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ユソン企業で『人が人間らしく生きる』ために

[インタビュー]作業服に固執するユソン企業の女性労働者たち

特別取材チーム 2011.08.16 09:19

笑って、泣く、インタビュー中、ずっとそうだった。二回見せた涙は、子供と ユソン企業工場復帰者の話の部分だった。『悪いこともせず』工場の外に追い 出されたのもくやしいが、会社との戦いで子供の面倒を見られない罪悪感で泣 いた。闘争が始まり、工場に復帰した同僚を考えるとその背信に『腹が立って くやしいことには耐えられない』とまた泣いた。

自動車部品ピストンリングの出庫前に不良品の検査(検査課)で7年、多く16年を 勤めたユソン企業牙山工場女性労働者。毎日工場に出勤したキム・スヨン(32歳、 11年勤務)氏、キム・ユンギ(32才11年勤務)氏、イ・ミソン(34才、11年勤務)氏、 イ・ファヨン(29才、7年勤務)氏、チャン・ギョンア(30才、12年勤務)氏が笑っ て、泣きながら、座込場に出勤するようになってもう3か月だ。

それでも笑う

彼らは決死で作業服を着て座り込みする。金属労組ユソン企業支会の男性組合員 の中でも作業服を着て座り込みをする人々はいるが、たいていものすごい暑さに 半袖半ズボン姿だ。座り込みに参加する11人の女性組合員はみんな作業服姿だ。 上衣が変わるだけだ。

「作業服が楽です。また工場にいつ帰るかわからず、すぐ出勤しなけりゃ(笑)。 重要なことは作業服を着て闘争するのが原則だから。半袖も準備できず追い出 されたし。暑くて、上には違うものは着ても、ズボンは必ず作業服を着ます。 闘争の原則でしょう」。

ユソン企業の作業服と作業服が出会い、『社内カップル』が多かった。インタ ビューした5人のうち4人が職場同僚と結婚した。ピストンリングと20代の青春 を送った人々は、ここで結婚して、子供も産んだ。出会いを聞くと、あちこち でこの話、あの話が出てきて、ワハハと笑いが爆発する。

「毎日工場に閉じ込められて、会える男はそれだけでした。会社をこんな村外れ に作ったので、会いたくても会えるか(笑)」。

「退勤して酒飲んで、ストレス解いて、自然にそうなったし。兄さんたちが 『ご飯おごってやる〜』と言った(笑)」。

夫も工場に個別復帰せず共に座り込みをする。すると二人とも賃金を受け取れ ない。休みの日が同じで『休む時は一緒に休める』という点は良いが、合法な ストライキなのに、会社が夫婦に3か月の間賃金を払わないので生活苦は大変だ。 社内カップルでないミソン氏だけ夫が月給を受け取るが、『夫が稼いでいるけど 来月からは...』といいながら言葉をにごす。持たない者が生活苦を解決するこ とはどこでも似ている。

『私はマイナス通帳よ』、『子供の積金を解約して使います』、『契約積金を 解約しました』、『お金ないというと実家お母さんがいくらかくれました』、 『新郎が怪我をして、保険金200万ウォンが出たのでそれでカードを払いました』

李明博大統領のユソン企業労働者年俸7千万ウォン発言は結局嘘だと明らかになっ たが、それでも『正規職で勤続年数が長いから高額年俸を受けるだろう』と期 待するのは禁物だ。子供たちを保育園にやり、住宅ローンを返せばギリギリだ。

「私は勤続年数7年で、昨年に残業をちょっとやったので税金抜きで年俸3700万 ウォンでした。年末精算して、税金を引かれると、実際は約3千万ウォンほどで した。それもかなり残業したからです。私より長く働いた姉さんたちもいくら も受け取れません。勤続手当てはたいした額ではありません」。

▲座り込みが長くなれば長くなるほど髪の毛が短くなるなど労働者の姿も少しずつ変わった。劣悪な条件で闘争しても、笑いを失わない人々

ごめんね... 職場閉鎖の衝撃

狂いそうだと思ったという。どれほど気が動転すれば、ユンギ氏が四歳の息子 の誕生日を忘れたか。座り込みで、姑がよく子供の面倒を見てくれたが、電話 すると『ワカメのスープを作ったから食べろ』と言うのでびっくりしたという。 泣きながら『とてもとても申し訳なくて』という言葉を繰り返すばかりだった。

「一つも用意できませんでした。私はその時とても申し訳ありませんでした。 姑にもとても申し訳ないが、闘争はしなければ。最近、子供が突然性格が鋭敏 で過激になりました。男の子なのでその年齢ならそうかもしれないと周囲は言 いますが、突然性格が変わるので私が驚いて... その時は子を引き込んで申し 訳ないと。とても申し訳ないと言って泣きました。経済的な問題で苦しいが、 子供にちゃんとしてやれないことが... 夫にもとてもすまないと思いました」。

スヨン氏も子供を考えると涙で前が見えない。概して育児問題と暮らしは全的 に女性の責任なので、働く時も、闘争する時も、二重三重の苦痛が襲撃する。 5月24日、警察兵力が投入され、全組合員を工場から引き出して連行し、警察署 に閉じ込められ、この夫婦はやきもきした。保育園から子供を連れてくること も、任せることもできなかったためだ。「子供任せる所がなく、その時を考え ると...」と話し始めると、目がしらが赤くなるスヨン氏を見て、同僚が一言ず つ補った。

「私はそれでもお母さんが近くで暮らしているので。スヨンは周囲に誰もいな いから夫の姉に電話して、実家のお父さんに電話して、弟に電話して... 結局 京畿道の利川に済む夫の姉が迎えにくることになってひと息つきました。お母 さん、お父さんが迎えにくる時間なのに他の人がきたり、保育園で待たなけれ ばならないから、子供たちも驚いて当惑して。毎日その時間に迎えにきたお母 さんなのに...」

子供と一緒の時間が少なく、常に申し訳なくても他の人の生活ぐらい暮らそう とすれば、あるいは子供の未来のためには共稼ぎをしなければならない。終日 班に子供を任せたりもするが、彼らは『子供も夜間に預けるんです』と言って 笑う。

「残業をさらに2時間すると午後7時30分に終わるから。終日班に入れば10万ウォ ンより多く払うのですが、それでもいい子供の家があって、だめな所もあって。 構造上、残業をしなければ月給が少なく、残業をすることで少しは生活が良く なるから。結婚して誰かが見てくれない以上、個人の時間は難しいです。子供 たちを連れて集まってビールでも一杯飲み、家に帰ると夜10時。会社に保育園 などが福祉次元で必要なんだけど。前に女性たちが要求したりもしたのですが 男性中心の事業場でうまくいきませんでした。反対する人も結構いて」。

それでも今一番苦しいのは『職場閉鎖そのもの』だ。闊達なファヨン氏は、 『何もしなくても妙に疲れる』と、心の余裕がないと言う。前は子供に『どこ に行く?』、『何をする?』と聞き、一緒に時間を過ごす努力をしたが、無気力 な自分と向き合っている。ユンギ氏も5月18日に会社が一方的に職場閉鎖をして 『衝撃』を受け、警察兵力投入で工場から追い出された後、極度に敏感になっ ている。一度は夫に癇癪を起こしたが、『何の話をしたのか思い出せず驚いた』 と言う。ミソン氏も他の職場で働いている夫ととてもけんかした。

「職場閉鎖自体がとても衝撃でした。私たちがまた一週間工場の中にいた時は、 希望がありましたが、警察兵力に追い出された時は絶望でした。夫は組合員の 闘争が正しいことは分かるが、現実的に見て、こうして戦って切られればどう しようと心配しました。私は労組があったから、今まで職場があったのだから、 労組を裏切って個別復帰するのはよくないといいました。女たちは、結婚して 子供を産めば適当に判断して会社を止めるのが慣例です。そして私自身だけを 考えて戦うのではなく、子供もこんな労働者にならないと言えますか? 後で夫 に1年だけ時間をくれ、私を信じてくれと言ったら分かったといいました」。

個別復帰が一番少ない検査課

蛍光灯の下に座り、目でピストンリングの不良品を検査し、マーキング、包装 をする彼らは、大多数が筋骨格系疾患を抱えている。どこが痛いかと聞くと、 長い間蛍光灯の下で働くので、視力が急速に悪くなったり、肩、首、腰、手首 などがぞろぞろ出てきた。

ギョンア氏は筋骨格系疾患が労働災害と認められなかった時期、同僚と集団で 戦い、結局筋骨格系疾患を職業病と認めさせた。だが今、会社は『職場閉鎖を 理由』にギョンア氏夫の労働災害延長申請を拒否している。攻撃的職場閉鎖は 不法であるだけでなく、この二つは全く無関係なのに。

「2003〜4年に金属労組で筋骨格系疾患闘争をして、労働災害と認められず、ず いぶん戦いました。その時はユソン企業だけで100人ほどが集団で労働災害申請 をして、勤労福祉公団に行って立て籠もって闘争して勝利しました。今鋳造課 で働いている夫が腰ディスクで2月24日に手術しましたが、それも5月では労働 災害と認められました。まだ痛くて延長申請をしたのですが会社が職場閉鎖なので 延長できないといったそうです」。

さらにギョンア氏の夫は用役警備に殴られ、頭蓋骨が陥没した。彼女は用役警 備員の暴力性に身震いした。

「6月22日の朝、夫の友人が『00がグッドモーニング病院に行きました』と言う ので知りました。その時、会社が物量搬出するために用役警備動員して、組合 員22人が集団暴行されました。たくさん血を流した夫が頭を包帯でぐるぐるま いて病院に入院していました。夫は大丈夫だと笑っていましたが。子供たちが お父さんをとても好きなのに... 包帯がとれてから子供たちをお父さんのとこ ろに連れて行きました」。

▲6月22日用役警備員が労働者たちを集団暴行して、22人が重軽傷を負った。

つらい労働と会社の残忍さに怒っても、同僚と一緒だった会社生活が懐かしい。 誰が『検査課はとても雰囲気が良い』と言うと皆『そう』と言い返す。友人よ り近く、家族より多くの時間を共にする同僚たちだった。顔つき、いや目つき だけ見れば気持ちが分かる間だ。

「互いに見れば気持ちまで分かります。時々けんかもするけれど、とても雰囲 気が良いです。男女が混ざっているところもです。特に他の課と違い、働く所 が倉庫のようなところで働いているので、何をしても全て見えます。おいしい ものを持ってくれば皆で同じように食べて、話して」。

「休日以外はいつも見る顔ですから。週末に会って、子供たち連れて言って 食事もして。会社に行くと友人と会う感じ? 親しい姉さんと会う感じです」。

そうだからか、唯一検査課だけは個別復帰率が低い。闘争序盤に警察兵力に引 き出された後、何人復帰かしたが、長い間復帰する人なく座り込みをしている。 女性労働者は序盤に3人復帰した後、一人も復帰しない。なぜだろうか。

「誰かが検査課は28%で復帰率が一番低いと言いますが... 家族のような部署の 雰囲気もありますが、残っている理由はたった一つでしょう。労組が生きなけ れば私たちの労働者も生きられないと知っているから。それを知っているから 座り込みをして、個別復帰せず残っているのでしょう。復帰した人々はそれを 知らないから復帰したのでしょう。いや、知っていても自分と労組は関係ない と考えてしまうんです」。

「女は子供を産むと、その日退社して行きました。結婚すれば会社に通えませ んでした。私たちの力で作った労組の力で、私たちの権利を勝ち取るのですか ら、裏切ってはいけません。われわれは育児休職も1年あります。労組が私たち に本当に必要だということを知っているので、われわれは残っているんです」。

「労組なく、個別復帰したこと自体が結局、工場に戻れないのと同じです。 労組が入る日に私たちも入る、皆同じく入るという一つの気持です」。

大切なものは守る

人が嫌になるのは容易ではないが、一瞬だ。そのうちにいつのまにか記憶から 忘れられて『いない人』になってしまう。個別復帰者への今の彼女たちの考え がそうだ。

「初めは背信に興奮していましたが、職場閉鎖が長くなって... 理解するとい うのではなく、あの人たちをどうするというのでもなく、時間がたって忘れら れます。どうせ会わない人で、工場に入っても互いに知らないふりをする人で、 話をかけもしない透明人間」。

「他の課は座り込み中に復帰した人も多かったが私たちは初め裏切って何人か が戻った後、復帰した人はいません。少なくとも申し訳ない気持で復帰した人 はいても、序盤に復帰した人は私たちに申し訳ない気持もない、骨の中まで利 己的な人たちです」。

特に出産休暇中の同僚二人が思い出され、個別復帰者の姿が重なる。誰も予想 できなかった会社の職場閉鎖、その前日、休暇の間に同僚は出産を目前にして、 工場の前でそわそわしていた。

「大きな腹で工場の前にきて、泣いて。『00さん、これでは子どもが大変なこ とになります。はやく家に戻りなさい』と言って何度も送りかえしました。 みんな驚いて...」

『私たちがここに残った理由は...』と話しながら、涙が流れた。会社とはどう せ戦わなければならないが同僚とは簡単にそうはできない。憎しみが大きくて も同僚だから、大切なら大切なほど守らなければならないものがある。

「率直に、私たちは今お金が重要ではありません。どうせ個別復帰した人々は 自分一人だけ楽に暮らすといったのでしょう。この世は金がなければ暮らせず、 金がなければ無視される汚い世の中だということは誰もが知っています。それ を知らない人はいますか? それでも私たちがここに残った理由は... 金が重要 なのでなく、少なくとも人間らしく生きるために。労組があって、人が人らし く生きられるから。それを捨てて、何十年も一緒に働いた同僚を捨てて行った ことが私は本当に...」

「私たちが残っている理由は、労組を守ること、それ一つです。そう考えれば 個別復帰するはずがありません。復帰した人々は同僚を捨てたのではなく、み んな捨てたのです。人が人らしく生きようとすること。それを捨てたのです」。

長い間の職場生活で、すでにお互いに多くを知っている労働者だ。誰が会社側 と近いのか、誰が民主的に労働者の権利を勝ち取るために先頭に立つのか、誰 が自分を抑え、皆のための声を出すのか、誰が黙黙と民主労組の原則に固執す るのか。午後5時30分には子供を迎えに間違いなく座込場から保育園へと足を むける彼らは話す。

「ユソン企業のユ・シヨン社長が作った御用労組。そこ入った人のリストを見 て『私たちに希望がないのではなく、あっちに希望がないな』という気がしま した。不安ではありません。われわれは一括復帰します」。(記事提携=メディア忠清)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-08-18 09:46:54 / Last modified on 2011-08-18 09:46:57 Copyright: Default

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