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釜山に発つ希望の旅程…「人が優先だ」

[派遣美術-現場美術]カン・ビョンジェとキム・ジンスクを訪ねる派遣美術

シン・ユア(文化連帯) 2017.08.02 12:00

釜山の影島にある大型造船所、韓進重工業は2010年12月15日、 経営悪化を理由に生産職労働者400人を希望退職させると決定した。 民主労総釜山本部の指導委員キム・ジンスクは「整理解雇全面撤回」を叫び、 2011年1月6日、韓進重工業工場内の85号クレーンに上がって高空籠城を始めた。 85号クレーンは2003年に整理解雇に反対して高空籠城をした韓進重工業労働者、 キム・ジュイク烈士が129日間の座り込みを続け、自ら命を絶ったつらい歴史がある所だ。

2011年3月、全国の労働者は道路で死闘を繰り広げていた。 巨済島では電流が流れる鉄塔の上でカン・ビョンジェが命をかけていたし、 才能教育の解雇労働者はソウル市庁で、 コルト・コルテックは仁川市富平で、 双竜自動車の解雇労働者の死は毎日毎日その数字が増えていた。

韓進重工業のキム・ジンスクの高空籠城がまもなく100日になる頃、 派遣美術チームは韓進重工業のキム・ジンスクの85号クレーンを訪ねて行くことにした。 高空で真冬を過ごしたキム・ジンスクに小さくても力を補うためであった。 クレーンの下で作業をしていれば、あの高い所からも見えるだろうし、 そうすれば何か慰めになれるという判断だった。 高い所から下を見下ろすことを考えると、全てを大きくしなければならない。 そうしなければ上からはっきり見えない。 横断幕も大きく準備し、クレーンに上げるTシャツも準備して出発した。

ソウルから釜山影島は遠い。 それぞれの自動車に絵の材料をまとめて集まった。 派遣美術チームという名前のため、美術家だけが集まるかのように思われるが、 実はわれわれは多様な人々だ。 詩人、病院管理人、画家、写真家、先生、そして私のような活動家まで、多様に構成されている。 そのためか、いつも話のタネが多くて意見も多い。 ソウルを出発したわれわれは、車中で、サービスエリアで、到着した現場で、 アイディアを拡大再生産する。 そうすればいつのまにか新しい作業が出てくる。 だがいつも現場の状況は私たちの想像とは違うことが多いので、 準備した作業よりも現場に到着して周辺の事物と状況を見ながら、 即席で作り出す場合の方が多い。

われわれは釜山へ行く途中、巨済島を通って行くことにした。 巨済島には大宇造船下請企業出身の下請労働者、カン・ビョンジェが工場正門近くの高さ45mの送電塔の18m地点に上がり、 非正規職撤廃と直接雇用などを要求して高空籠城をしていた。 韓進重工業の85号クレーン座り込み100日になる二日前の日、 巨済に到着したわれわれは、大宇造船の労働者から現在の状況についての話も聞き、 翌日の早朝設置する派遣美術チームの作業についての話も伝えた。 労働者たちと一緒にする役割も分けて、小さいながら私たちだけの意識を準備して夜を過ごした。

翌日の早朝、カン・ビョンジェと会いに行った座り込みの現場。 送電塔の下に小さな標識がついている。 154kVの電流が流れているという標識だ。 電流が流れる送電塔はものものしく、大きく高かった。 その間で小さく人の動きが見られたし、一目で危険に見えた。 私たちは大声で叫んだ。 「がんばってください!」 そして私たちは一糸不乱に動き始めた。 釜山に出発する前、「非正規職ない世の中作りネットワーク」が準備して渡された連帯横断幕を送電塔の下のあちこちに付けた。 そして大型懸垂幕の絵を広げて地面に敷いて、送電塔の上のカン・ビョンジェから見えるようにした。 「人が優先だ」 頑張って一緒に暮らそうという意味でもあり、 使用者側に送るメッセージでもあった。

イ・ユニョプとナ・ギュファン、そして共に闘争する仲間たちは、懸垂幕や横断幕をかける作業をした。 チョン・ミヨンは使わない横断幕を細かく切ってリボンを作り、周辺の鉄条網にかける作業をしたし、 イ・ユンジョンはハンカチに「人が優先だ」の版画を刷って旗を作った。 イ・ユニョプの版画「人が優先だ」の原版はハンカチとTシャツなどに刷れるようにあらかじめ準備をしていたし、 派遣美術チームはTシャツに刷ってあらかじめユニフォームのように着ていた。 チョン・ジンギョンは周辺に赤く咲いている冬栢の花びらを集めてイメージを作り、 私は昨晩、労組の事務室で拾ってきた使えないプラカードにスプレーで字を書いた。 当時TVに出てきた広告がある。 「疲労は肝臓から」という薬の広告だったが、私は労働者の疲労は「甲」のため(訳注:韓国語で「肝臓」は「カン」、「甲」は「カプ」)と書き直したプラカードを作ったし、 送電塔から見えるようにそれぞれが1文字ずつ持って地面に横たわなるパフォーマンスもした。 すべての設置が終わる頃、送電塔の下の座り込みテントに絵を描いた。 そして連帯集会(?)を始めた。 私たちだけの集会だった。 マイクを持ってカン・ビョンジェに向かってなぜ私たちがここに来て、何をしているのか話し、 大宇造船の労働者たちは今の現実と応援にきた派遣美術チームに感謝を伝えた。 最後にカン・ビョンジェの話も聞いた。 力がわくと言い、最後まで闘争して必ず良い結果にするという決心の声であった。

巨済島を離れる前にわれわれは記念写真を撮った。 2010年、文化連帯は普信閣で双竜自動車解雇労働者と毎日、文化祭を開いた。 その時に作ったイ・ユニョプの版画「倒れる人/解雇は殺人だ」のイメージがある。 このイメージは根を切られる木を連想させる絵だ。 われわれはすべての作業を終えた後、「倒れる人/解雇は殺人だ」のイメージを連想しながら、記念写真を撮った。 倒れる直前の危険な労働者を象徴する姿をまねるわれわれは、 何がそんなにも楽しいのか、げらげら笑いながら写真を撮った。 現場の労働者の反応もおもしろい。 私たちを見て、遠くからまねをしてみたり、倒れる人を支えてやったり、 倒れる人を押して倒したりもする。 どんな状況の中でも笑って楽めるわれわれは、派遣美術チームだ。

釜山影島の韓進重工業に行くために出発しなければならなかった。 送電塔に向かって両手をあわせて大声を張り上げ、離別を告げて出てくる足取りは、愉快ではなかった。 また空っぽの座込場の姿が胸の一角に寂しく感じられた。 送電塔の上で手を振る小さな人は、私たちが見えなくなるまで長い間、見下ろしていた。 恐らく車の音が遠ざかった後も、下を凝視していたかもしれない。 カン・ビョンジェはその後、88日間の座り込みを続け、 大宇造船(協力社)にまた就職する条件で使用者側と合意をした後に地面に降りてきた。

巨済を出発した派遣美術チームは気持ちがせわしかった。 韓進重工業のキム・ジンスクに会いに行かなければならなかった。 すぐ翌日が85号クレーン高空籠城100日になる日だからだ。 影島橋を渡って到着した工場は、私たちが想像していたよりはるかに広く、規模はものすごかった。 韓進重工業使用者側は外部の出入に少し緊張しているように見えたし、 正門横の警備室で長いこと話してやっと工場に入れた。 工場の中で建造されている船を見て、われわれはその大きさにとても驚いた。 それが見えると壁なのかと思うほどであった。[続く]

付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にものせられました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-08-07 05:19:39 / Last modified on 2017-09-10 23:35:53 Copyright: Default

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