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〔週刊 本の発見〕『戦争が遺したもの―鶴見俊輔に戦後世代が聞く』
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毎木曜掲載・第400回(2025/8/21)

知識人の戦争責任を問う

『戦争が遺したもの―鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二、2004、新曜社)評者:内藤洋子

 読みごたえがあった。本書は、鶴見俊輔に戦中から戦後にかけての経験を聞くという企画である。聞き手は小熊英二と上野千鶴子とくれば、おのずと期待は高まる。相手は深く敬愛する鶴見だが、対談は妥協せず、深く切り込む真摯な展開となった。鶴見も、「さあ、なんでも聞いて下さい。お答えしましょう」という態度で応じた。2003年4月の3日間、30時間に及ぶ濃密な座談の記録である。

 私は以前から鶴見俊輔の文章に惹きつけられ、その言葉が表す、いわば “肉体を持った思想”を会得したいと思った。彼は、自分はマルクス主義者ではない、クロポトキンを好むアナーキストだという。

 1922年生まれの鶴見の多方面にわたる活動を貫くものは、一言でいえば、「反権力」だろう。権力をとことん嫌い、権威や権力に反抗し闘うことを生涯の仕事とした。それは彼の出自に依るものが大きいようだ。母方の祖父が後藤新平、父は戦前のベストセラー作家で政治家でもある鶴見祐輔という大変なエリート一家に生まれ、権力の中枢にいる政治家らの振舞いや言動を内側からつぶさに見てしまった。長男である俊輔に対する母の厳しい躾に反発して、彼は不良少年となり、自殺未遂も繰り返し、中学で放校処分となる。小学卒の学歴で、1938年、15歳で単身渡米。猛勉強で肺結核を病むが、ハーバード大に入学。在学中、優等賞をもらったというから並みの秀才ではない。

 日米開戦を受け、1942年、20歳の時、アナーキズムの本を読んでいたとの理由で逮捕され、移民局の留置場に拘留される。留置場で書いた卒論で卒業が認められた。鶴見は、「ここには民主主義があると思った」と述べている。その年に、第一次日米交換船で帰国する。なぜ帰国したのか、との問いに、「日本はもう直ぐにも負けると思った。勝つ側で日本の敗戦を迎えたくない。負ける側にいて、死のうと思った」と語る。(写真=鶴見俊輔)

 帰国後の徴兵検査で、結核の病状が悪化していたが、まさかの合格。海軍軍属としてジャカルタに赴任する。ジャワでは、通訳や敵の放送・通信の傍受が本務だったが、渉外の仕事として慰安所の開設にも関わった。その責任を負い、90年代に元慰安婦の女性たちに賠償を行う「国民基金」の設立に加わったが、この事業は政治的な誤算もあり、うまく立ち行かなくなった経緯が語られる。

 1944年末に、いよいよカリエスが悪化し、シンガポールから内地送還となり、軍令部の命令で翻訳の仕事に従事。「生き残りたいと思ったことはない。殺したくない、ただそれだけだった。殺人を避ける、が私の反戦の根本原理だ」と語る。それは、「殺すな」を掲げたベ平連の運動につながっていく。米軍の脱走兵を自宅にかくまうなど、頭でっかちの運動家に出来ることではあるまい。

 終戦を迎え、憲法草案を見たとき、「これはいい憲法だ、特に前文が好きだ。ただ、こんな憲法を持ったって、日本人は(この憲法を)守れるのか、というのが正直な感想だった」と語る。朝鮮戦争以後、日本の再軍備は進み、公職追放解除で続々と戦時中の指導者が復活した歴史を見れば、彼の懸念は当たったと言える。1946年に仲間と「思想の科学」を創刊。1965年、「べ平連」の立ち上げ。2004年、「九条の会」の設立など、弛まぬ精力的な活動は周知の通りである。

 全共闘運動や連合赤軍事件などへの独自の評価も興味深いが、鶴見の批判の本丸は、やはり知識人の戦争責任の問題に向かう。戦争を鼓舞し、協力した多くの知識人や文化人が、戦後いち早く転向し、民主主義者を名乗るのを、「転向」の研究で追及した。彼らは、庶民とは別に責任を問われるべきだ、と語る。戦争を支持した小林秀雄が、戦後、「国難の時、個人は国家と運命を共にするのは当然と考えるのが庶民、生活者の感覚で、自分もただの生活者だ」、と強弁した。これをどう思うか、との上野の問いに対し、鶴見は、「そういうことを言うインテリは許せない。知識人は生活者そのものではない。知識を得るまでにいろんな特権を背負っている。戦後、知識人が開き直って責任を放棄し、生活者を主張するのは、許せない」と答える。一方、それだけの特権を持っていない庶民が、時局に沿って揺れ動くことを、鶴見はあまり批判しない。そこが、庶民にも倫理責任を求めた丸山真男との違いだ、と小熊は指摘する。

 鶴見は言う、国家を愛するナショナリズムは嫌だが、「領土なきナショナリズム」、つまりパトリオティズムには共感する。アナーキズムは、権力的支配なしに、人間が互いに助け合って生きる社会を理想とする思想であり、権力者の抹殺を目指すテロリズムとは別物だ、と。      最後に、私が鶴見の思想を、“肉体を持った思想”と形容した意味について、鶴見の言葉を引用して説明に代えたい。

「知識だけでは思想として、もろい。知識と感覚と行動とをつなぐ回路を自分の中に設計し、それを実行の方向に踏み出すことが重要だ。知識と感覚・行動が絶縁している場合、人は、大局的に見て権力者のいうなりに操られる。」


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