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どたばたどんどん涙ぽろぽろ8人の総合病院労働生活

[イシュー(1)]賢い病院生活

パク・タソル、ウン・ヘジン、チョン・ウニ記者 2020.09.28 10:09

[出処:ウン・ヘジン記者]

コロナ19はリトマス紙だ。 韓国社会の弱い輪が次々とあらわれる。 その一つが医療だ。 韓国の医療機関の90%以上は私立だ。 それでもたった10%の公共病院だけがコロナ専門担当病院に指定された。 病床90%は民間病院が所有している。 しかしコロナ患者の96%は公共病院で治療を受けた。 公共病院は患者であふれかえった。 治療を受けられずに死亡した急病患者も発生した。 コロナ19保護具の着用法から重症患者看護法まで、 教育も受けずに投入された医療人員もいた。 政府はK-防疫を口にして防疫に自負心を表わした。 だが保健医療労働者たちは「錯覚効果」だと指摘する。 医療労働者の犠牲を見ない結果だった。

自然と公共医療を増やせという話が出てきた。 だが政府は医師の定員数を拡大すると言いながら急造の政策を出した。 医者は増員にストライキで対抗した。 それも労働条件が最も悪い専門医が中心になった。 一気に韓国の医療が応急状況になった。 彼らの綱引きは政府の失敗で一段落したが、社会に大きな傷を残した。

しかし公共医療政策の話に、なぜ医師の声だけが大きく聞こえるのだろうか。 医師は公共医療労働者の全職群を代表していない。 例えば、最大の国立大病院であるソウル大病院の医師職は1835人で、 全体人員の4分の1を越えない。

「ワーカーズ」は総合病院の保健・非保健医療労働者の話を聞いた。 総合病院で働く8人の話だ。 専門医、看護師、看護補助者、介護人、患者移送労働者、美化労働者、給食労働者、病院労働組合活動家。 彼ら皆の賢い病院生活を調べる。 この話は実際の人物とのインタビューを基礎にした。 名前はすべて仮名で、身元が露出しないように脚色された。

どたばたどんどん涙ぽろぽろ8人の総合病院労働生活

トヒ

午後3時30分、デイ勤務を終えたトヒは、家に変える前に工房に立ち寄った。 人類愛が消える時、トヒはしばしば工房に立ち寄って編物の材料を買う。 編物に集中していると相次ぐ考えが止まる。 多様な色と太さの糸を見るだけでも、それ自体が楽しかった。 編物の完成が疑いなく成就につながるのも良かった。 異変なく、暖かい何かが残ることが良かった。

看護師の仕事を始めていくらかは、ストレスを解いて恐れを忘れるために酒を飲んだ。 看護師のミスは患者の健康と生命に直結する。 だからミスがあってはならないが、教育時間は短かく、責任は全て個人に押し付けられた。 それまで感じたことのない出来ない強度の不安と恐怖を初めて知った。 同期も似ていた。 トヒはそのように何かを忘れようとするという点で、酒と編物の間に共通点があると考えた。 病院では忘れたいことも多かったが、仕事の中には絶対忘れてはいけないこともあった。 初めて病院で会った先輩がいなければ、 トヒは病院現場から離れた遊休看護師になっていたかもしれない。 尊敬する先輩は苦しい質問にも、助言を求めることにもいつも心から話てくれた。 「ピンナ」という名前を持った先輩は、病院で一人で輝いているようだった。 そうして光り続けて、私たちがここにいる、私たちはここで世の中を照らしていると言っているようだった。 看護師として持ちたかった自負心、ときめきで震えていた気持ちが破れそうになると トヒは先輩のことを考えた。

看護師生活4年目、コロナという伏兵と会った。 地域の公共病院のトヒの病院が感染病専門担当病院になり、 トヒが働いていた病棟がコロナ専門担当病棟に変わった。 そうしてトヒはコロナ19と一番近い人の一人になった。 トヒは30分早く出勤して患者の状態を把握して、 仕事の優先順位を決めることから始める。 こうしたウォーミングアップの過程は超過労働でもあるが、労働時間に含まれない。 前のデューティー看護師からの引き継ぎを受けて本格的に仕事を始める。 コロナ状況室で担当患者と有線で連絡しながら、不便なことがないのかをチェックして、 医師のオーダーを受ける。 入院患者を手続きに合わせて入院させること、 退院患者のために書類を具備することなどを一緒にする。 保護服を着ている時間は一日2〜3時間程度だ。 患者の食事の面倒を見て、点滴が入っているのかをチェックして、 酸素呼吸器に問題がないのか調べ、 挙動が不便な患者の体位を変え、おむつをあてる。

トヒもコロナ状況に慣れていった。 保護服を着ていくらも経たなかった時は、一日が遙かだった。 ウイルスの侵入を防ぐための保護服は足を入れるとすぐ汗が出る服だ。 運動服のような服を着て一日二三時間程度、コロナ患者の世話をすると 頭からつま先まで汗が流れた。 それでもトヒを守ってくれる保護具である保護服を着て働くことには、 ある程度適応できた。 痴呆患者が殴りかかったり、服をつかんで破ろうとする時があるので不安だが、 だから痴呆患者ではないかと考える。

トヒが太い針を持って手慣れたように糸を編んでいく。 きびきびとした手の動きが続き、細かく糸が編まれていく。 トヒは糸を編むきびきびとした手で明日も患者を世話するのだろう。

スクチャ

黒い髪のウェーブが格好良く巻かれたスクチャは介護人事務長だ。 紫の宝石のネックレスが彼女も立派な女史だと言うかのように輝く。 彼女は昼には仕事を斡旋して、夜には介護の仕事をする。

介護人はお母さんがみんな家長だ。 夫がいない人が唯一多く、いてもその年齢の男には仕事がない。 子供もみんな非正規職で、自分の暮らしに忙しい。 定年を遥かに越えた六十、七十のおばあさんが二十四時間働く。 患者の痰や糞便を取るが、それよりさらに受けるのがいやなのはカプチル(パワハラ)だ。 「金を払って働かせてやる」というお金の嫌がらせが少なくない。 時には男の患者の手がすっと入ってきたりもする。 いくら気を付けていても、いつどこで移されたのかわからない病原菌に感染したりもする。

[出処:チョン・ウニ記者]

それでも患者が眠ると背を丸くして寝る。 一日中常駐しているので、卑屈になる。 電子レンジで温めた飯に何種類かのキムチ、イワシの煮物で目を気にしながら飲み込む。 食が不十分なので体調もすぐれない。 24時間働いても稼ぎは一日9万ウォン、1か月に100万ウォン、 多くて150万ウォンを取る。 たまの休日には溜まった家事で終日忙しい。 それでも金さえ稼げれば幸いだが、手首、肩、腰、膝が痛む。 患者を起こして手首を傷つけたおばあさんが多い。 だが特殊雇用従事者なので医療保険も労災も受けられない。訴えるところがない。

スクチャは看病労働者が保健福祉部と団体交渉をしなければと考える。 病院の人員はいつも不足なのに、介護人が不足でないわけがない。 看護師の仕事が暴走するだけに、介護人も大変だ。

「秋夕の時に子供を待って、仕事も休みたい。 それでも仕事があればしなければならない。 『家族がいないからあんなに働いている』そんな考えに追われないでほしい。」

誰かはしなければならない仕事で、必要な仕事だ。 介護の仕事は罰を受けるように、身も心も苦しい仕事だ。 介護人がいなくなれば病院が動かないが、病院はそれでも認めていない。 食券も、せめてインフルエンザ予防接種も自腹で受ける。 患者と共に生活するのだから介護人に必要な物品も多いが、 そんな物を置く空間もない。病院での介護人の存在は影と同じだ。

キフン

「ごちそうさまでした。おいしかったです。」 患者は時々メモを残した。 清潔ではないメモ紙に、精魂を込めて書いたその字を読んで、 キフンは職業的なやりがいを感じた。 調理学科を卒業してすぐホテルの食堂で働いた彼は、 病院の患者食を作る仕事を続けられるか確信がなかった。 患者食は一般食だけでなく、治療食もある。 健康な人が治療食を食べると「まずい」という言葉が自ずと出てくる。

[出処:ウン・ヘジン記者]

病院給食労働者約120人は、食事のたびに800人分の食事を作る。 5年前、キフンが正規職として採用されて病院にきた時までは、 このうち20〜30人は時間制労働者だった。 当時までは順番があるかのように、 病院は正規職の退社者が発生すれば長く働いた人から一人ずつ正規職に転換した。 だが正規職転換闘争で昨年11月、みんな正規職になった。

労働者は病院の職員であり、患者だ。 大容量の調理をするので誰もが筋骨格系疾患があり、順番に病暇を使わなければならなかった。 病暇者の空きは時間外勤務で埋めた。 週末に一緒に釣りもして、運動にも通った同僚だった。 しかしキフンの病院で確診者が出る前、 同僚は「確診者1号」にならないために、できるだけ出会いを避けてきた。

ただでさえ落ち着かない病院なのに、医者が診療まで拒否し、病院はこれを支持した。 「今、診療していますが、心では医大学生、専門医、専任医の団体行動に賛同します」と書かれた受納処の立て札は、 病院全体の声のようについていた。 重い患者の家族がいるキフンは、医者たちが必須医療人員まで引き上げた状況が信じられなかった。 急に悪化する状況になれば、すぐ病院を訪問しなければならないが、 普段通院していたセブランス病院は他の病院に行けと通知した。

医師の集団行動でマスコミは代表的な国立大病院のキフンの病院に焦点を合わせた。 実際に、医師の診療拒否以後、ざっと見ただけでも患者数が半分に減った。 手術、患者数が減り、自然に仕事も減った。 仕事がない部署は強制的に休暇に出した。 この事態は医者が主導したが、まとめて非難される気がしてストレスが溜まった。 病院は患者が減って赤字経営が予想されるとし、 現在進行中の賃金団体協議で賃金凍結を主張している。 コロナ19でみんな苦しいとし、労組の譲歩を引き出そうとしている。 仕事が減っても患者はいるし、キフンと彼の同僚は病院を守ってきた。

地下1階の調理室から病棟に上がったある日、臥病患者が自分の手でご飯を食べた。 この患者はキフンが作ったご飯とおかずを食べて回復し、病院から出ることができた。 労働者にとって飯は賃金だが、賃金凍結を簡単に話すとは。 キフンはそんな人のご飯を少なくしたいと考えた。

セヨン

大学病院のD病院は、セヨンを看護補助者」と呼ばない。 セヨンと直接対面することが多い医師と看護師は、セヨンを「社員さん」と呼ぶ。 私たちの間では「先生」だが看護補助者に「先生」の呼称を付けると一大事になるかのように話す。 看護補助者は同僚にしてもらえないのか佗びしい気持ちになる。 医師の放言は若い時は耐えられないほどだった。 家では皆優しい息子なのだろうが、病院では性格の良い医師は探すのが難しかった。 セヨンは一人も体験したことがなかった。

だがセヨンは次の世代の看護補助者のことを考えて、 こうした考えを努めて消そうとする。 セヨンはD病院のほとんど最後の正規職看護補助者だ。 セヨンの次に病院が選んだ看護補助者は、すべて非正規職だった。 正規職看護補助者がやめても、その場は非正規職で満たされた。 同じ非正規職看護補助者も病院直属の看護補助者と用役業者から派遣された看護補助者の処遇が違う。 派遣された看護補助者はどんな手当てもなく、最低時給に合わせた給与を受け取る。 その中には休み時間もなく、食事もしないで飛び回るぐらいなら、 コンビニのアルバイトのほうがましだとし、3日も経たずにやめる人も多かった。

雇用が切実な人は期間制勤労者が最大通える2年をずっと満たした。 そんな人の中にはしばらく出て行って、また入ってきて、2年通って、 そうして4年を満たして出て行った人もいる。 非正規職看護補助者もそうだが、大学病院の正規職看護補助者だと言うと人々は羨んだ。 病院の福祉は一括的に適用され、年俸も毎年上がった。 個人病院で治療を受けたことがあるが、 看護補助者が直接注射をするのを見て自ら恥ずかしくなったこともあった。 セヨンよりはるかに少ない月給で働いているはずなのに、 本当にいろいろな仕事をしているのを見て浮かんだ考えだ。

階層が強い病院では、看護補助者は弱体の一つだったが、 若い時は嫌で恥ずかしいという気がしてやめたくなることも多かった。 だが時間が過ぎるほど、こんな雇用はこれ以上求められないという考えで、 やめるという考えは贅沢になった。 不満や問題があっても言葉に出さなかった。 運良く正規職になって非正規職看護補助者の月給の何倍も稼ぐ、 という話を聞くのではないかと、口先まで出た言葉を飲み込んだ。

セヨンは仕事が慣れるより忙しいことが慣れることだと考える。 3交代週40時間、聞くには遵守している労働時間だが、休む暇もなくあふれる仕事を 毎日8時間ずつ耐えるのは容易ではない。 仕事を始めればセヨンの業務用フォンにはオーダーが入り始める。 「xxx様X線撮影」、「xxx様手術準備」のようなオーダーが入り、 仕事は3〜4つが重なる時が多い。 看護補助者人員も多くないので仕事に過負荷がかかるのは基本だ。 病院を走り回っていると、いつのまに退勤時間だ。 「膝よ、定年まで粘ってくれ!」

キョンジャ

キョンジャはコロナ19病棟の清掃労働者だ。 家から30分かかるコロナ病棟に到着すると、 ゴーグルとマスク、2枚重なった手袋をはめる。 最後に保護服を着るが、この服は着た瞬間脱ぎたくなるものすごい服だ。 T病院で7年働いているキョンジャはコロナ19清掃では最古参だ。

看護師室、ステーション、廊下、貨物室の順序で清掃をするとすぐに3時間経ち、 鼻水や涙はもちろん、全身に汗が流れる。 保護服の中で汗が流れるたびにピチャピチャ音がするほどだ。 消毒を終わらせて12の病室から出た廃棄物をまとめる。 一か月前までは廃棄物の排出業務は看護師の先生がしていたが、 人手不足で64人の清掃労働者のうち20人が投入された。 一階に1〜2人が配置され、隔日制で勤務している。 退院する人が増えればゴミも増える。 一日三食提供される弁当容器、毛布、ベッド カバー、服を入れると 35リットルの廃棄物袋が70以上になる日もあった。

キョンジャは病院で働く前は、長い間痴呆の母の面倒を見ていた。 一日は母の治療のために医療院の待機席に座り、 女史様と言われて働く清掃労働者を見てうらやましいと思った。 7年前、また世の中に出てくるために選択した仕事は、 キョンジャの人生に活力を与えていた。

キョンジャは清掃をしていても、眠れずに二転三転する患者に慰めの言葉をかけたりもする。 患者がひどく痛みを感じれば気になって、知らないうちにする行動だった。 病気の母を長く世話してきたし、共に苦痛を分けあったので、 彼女にとって患者は完全な他人ではなかった。 医者がストライキをするといった時、 必要なことだろうと察したが、理解はできなかった。

[出処:ウン・ヘジン記者]

昨年の6月には一緒に仕事をしていた同僚が亡くなった。 シム先生は12日連続勤務中に肺炎にかかり、敗血症になって死亡した。 シム先生は2人勤務原則の病院医療廃棄物の清掃業務を一人でした。 同僚の死亡の原因について、キョンジャの労組は「過労死」だと主張したが、 病院は「持病」のせいにした。 シム先生は男性だったため、地下3階の荷役場で働いた。 キョンジャはシム先生がまだそこ立っているような気がする。

キョンジャも当時、同僚が死亡した原因を明らかにするために共に闘争し、 今は「闘争しよう」と言えば同僚が信じて付いてくるほどの組合員になった。 だが、すでに来年1月には定年になる。 ずっと働きたいが、年齢が高すぎた。 これからずっと働きたい気持ちで仕事が多くても黙々としている。 あと二十人いれば、キョンジャも同僚も、病気にならずに働けるようだ。

チェヒョク

チェヒョクは毎朝、堂山駅から始発に乗る。 こうして出勤すると午前6時から午後6時まで、ずっと働き続ける。 当直のときはさらに12時間働く。 1か月におよそ8回〜10回当直をするが、 労働時間にすれば週80時間以上だ。 収入は1か月390万ウォン程度。 労働時間を考えれば最低賃金だ。 どうせ金を使う所もない。 週80時間労働をすれば、人生には仕事と睡眠しか残っていない。 患者の1人1人の世話をするのも不可能だ。

チェヒョクが医者になった動機は漠然としている。 いつからか自分のためだけに生きたくないと考えた。 生物や生命に関心があって医学の勉強を選択し、 1億近い登録金を払ったおかげで医者になった。 チェヒョクはもう役に立つ医者になりたい。 労働者の健康権と権利のために役に立つために、 チェヒョクは最近、職業環境医学の勉強を始めた。

チェヒョクは最近患者から有難いという言葉をよく聞いておちつかず、恥ずかしい。 チェヒョクは医師ストライキに参加しない病院内唯一の専門医だった。 他の専門医100人ほどはすべて参加し、 今後の関係が刺々しくなることが予想されたが、 ストライキに参加して後悔するよりも、そのほうが良かった。 今までは幸い誰かが文句を言うこともなかった。 報道機関の記者がきてストライキに参加しない理由を聞かれたこともある。 チェヒョクは考えてきた言葉を吐き出した。

「口では国家のためにと言っても、医師数の増員にボタン押されて出てきたのでしょう。 名分も代案もなかったんですから。 しかし現実を見ると医師数はとても不足しています。 仕事の分配や勤務時間も調整も必要です。 他の職種も同じでしょう。 みんな業務量がとても多い。 病院が患者数を調整しなければいけないのに、利益のためにそうしません。 その中で、ただ機械の部品になった感じ。 病院が大きければ大きいほどひどいのです。 一度は課長さんから怒られたことがあります。 すれちがいざまに話しかけたというのです。 自分以下、看護師だけで30人なのに、 インターンのくせに生意気に話しかけるのかと言いました。 位階構造も強固です。」

チェヒョクはストライキに参加した専門医が一面は理解もできる。 医者になるのは大変で、お金もたくさんかかる。 補償心理が強いのだろう。 だがどうしてもさらに機会が多い人が公正性を話すのは間違っているようだ。 病院の90%が民営であるように、医者も市場論理に陥っている。 教育もその方向を擁護している。 役に立つ医者になる道は簡単ではないと思うチェヒョクだ。

チョンフム

患者に殴られることはあったが、チョンフムは対応するのが面倒だった。 夜に働くと酒に酔った患者に殴られたりもするが、今日がその日だ。 退勤しようとすると、他の職員が申告したのか、警察が陳述書を書くと言って近付いてきた。 面倒なことだ。 翌日、加害者は容疑を否認した。 すると昨日来た加害者の息子が 「お父さんがやった」と泣きわめいた。 加害者はその時、始めて殴ったことを認めた。 チョンフムは告訴するつもりもなかったが、 子供を見て許すことにした。 チョンフムが働いている医療院は公共病院なので、ホームレスもよく来る。 彼らを治療するために体を洗って髭をそることもたびたびあった。

チョンフムは「思ったとおりに言う」要注意人物だ。 入社前、個人事業の保証をしたおかげで苦労したことがある程、 海千山千あらゆることを経験した。 そんな彼は酒暴は適当にやりすごすが病院には唯一剛性だ。 2016年、チョンフムは数人の組合員と共に病院を相手に訴訟をして、 翌年不当解雇された。 病院が期間制労働者の賃金を差別したためだ。 病院に反旗を翻すと、すぐに解雇されたが、彼は復職闘争の末に病院に帰った。 その過程で2017年5月にチョンフムが所属していた労組は ソウル市、病院と正規職転換について団交をして、 その結果契約職労働者全員が無期契約職(公務職)に転換された。

公務職になった期間制労働者は各種の手当て、成果給を受け取れるようになった。 以前の賃金分も遡及した。 しかし給与体系ではない。 チョンフムが働く応急センターの患者移送労働者の中には正規職もいる。 公務職のチョンフムと正規職は、交代勤務はもちろん、同じように働く。

骨折患者が応急センターにくれば、レントゲンを撮らなければいけないが、 簡単なことではない。 放射線技師と呼吸を合わせて、患者のあちこちの写真を取るには、 力だけでなく要領も必要だった。 チョンフムは普通一日に50人ほどの患者を検査室に移送するが、 彼らの60%は追加検査を受ける。 応急センターの患者の70〜80%は一人で挙動が難しいので 患者のからだを持ち上げなければならないことが多い。 年を取ると無理があった。

チョンフムの病院は1月にコロナ19専門担当病院に指定されて、 閉鎖された応急センターでは選別診療が行なわれている。 チョンフムは一般患者からコロナ19の人員に投入された。 コロナ19の検査後に検体を検診センターに渡し、 応急センターから必要な物品を持ってくる役割を果たしている。

コロナ19の前にもチョンフムは他の職員が忙しくて退勤できなければ、 できるように手伝ってから病院を出たりした。 8月にコロナ19の2次大流行で病院患者が急増した。 もしまたコロナ19の患者が急増して看護師の業務が増えれば、 患者移送労働者はコロナ19病棟内の業務を補助することにした。

ミレ

ミレがまた労組の常勤を始めたのは去る5月だ。 看護の現場から、また10年ぶりにぬかるみのような労組に復帰した。 労組の仕事とは、看護師の仕事のような答はなかった。 いや、あるいはさらに深刻なのかもしれない。 看護師は8時間働けば、後は適当に引き継ぎをして帰り、 家では休むこともできるだろうが、 労組の仕事は穏やかで重たく、いつも生活を押さえ付ける。 主に問題を提起する、いわゆる「闘争すること」が多いが、 これさえ完璧な勝利はない。 すっきりしない仕事がどれほど力を奪うのか、ミレはよく知っていた。

ミレは看護師として働きながら、すっきりしない引き継ぎを見るととても腹が立った。 新規の看護師はたびたびやる気がなくなるような仕事のために辞めた。 午前10時に終わるはずのことが、どんどん溜まるとうまく片付けられずに涙しか出てこなかった。 逃げたい気持ちをなんとか押さえ込めば、その時から怒りが込み上げた。 新規を目の前にして大声をあげていじめたくなった。 我慢するだけ我慢したが、怒りは漏れ出て、新規もその怒りをいくらかかぶった。

労組を辞めた理由は、労組の仕事がつらいからだけではない。 労組の仕事と育児を併行して限界になったというのが正しい。 10年前、子供が病気になって、いくら病院に連れていっても原因がわからなかった。 子供を見てくれた実家の母も疲れていった。 その日も病気の子供を連れて病院から出るところだった。 注射一本を受けて泣き出したが、まったく終わりそうもなかった。 子供はお母さんのせいだと言って怒って泣いた。 またお母さんのせいにするのかと思ってなだめていると、子供が言った。 「お母さんのおかげで痛い。お母さんがいないからずっと痛い!」 その時、子供の病気は愛情の欠乏のためだなと分かった。 何週間か悩んで労組を逃げるように出てきて、また看護師の仕事に戻った。

組合活動はきちんとした。 毎年、組合の闘争には先頭に立ったし、 現場で看護師が体験する不当な問題があれば、共に問題提起する役割もした。 2年前からは代議員、交渉委員のような役割も引き受けた。 ミレにはしばしば相談の要請も入ってきたが、 ミレがそれだけ前に出ているという意味でもあった。

ウンジも相談を要請してきた看護師の1人だった。 その日、ウンジのひそかに笑う顔が妙にゆがんでいた。 ウンジは不眠症が激しいと打ち明けた。 眠れずに記憶力に問題が生じたとか、 激しいストレスのためなのか度々失敗するといった。 ある日は同僚さえ自分を嫌な目つきで見たといった。 「その日、何度もその目つきを思い出して眠れませんでした。 本来、睡眠剤一錠の半分を飲むが、その日は四錠を飲みました。 眠りたくて、目を開きたくなかったのです。 自分でも自分が変です。 しかし何をどうにすればいいのかわかりません。 そのまましたくないのです、どんなことでも。」

ミレの病院はコロナ事態で多くの人員を派遣に送ったが、 病院に残った看護師はとても疲れていた。 こうした時ほど労組の役割が重要だったが、 コロナの状況は闘争の方式もまた新しく変えろという宿題を投げかけていて、悩みが多い。 ミレはウンジのことを考えながら、また重い気持ちで交渉の準備を始めた。 今年は5人の増員に終わらせてはいけない。 3000人近い看護師が働く病院で、底の抜けた瓶に水を注ぐようなことは止めなければならない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-10-12 02:41:21 / Last modified on 2020-10-12 02:44:37 Copyright: Default

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