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批評家「泣かせ」の大絶賛映画「グラン・トリノ」
あふれ出す涙の後に残る「?」

 映画批評の禁じ手の一つはラストシーンについて書くことだ。しかし映画によってはラストに核心を表現したものがあって、そのことを問題にしないとただの宣伝文に堕してしまうこともしばしばある。

『キネマ旬報』2月下旬号で日本映画評論家など65人が昨年度のベストテンを選考している。外国映画の1位はクリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」。この映画は公開時から多くの識者が絶賛していたので予想はしていたが、それほど高く評価されるべき作品なのか、筆者は以前から疑問を抱いていた。そこでこの機会にあえて禁じ手の場面に触れることにする。

 主人公はイーストウッドが演じている元自動車工。アジア系移民の少年一家が隣に越してきて、同じ移民仲間の不良たちといざこざを起こしたとき、横あいから銃で脅したことで、彼は不良たちと争うはめになる。争いはエスカレートし、ついに彼は“敵陣”に乗り込み殺される。だが、それは彼が銃信仰社会の申し子のように、いつも相手に銃を突きつけていたから、最後のときも胸に手を入れたので、不良たちは撃ち殺されると錯覚したためだ。銃弾を受け、倒れた彼の手には銃ならぬライターが握られていた。

 主人公はがんを患い、死期間近だった。少年一家を救うことと同時に、潔い死に場を求めていた。彼はどっと十の字形に倒れる。まるでキリストの受難像のように。逆に不良たちは無防備な人間を殺したとして「重罪」となることが暗示される。

 忌憚なくいえば、この映画は白人のカウボーイが善良なインディアンのために無法なインディアンを懲らしめる態の現代版西部劇にすぎない。それもこれまで正義の名の下にアジアにお節介を焼いてきた大国の論理と少しも変わらない。パターナリズムである。主人公の死からは自分を英雄視するナルシシズムさえ臭ってくる。もっとも監督の「泣かせ」の術は相当なもので、これには参る。(木下昌明/「サンデー毎日」2010年3月7日号 )


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