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福島から逃れた人たちの声(2)

三月三十日。
朝十時。スーパーアリーナにはマスコミのカメラが押しかけていました。
今日明日の二日間で、二千人近い被災者が、一挙にこの場を退去していきます。
毛布や荷物のパッキングを手伝うボランティアが大勢集まっていました。
「引越し」の準備であわただしい中、話を聞かせてもらいました。
(江東拓美)


****************

●農家をやっていた女性

(窓越しの陽だまりの中、外を眺めながら)
「ここは本当に暖かいですね。私たちはまだ恵まれてます。
被災地に残された人は寒い思いをして、申し訳ないなと思いますよ。
川俣町に避難することになったのは十二日。何も持ち出せませんでした。
すぐ家に帰れると思ってたんです。
避難の理由は聞かされませんでした。放射能のことを知ったのは、その翌日でした。

「双葉町で畑と田んぼやってたんです。
いいところなんですよ。米はうまいし、お魚もたくさんとれるしね。
アイナメ、シラウオ、ホッキ・・。お魚はなんでもおいしいね。
ヒラガニなんかもね、ズワイガニよりおいしいんです。
きのこもとれるし、山菜も・・・。
福島の中でも雪が降らないとこだから、気候もよくてね。
本当にいいところなんです。でも、もう何もできない。
放射能に色がついてたらよかったんですけどね。
一からやり直しです。

●包帯で腕をつっていた女性

「うちはけっこう家が崩れて、そのとき腕の骨がズレたみたいなんだけど、
夢中で逃げて、病院に来れたのは埼玉に来てからです。
地震のときは、勤務先の病院にいました。
産婦人科の病棟で、分娩中の女の人なんかいて・・、本当に怖い思いをしたと思います
よ。

「私は嫁いだ先が双葉町で、三十年住んでいます。
原発は今までにもいろいろ問題起きていて・・・、ずっと不安でした。
家族や近所とも、よくそんな話はしてました。
今回の地震で「緊急停止した」と報道されたときも、絶対うそだと思った。信用できな
かった。
原発に反対してる双葉の人、多かったですよ。
一つ前の町長は、原発反対を掲げてたから当選したんです。なのに途中で考えを変えた

お金、もらったんでしょうね。それで、人が信じられなくなった。

「地震だけだったら、やり直すこともできたんでしょうけどね。
怒りのやり場がないです。
東電は謝りませんね。謝られて済むもんじゃないけど、まず謝るべきでしょう。
地震だけならここまで不安じゃなかったけど、放射能のことは真っ先に不安だった。
これからのこと考えたら、まっくらです。

●六十代男性 ダンボールの荷造りを終えて

「今日で‘さいたま市民‘も終りだな。明日から‘加須市民‘だ。
加須でもどこでも行ってやっぺ。
畑、貸してくれるって言われてる。

「おれたち差別されてんだ。放射能を持ち込むなとか言われてるみたいだ。
いろいろとな。ここにいりゃあ、ピンと来るべよ。
この年になって、人サマに米食わしてもらうとは思わなかった。
福島に、どんだけ米あると思ってんだ。

(一緒にいた奥さんが「何聞きたいの。聞いて何か変わるの?
起きちゃったことはしょうがないでしょう」という。)

●初老の夫婦

(フリーター労組の人たちと「福島原発を廃炉に!」という署名を集めているときに近
づいてきて)
夫「加須の避難先に来て、ちゃんと生活保障をしろっていう署名やってくれよ。
そうすれば、全員署名すっから。
原発を廃炉に・・っていうより、福島の人らが考えてんのは、まずこれからの保障だよ

七号、八号機を作るなって?そんな運動わざわざしなくても、絶対作れっこないよ。
福島の人、みんな怒ってるよ。

「原発たったことで、いいコトなんかなかったよ。
役場が豪華だったりするだけで。
原発が出来るとき、俺は説明会にも行ったんだ。
何かあったとき逃げられるように、原発から放射状に何本も道路作るって約束だったん
だよな。
ところがそうじゃなかった。そんな道路作ったら「危険だ」って認めることになっちゃ
うから。
今回だって、川俣町へ逃げるのに一本しか道路がないから、大渋滞。
一時間でいけるところが、四、五時間もかかって大変だった。

妻「福島原発は二十五年たったら、そこつぶしてテーマパークにするって約束だったん
ですよ。
それなのに四十年も使って。
県知事がプルサーマル計画に賛成して・・。
そしたらこうなっちゃったんですよ。

「福島原発の電気は、長い送電線使って、東京の人たちに使われてるんですよね。
私たち、事故にあったけど、わたしたちは福島原発の電気、使ってないのよね。


******


スーパーアリーナには「頑張れ!福島」「ありがとう!さいたま」という寄せ書きが貼
り出されていました。
感謝の思いがある一方で、福島だけを「放射能の被害者」扱いするあり方に、疑問を感
じている人も少なくなかったように思います。
福島の人たちは、今まで築き上げたものを奪われました。二週間の避難所生活は、自分
たちの身にふりかかってしまったことの意味を考え、これから先に向かっていく覚悟を
固めなくてはならない日々だったのです。
でも、これはわたしたち東京や埼玉に住む者にも問われていることです。
「被災地から逃れてきた人たち」は一歩先を歩いているにすぎない。・・わたしにはそ
う思えてなりません。













Created by staff01. Last modified on 2011-03-31 08:14:33 Copyright: Default

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