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貧民村の話

[チェ・インギの写真世の中](24)ソウル市龍山区東子洞

チェ・インギ(貧民活動家) 2013.02.27 15:18

ほとんどの掘っ立て小屋は、大きなビルに隠れています。ソウルを中心に見れ ば、昌信洞東大門ホテルの裏のスラムがそうで、鍾路裏道の敦義洞や南大門、 清涼里、永登浦駅近くのスラムがそうです。その上、九老地域のスラムは住宅 街に密集しています。話に卓越した才能を持つ人々は東子洞のように小さな家 を称して鳥小屋家、蜂の巣、ハコ部屋と呼びます。2012年の夏、貧民学生連帯 活動の後、久しぶりに東子洞に行きました。地下鉄1号線のソウル駅でおりて、 11番出口から出て竜山区厚岩路57番道に入り、東子洞へと向かいました。食堂 と酒場が並ぶ路地に入ると、真昼なのに路地をうろつく人々の姿が眼に触れ始 めます。古くみすぼらしい建物の間の塀に「月払い」というビラが貼られてい ることから見て、ここがスラムが密集している所であることを思わせます。

東子洞は1946年10月1日、日帝式の町名を整理した時、西界洞の対称で東方の村 という意味に由来したという説があります。1975年10月1日、所轄区域の変更で 中区東子洞、ト洞1・2街の一部が竜山区に編入され、竜山区東子洞になったと いいます。東子洞は朝鮮戦争の後、貧しい人々が板子村(スラム街)を形成して 住みつき、今は住宅再開発特別計画区域と指定されています。ソウル駅と周辺 に人員紹介所があったり、遠くないところに伝統市場の南大門市場が隣接して いて、生計を立てるのは比較的易しい地域です。小さな路地に植木鉢がきちん と置かれています。屋根の上も屋上も同じです。もう半月が過ぎたので1か月後 には小さい植木鉢の上には花や、色々な野菜ができるでしょう。古い小屋と狭 い道でも、誰もが華やかな春の日を待つ気持ちは同じです。貧困を見る心情は 複雑で息苦しいです。東子洞で暮らす人々がどれほどみじめなのか、表わすの は適切でありません。必ずこの文でなくても、東子洞をはじめとする貧民村の 日常を扱った文は簡単に探せるからです。

「ご飯はちゃんと食べてるか?」一度も食事を出してくれたことはないのですが、 東子洞サランバンのチョ・スンファ事務局長に会いました。個人的に好きな後 輩ですが、彼は私を嫌っています。先輩の心を分かってくれない後輩が残念で も、いつかは真心を認めてくれるでしょう。とにかく東子洞サランバンはここ の住民と共同体を作り出しています。住民を対象にスラム新聞を製作し、村の ニュースを伝えたりもします。健康関連、そして福祉需給、住居問題などにつ いての相談をしています。そして村祭り、映画上映や音楽公演、菜園事業など、 東子洞の住民のため多様な事業を展開しています。特に眼につくのは住民が出 資し、直接組合員になって運営する村銀行があります。600人ほどの住民が共同 で出資して、緊急に金が必要になれば10万ウォンから最高50万ウォンまで借り られるようになっています。僅かな何十万ウォンがなく、路上で居座ったり、 医療費が負担になって病気になっても病院に行けない住民にすぐ必要な資金を 用意できる所が直ちに『サランバン村共済協同組合』です。

最初に行ったところは東子洞サランバンがスラム住民の便宜空間の村の台所兼 図書館として運営している食道楽です。ドアをあけて入ると食事を準備してい たキム・チャンギ氏が、どういうことかとうれしく迎えてくれます。壁面にぎっ しりと積まれた本が先に眼につきます。そして入口には厨房がきれいに作られ ています。「一言で、村の共同台所で、村の図書館です。髪がのびて寝るのも 不便なスラムで、食べ物を作って食べるのはなかなか面倒なことです。基本的 に炊事空間もないことは多いです。こうした問題を解決するために共同台所の 施設を運営します。一緒に飯を食べ、そして小さな村文庫もあって、それこそ 飯と本がある食道楽(食図楽?)ができたようなものです」。住民の意見を集めて サランバン食道楽という名前になったという話も伝えます。

食道楽を出て、チャンギおじさんと路地へ向かいました。チャンギおじさんは ここで長い間生活してきました。食堂でコック長をしたことがあり、食べ物を 作る仕事は自分の役割だといいます。食堂が並んでいる路地を出て赤いレンガ で覆われた4階建の険しい階段を上がると、部屋ごとに扉が閉まっています。一 か所を指して、この前スラムの住民が孤独死した部屋だといいます。チャンギ おじさんは、ここではこんなことはよくあるといいます。この前も何日か見か けなかった人が冷たい遺体になったという話も伝えます。人は誰でも死ぬとい いますが誰も見守る人なくさびしく亡くなるということは、本当に悲しいこと です。先日のある新聞の記事を引用すると、「死体解剖および保存に関する法 律12条1項によれば、市長・郡長または区庁長は引き取り者がない死体が発生し た時は遅滞なくその死体の腐敗防止のために必要な措置を取り、医科大学の長 にこれを通知し、医科大学の長が医学教育または研究のために死体の交付を要 請した時は特別な理由がない限りこれに応じなければならないとなっている」 そうです。

ホームレス行動のイ・ドンヒョン活動家は「基本的に人権が身体から出発する のに、死体解剖は人間の尊厳に密接に関係があり、慎重に接近しなければなら ない」とし「無縁故遺体の絶対多数は貧しい人の遺体だという点で彼らを解剖 できると規定した法律はすぐ改正すべきだ」と指摘します。

ちょうどチョン・ドヨン氏が一日の仕事を終えて退勤するところです。トヨン は孤児ですが、基礎生活受給者ではありません。それで最近は市庁で斡旋した 農作業をしています。野宿者人権と福祉問題に関心があり『サランバン村共済 協同組合』の役員です。1か月に約70万ウォン程度を稼ぎますが、ドヤ代で20万 ウォンを払い、交通費を支出し、いくらかのお金を貯蓄するといいます。トヨ ンの家は東子洞遊び場の向い側の建物1階にあります。古い建物の入口には共同 で使うトイレがあります。冬風を防ぐため、玄関のビニールを押し退けて入る と、入口からいがらっぽい臭いがふと漂ってきます。そしてドヤ特有のうす暗 い小さな廊下が続きます。廊下の突き当りの小さな部屋がトヨンの家です。鍵 をあけて入ると窓もない1.5坪程の大きさで、トヨンが横になればぴったりです。 部屋の片方には服がきちんとかけられ、古いテレビが置かれています。二人が 座るにも不便な部屋に座り、よく見ると意外に整理整頓されています。トヨン は天井にかかっている小さな衣装ケースを自分で作ったと自慢します。しかし 冬には湯がなく、電気釜で水を暖めて顔を洗い、夏はとても暑くていっそ公園 や道路に出てラーメンのダンボールを敷いて眠るといいます。

最近の東子洞の家賃相場を尋ねました。「以前は日払いもあったそうですが、 最近は保証金なしで月払いです。普通20万〜25万ウォン程度です」。ドヤは初 めからドヤのために作ったという程度で、建物の中に小さな部屋が密集してい ます。家主が直接管理せず、ほとんどドヤの管理者をおいていて、ここのドヤ の主人はとても金を貯めたそうです。わが国最高の家金持ちは何と1000軒以上 も保有しているというのに、彼らには月20万ウォンの部屋が全てです。本当に 不平等な世の中です。トヨンの話をさらに聞くため、部屋を出て近くのチキン 屋に行きました。しばらく後で東子洞サランバンの会議を終えてスンファが入っ てきました。生ビールを傾けながら気になる質問をしました。

全国で野宿者の数はどの程度でしょうか? 「3千5百人から4千人程度と推定して いますが、路上の野宿者とシェルターに居住する野宿だけに限りません。彼ら のほかにも野宿直前の考試院やサウナ、そして漫画喫茶を転々としている統計 で把握されない人も入れればもっと多いと見るべきですよ」。最近彼らも一緒 に『ホームレス』と表現します。もっと包括的な視点から彼らを見なければな らないという意味です。東子洞地域の住民は2011年10月末には873人になってい ますが。ドヤと似た状況の住居条件なのに、ドヤと指定されない住居まで入れ ればおよそ1000人のドヤ住民が暮らしていると推定されるそうです。

韓国の社会が全般的に貧困化する過程で、ホームレスがあふれ出るのは、別の 見方をすれば当然の現象かもしれません。それでもわれわれは彼らをめぐる誤っ た先入観を持っています。代表的には、何も働かない怠けものと見ていますが、 実状はそうではありません。多くの野宿者が日雇い労働者や露天商そして古紙 収集などの非公式部門で時間を過ごし、何らかの形で働く意志があります。

私たちが注目する部分は、昨年6月「野宿者などの福祉および自立支援に関する 法律」の施行に関し、施行令および施行規則、野宿者など福祉事業運営案内書 ができたことです。これについてイ・ドンヒョン氏を通じて調べてみました。 施設入所者で、3か月以上野宿生活を立証しなければならないということです。 「野宿者一時保護施設、野宿者自活施設入所者中持続的に3か月以上、路上また は野宿者施設での野宿生活が確認された人と規定しています」。路上の野宿と 同じように、施設に入らない人、または3か月未満の野宿者は資格未達で、結局 医療支援の対象から除外されるということです。「この他にもホームレスに対 する予算は地方政府計画では福祉部に分けられていて、責任の所在も明確では ないため、統合的に支援しなければなりません」。

世の中に絶望して自らを小さな監獄に閉じ込めて酒で生きていく人々、多くの 人の足の下の影のように静かに生きる人々、いくら東子洞貧民村が苦しく暗鬱 でも、劣悪な環境ではあっても、それぞれの方法でそうして暮らしています。 スラムが不潔だという理由で訳もなく撤去されるのは望ましくはありません。 人生が難しく、みすぼらしいのは事実でも、寒さや暑さから、そして火災の恐 れから抜け出せるように、もっと良い方法で人生を生きていけるように、ある いは今よりもっと悪い生活の奈落に落ちないように、多様な政策と支援が切実 です。そしてここで希望を作ろうとする人々がいるのは心づよいです。この日、 チョ・スンファ事務局長と本当に夜通し酒一杯傾けようとしたがうまくいきま せんでした。帰り道にふと思い付いたのは、いくらスラムで暮らしても入浴は しろと何も考えず言った言葉がなぜか気に障ります。世の中の低いところで黙 黙と自身の仕事を探す活動家に応援と支持の拍手を送ります。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-02-28 11:19:22 / Last modified on 2013-02-28 11:19:23 Copyright: Default

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