制服、自動車、工具まで自分で購入するサムスン電子サービス技師
マイナス能力給? サービス一等のサムスン電子、端境期を体験する労働者
チョン・ヨンギル記者 2013.11.12 19:08
「これまでサムスンサービスに通いながらとても苦しかったです。腹がへって
暮らせず、みんなとても苦しんでいて、横で見ているのもつらかった。それで
私は全泰壹様のようにはできなくても、私は選択しました。ぜひ役立たせて
ください」 -サムスン電子サービス忠南、天安センター故チェ・ジョンボム氏が
遺書に残したメッセージ
腹がへって暮らせないという言葉を残して10月31日に亡くなったチェ・ジョン
ボム氏のメッセージに、天安センター協力の社長は手紙で「故人は熱情的な業
務遂行で常に良い実績をおさめたので、今年1月から9月まで月平均410万ウォン
程度の給与を受け、また最近3か月間はそれより多い505万ウォン程度の給与を
受け取った」と釈明にならない釈明をした。
体調が悪くて休暇を要請したが返戻され、入院を要請しても資材返却のために
出勤の準備していたときに脳出血で倒れ、去る9月27日にイム・ヒョヌ氏が死亡
したが、サムスン電子サービスは4日後に「協力社支援業者支援方案」発表で答えた。
労組設立不可侵領域と見なされていたサムスン、今年サムスン電子サービスに
労組が設立され、偽装請負の議論についてサムスン電子サービスは徹底して
否定した。韓国サービス品質指数(KS-SQI)サービス評価の全部門で1位に輝く
サムスン電子サービス技師はどのように働いているのだろうか。ニュースミン
はサムスン電子サービス外勤エンジニアの出勤時間から同行し、労働の実態を
調べた。
サムスン電子サービスのロゴが入った制服を着るが...
制服、自動車、工具まで外勤エンジニアが自分で購入
午前9時にサムスン電子サービスセンターの漆谷センター駐車場で会ったイム・
ドッキュ(43)氏。今年で19年間、サムスン電子サービスの外勤エンジニアとし
て働いているイム・ドッキュ氏の朝をむかえたのは、コールセンターから送られた
「定時約束率および認証ショットを必ず送信して下さい。楽しい一日にして
下さい」という携帯メッセージであった。
外勤エンジニアで騒がしいだろうと予想していたのと違い、25人の外勤エンジ
ニアが働く漆谷センターの駐車場には外勤エンジニアは見えなかった。業務が
多く、みんな早く出勤したのかという質問に、イム・ドッキュ氏は「10〜12月
は外勤修理が少ない月だ。労組ができて、今度の事件が爆発した後は朝礼を
しなくなった。外勤エンジニアが集まらないようにするため、すぐ出動しろと
指示する」と話した。
[出処:ニュースミン]
修理の約束時間があるので、すぐ彼の車に乗った。後の座席は工具と資材で
埋め尽くされ、誰一人座る余裕がなかった。トランクも同じだった。資材と
工具で埋め尽くされた車なので、会社が支給した車両なのかと尋ねると「当然
違います。個人の車だ。新入はほとんどダマスに乗る。私もガソリン代を節約
するためにディーゼルに乗る」という返事が戻った。
外勤エンジニアとして働くためには車を持っていなければならない。サムスン
電子サービスのロゴがでかでかとつけられた制服も、3年前までは私費で買って
着なければならなかった。今でも3年に1着支給される服以外には、追加で金を
払って買わなければならない。あるいはと思って工具は支給されるのかと尋ね
た。返事は「違う。みんな個人が買わなければならない」だった。
電動ドライバー、モンキースパナ、ハンダゴテ、電圧計、温度計など車の中に
いっぱい積まれた工具はすべて自分で購入したものだった。計算をしてみた。
いつ故障が起きるかも知れないが、安い100万ウォンの中古車、工具80万ウォン
(電動ドライバー15万、手工具40万ウォンなど)だけでも約200万ウォンだ。個人
所有の車だから、保険料、車両維持費を除いても200万ウォンは投資しなければ
ならない。
[出処:ニュースミン]
午前9時20分、修理を要請した顧客の家に到着した。サムスン電子サービスは
「私たちの職員ではなく協力業者の職員」だというが、イム・ドッキュ氏の口
からは「サムスン電子の修理技師です」という言葉が自然に出てきた。修理を
要請したおばあさんも電話で「サムスンサービスの技師さんが冷蔵庫の修理中
だ」と話した。
修理を開始する前にイム氏はキムチ冷蔵庫の商標を携帯電話で撮影した。何時
に到着したのか、記録を送るためだ。会社は外勤エンジニアの定時到着率を
百分率で統計に取り、点数にする。
電源センサーが故障しているキムチ冷蔵庫の修理を始めると、おばあさんは
「電話した時には話せなかったが一方が凍る。それもちょっと直してくれ」と
要請した。これに対してイム・ドッキュ氏は「おばあさん、私たちは用意した
部品しか持ってこないので、今すぐ2種類の修理はできません。今日受け付けた
センサーを交換してまたくると出張費を2回払われなければなりません。部品を
要請して、一度に修理できるようにしてはどうでしょう?」と尋ね、おばあさ
んはそうしようと首を縦に振った。
外勤エンジニアはA/S要請を受けて該当交替部品を会社に申請する。よく部品は
何個か申請して持ち歩く。この部品価格は修理を完了するまで外勤エンジニア
の賃金から引かれる。外勤エンジニアがこの部品を先に購買する形だ。
また連絡するという言葉と共にセンターに向かうイム氏は、運転中ずっと部品
を探してあちこちに電話をした。運転中も電話を置かなかった。旧型のキムチ
冷蔵庫製品なので、サムスン電子サービスの電算システムに入っていない部品
だった。10分ほど電話した末に部品を見つけることができた。イム氏はセンター
から部品を持ってまた顧客の所に行った。
二回訪問すればそれだけ賃金を受け取れるのか気になった。イム氏は「いいえ。
修理が完了しなければ一件処理したものとして終わります。11月にはシーズン
ではなく、次の訪問日程まで時間の余裕があるので、すぐ再訪問するのです。
(部品交換)一つずつ別に直せば出張費を2回受け取れるのですが、それはいい
気持ちがしません。資材があって、すぐ直せて幸運なんです」と話した。
外勤エンジニア19年目で月給160万ウォン...マイナス能力給も
労働者には端境期、会社はしらんふり
再度の訪問の末に修理を終えた時刻は午前10時50分。次の訪問時刻までまだ2時
間残っている。非シーズンの10月から来年の春までは、外勤エンジニアにとって
一種の端境期だ。イム氏も9月の賃金は、税金を引くと160万ウォンほどでしか
なかった。
イム氏は、初心者の外勤エンジニアでもない19年目だ。長期勤続手当もない。
高等学校を卒業したイム氏はサムスン電子サービスに3か月の教育を受けて当時
漆谷代理店修理室で勤務を始めた。4年ほど働くと代理店がなくなり、サムスン
電子サービスと協力業者の体系に変わった。「今、他のセンターにセンター長
をしている先輩に付いて回り、仕事を学んだ。同じサムスン電子サービス職員
だと思ったのに、その先輩がそうだった。私は本社職員で君は違うと。仕事は
同じだが名札も違う...それでも仕事がおもしろくて、ずっと残っていた」と
イム氏は話す。
イム・ドッキュ氏とセンター駐車場に到着すると外勤エンジニアが一人二人と
集まり始めた。他の外勤エンジニアにも端境期だった。ある外勤エンジニアは
ある同僚に「50万ウォン」と呼んだが、彼は先月の手取りが50万ウォンだった。
マスコミの報道で知らされたように、外勤エンジニアの賃金にはマイナス手当
てもある。顧客が決裁しなかったり、修理完了できない状態で資材を持ってい
ると、このマイナス賃金はそのまま外勤エンジニアの負担だ。
労組幹部に2、3年前の修理内訳を尋ね、言葉尻を捕まえる社長
「労組を作ってできた昼休み、今までどうして我慢していたのかわからない」
▲サムスン電子サービス漆谷センター内の外勤エンジニア休憩室。25人の外勤エンジニアに休憩室は3坪ほどだ。[出処:ニュースミン]
外勤エンジニアたちは、カップラーメンとのりまきを買ってセンター内の休憩室
で昼食を取った。25人の外勤エンジニアの休憩室は3坪ほどだ。それさえ大型
TVの修理室兼用だった。休憩室の出入口には会社が設置したCCTVが目に映った。
労働組合を結成した後に会社が設置したという。
労組を結成して不利益はないかと聞くと、金属労組サムスン電子サービス支会
のイム・ジョンホン(40)漆谷センター分会長は「あからさまな弾圧はできない。
労組を作って昼休みもできて、賃金も少しは上がった。今までどうして我慢し
ていたのかわからない」と話した。
あからさまに労組を弾圧することはできないが、圧迫は現在進行形だ。イム・
ジョンホン分会長は「社長が面談をしようと言っていたが、2010年3月、2011年
6月の修理内訳を尋ねる。電算システムにない部品を使ったと言葉尻を捉えた。
一日に何件も修理するのに、何年前のことは覚えていられない。エアコンの
部品を冷蔵庫に使ったわけでもない。旧型モデルで部品がなければ、技師が
適当に判断して代替部品を見つけたりもする。何年前のことを覚えていろと
いうのは言葉尻を捉えることだ。反対に私が社長に聞いた。何か月か前、
私たちにいくら月給を払ったか覚えているのかと」と伝えた。
▲9月の賃金が136万ウォンだったイム・ジョンホン分会長は、能力給としてマイナス13万5千ウォンが策定された。[出処:ニュースミン]
外勤エンジニア15年目のイム・ジョンホン分会長も、やはり端境期を体験して
いる。9月の月給は約130万ウォンだった。彼は「社長に職員の賃金対策を用意
しろと社長に話した。ところが戻ってきた返事は『私には何もできない』とい
う、自分からサムスンの名ばかり社長を証明する言葉しかない」と話した。
午後にはイム・ジョンホン分会長との同行を始めた。午後12時50分センターから
A/S場所に出発した。要請が入ってきたのは大邱ではなく慶北の漆谷郡加山面の
ある学校だった。長距離修理に加算金はあるのかと聞くと、イム・ジョンホン
分会長は「長距離手当てはつく。だが長距離修理をするより近いところ2か所に
行く方が金銭的には得だ。手当てを算出する根拠も私たちには確認できない。
サムスンから払われた金額がいくらなのか、われわれは知らない。社長(センター
長)が適当に策定する」と答えた。
[出処:ニュースミン]
TVの修理を10数分で終わらせたイム・ジョンホン分会長が決済方法を尋ねた。
学校の行政室なので税金計算書の発給を要請した。初めての取り引きなので、
税金計算書登録を要請して決済を完了するところまでさらに10分過ぎた。
イム・ジョンホン分会長は「カード決済が一番気楽だ」と話した。
後で送金するという言葉を信じて帰り、顧客が入金しなければこの金額は該当
外勤エンジニアの賃金から差し引かれるためだ。「君が金を取ってこなかった
ので、君の月給から払え」ということだ。
修理を終えてセンターに戻るとき、イム・ジョンホン分会長は「今日は、もう
コールが入ってこないようだ。それでも家に帰ることもできない。職員は低い
賃金で悩んでいるのに、社長は何をしているのか」とし「こうした状況なのに
社長はソンソセンターと漆谷センター共同区域を作ろうとする。外勤エンジニア
どうしが血を流すように戦えということだ。労組員がいないソンソセンターと
共同区域を作るのは、非労組員の仕事集めの可能性も排除できない」と話した。
午後2時30分頃、漆谷センター駐車場に到着した。やはり先に修理を終えた外勤
エンジニア数人かがタバコを吸ったり、寒いので車両で休んでいた。
腹がすいたという故チェ・ジョンボムの言葉に平均月給410万ウォンを受けたと
答えた天安センター社長の間の真実は何だろうか。取材のために同行したイム・
ジョンホン分会長、イム・ドッキュ氏はその日の晩、故チェ・ジョンボムの
焼香所がある天安に行った。(記事提携=ニュースミン)
原文(チャムセサン)
翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可( 仮訳 )に従います。
Created byStaff.
Created on 2013-11-13 03:00:32 / Last modified on 2013-11-13 03:00:32 Copyright:
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