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韓国:[寄稿]希望のバス乗客に差し上げる文 | ||||||
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「多くのキム・ジンスクが負けると思ったことはありません」[寄稿]希望のバス乗客に差し上げる文
ソン・ギョンドン(詩人) 2011.11.15 15:41
![]() 我を忘れて春夏秋が過ぎた。考えてみると、事件がない日は一日もなかった。 秋になると、目を開くだけで涙が出る一週間もあった。 これほど絶望的な時間をキム・ジンスク先輩とパク・ソンホ、パク・ヨンジェ、 チョン・ホンヒョン、そして断食40日ほどで運ばれて降りてきたシン・ドンス ン組合員は、どうして粘れたのだろうか。その下で毎日毎日いらいらしながら 韓進重工業組合員たちはどうして粘れたのだろうか。苦しい時ごとに、彼らと 希望のバスを守ってくれた乗客の皆のことを考えた。共に働き、数か月の間、 昼夜もなく疲労感の中でも堅固で美しい姿を失わないとするワハハ友だちのこ とを考えた。 去年の今頃は病院にいた。キリュン電子非正規闘争で、ショベルカーから落ち るという失敗をしてしまった。病院で寝ている時、亀尾KECと現代自動車非正規 職闘争の現場で、二人が焼身したというニュースが聞こえてきた。GM大宇非正 規職が正門のアーチに上がり、釜山でキム・ジンスク先輩が85号クレーンに上 がったという知らせと、大宇造船非正規職カン・ビョンジェ氏が高空鉄塔に上 がったという知らせがまた聞こえてきた。そのたびに、この時代への冷たい怒 りと無念さに胸をえぐられた。 特にキム・ジンスク先輩が上がった85号クレーンは、93年キム・ジュイク烈士 が首を吊り、クァク・ジェギュ烈士がドックに落ちて死んだ恨みが生々しく生 きている所だった。その後の8年間、部屋で火をたかずに暮らしたというキム・ ジンスクが、どんな気持ちでそこに上がったのだろうかと、気が気でなかった。 何かしなければならないと考えた。才能と双竜車、コルトコルテック、ヴァレオ 空調、ユソン企業、全州バスも皆同じだったが、85号クレーンはただの単位 事業場の1つではなかった。労働者の過去の佗びしい歴史がそのまま表れている ところだった。労働者の最低の自尊心が守られるべき所だった。再び絶望の墓 にしてはならず、希望の灯台にしなければならない所だった。 希望のバスはそのすべての怒りと無念さが集まって作られた。誰かが企画して、 提案したのではない。実際、希望バスが企画されたのも、双竜と才能とコルト コルテックなどの座込場だった。連帯を切望する私たちぐらい、あの孤独な85号 クレーンに連帯しようというのが始まりだった。実際、1次希望バスの主動力は、 これまでそうして戦ってきた現場の仲間だった。キリュンとドンヒオート、 GM大宇、弘大などの清掃労働者闘争、そして竜山とトゥリバンなどで闘って守った 美しい人々だった。彼らの真心が希望のバスのエンジンであり、原料だった。 忘れられない感動の瞬間が本当に多い希望のバスは、ワハハという愉快な形をしていたが、その中は無数の労働者 民衆の涙で埋め尽くされた涙のバスだった。1次の時、工場の門で対峙する私たちに 一つずつ靴下を配ってくれた組合員と家族の涙、3週間後に人権バス、性少数者 バス、半額登録金バス、教授学術、文化芸術家バス、保健医療、宗教家、キャ ンドル市民、撤去民バスなど、実際に全国で193台のバスができた2次の瞬間、 一日40km歩いて行った双竜車整理解雇者と塩の花・千里の道の人、また双竜車 家対委が韓進家対委と会うために出発させた希望の列車、黄金のような休暇を 返却して駆けつけた1万2千人の人々の波で壮観だった3次、歩いて歩いて、明け 方まで山の峠を越えた人々、4次の時『すべての非正規職のデモ行進』が組織さ れた過程、これまで十数年の新自由主義構造調整で無念にも高空籠城をしなけ ればならなかった労働者の100人の連帯、そして希望のバスを守ってくれた名前 のない地域希望のバスの乗客が見せた多くの仕事。そのすべての熱さが一瞬で 韓国社会の地形を変えた。皆が皆に感動をあげて共に勝ってきた半年だった。 もちろん壁もたくさん感じた、今後の課題だ財閥の私設警備隊になって、堅く影島を守った警官の車壁と暴力は、簡単には 越えられなかった。整理解雇撤回を社会主義と妨害するイデオロギーの壁も高 かった。希望バスを絶望バス、妨害バスと攻撃し、希望バス運動が韓進重工業 という単位事業場の垣根を越え、貪欲な財閥体制全体の、新自由主義構造調整 全般に対する労働者民衆の抵抗と怒りで立ち上がることを止めようとした青瓦台 と保守マスコミの壁も頑強だった。財閥総師の国会出席はありえないと必死に 悪あがきをした全経連と経済人総連の反社会的抵抗も越えなければならなかった。 欺瞞的な6.27労使協議書という合法の塀も越えなければならなかった。何よりも この十数年、われわれの内部を蝕んできた敗北主義を越えなければならなかった。 ![]() 結局われわれは、キム・ジンスクと彼女の同僚が安全にこの地面に降ろした。 いや彼らが命がけで戦ったから、私たちすべての未来が少しは安全なところに きた。感謝し、尊敬する。2次を準備していた時、クレーンに対する弾圧が一番 強かった時、『犠牲者が出るかもしれない』と覚悟したと言うクレーン座込者の パク・ソンホの伝言を聞いた時を忘れない。有り得ないと、歯をくいしばった時を 思い出す。彼らの強固な闘争を受け、私たちは共にここまできた。希望のバスは そんな私たちすべての共同運命体だった。私たち皆が私たちの未来のために、 共に闘う当事者だった。すべての乗客1人1人が本当の私たちの時代の勝者だった。 彼らが今後、より良い韓国社会をひらく大切な連帯の力になると信じる。 忘れるべきでないことは、希望のバスは今まさに出発した新入生バスだという ことだ。十数年間強行されてきた数百万もの労働者の整理解雇と、900万人もの 非正規職奴隷労働体制に亀裂を入れる社会的連帯の出発だということだ。 また19人が死んでいった双竜車に行くべきではないかという、ある友の言葉の ように、キム・ジンスクとその同僚が安全に私たちのところに降りてきた日、 双竜自動車整理解雇者の家族にとって十九番目の死が発見された。電話をした ムン・ジョンヒョン神父様はその瞬間も江汀で警官と対峙中で気持ちの余裕が ないといった。このくやしさを、この怒りを、このみじめさをどうして忘れる ことができようか。そんな最低限の組織もなく、名前もなく、日常の中で毎日 毎日踏みにじられて暮らしていく人々の奪われた労働と生活の苦痛をどうして 忘れられようか。1400日戦っても、また100日の決死闘争を決意したという才能 教育特殊雇用労働者の恨みを、5年以上戦っているコルトコルテックのギターを 作る労働者の素朴な夢を、またクビを切られているユソン企業労働者を、どう して忘れることができようか。 一瞬も希望のバスが負ける、
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