫌韓感情の基礎にあるものなのかもしれない。

 この映画の日本公開が遅れているのは、最近のぎくしゃくした日韓関係により、映画館側が集客に不安を感じているからだという話も聞いた。少し前なら「韓国映画」という宣伝文句だけで、韓流マニアを中心にある程度の観客を集められたかもしれないが、今はその「韓国映画」がむしろ公開の障害になっているというのは皮肉なものだ。
 しかし、映画館はそんなことを心配する必要はない。この映画が日本で公開された時、座席を埋めるのはおそらく韓流マニアでも、「韓国」について何かの先入観を持っている人でもない。きっと韓流への興味もなく、日韓で何が外交問題になっているのかも知らないような、ごく普通の日本の若者たちが座席を埋めてくれる。

文責: 安田(ゆ)


Created by Staff. Last modified on 2015-07-18 07:16:21 Copyright: Default

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