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としまるです。以下、ガザの若者たちが投稿している「私たちは数字じゃない」のサイト
の記事をひとつ紹介します。アマル・アブ・マラヒルが7月26日に書いたものです。彼女
はAl-Quds Open Universityを卒業した英語教師です。

関連して、ガザのジャーナリストたちの映像をつないで制作された「10月7日からのガザ
」のオンライン上映会とトークが9月16日(火)映画上映18時45分から開催されます。トー
クは早尾貴紀さん。要予約です。詳しくは下記をごらんください。
https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/502
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飢餓と裏切りの狭間で

ネツァリム、ハーン・ユーニス、ラファでは、米国とイスラエルが運営する救援所は、人
道的とはいえず死の罠でしかない。

アマル・アブ・マラヒル
    ガザ地区
    2025年7月26日

ガザでは、私たちの尊厳を打ち砕くような困窮の重圧のもと、食べるのに十分な量を持っ
て帰ってくるというかすかな希望を胸に、ネツァリム、ラファ、ハーン・ユーニスにある
、いわゆるガザ人道財団が管理する援助物資配給地点へと私たちは足を運んだ。危険を知
らなかったわけではない。飛行機が飛び、スナイパーが潜み、砲弾が落ち、殉教者が運ば
れているのだ。

しかし、飢えが激しさを増すと、恐怖は消し去られ、尊厳が上書きされる。私たちは、こ
の2つのどちらかを忘れたからではなく、飢えたから行くのだ。

ネツァリム:飢えと銃弾

私はネツァリムにいた。群衆が怒濤のように閉鎖された空間に押し寄せ、飢えた鳥にパン
屑を与えるように小包が投げ込まれるのを見た。組織も、安全も、慈悲もない。その光景
は地獄の最底辺といってもいい。死体は押しつぶされ、頭は爆発し、若者は轢かれ、子ど
もたちは行方不明になった。

戦車の煙と銃弾に混じった悲鳴が、飢えた人々のうめき声の上に響き渡った。これは食料
を奪い合う光景ではなく、アイデンティティの喪失という奈落の底に集団で落ちていく光
景だった。

ハーン・ユーニス:パンの列の中の砲弾

ハーン・ユーニスでは、より血なまぐさい物語が繰り返された。何万もの家族のために、
木々も覆いもない開けた場所に、ひとつの配給所が設けられた。群衆が集まり始めるとす
ぐに、最初の砲弾が着弾した。悲鳴、血、死体、走る母親、小麦粉のバッグに隠れる子ど
もたち。ここでの敵は飢えだけでなく、裏切りもあった。

ラファ:死と隣り合わせ

支援物資の配布が発表されるたびに、ラファは毎日が死のゲームとなる。援助物資の配布
が発表されるたびに、新たな危険が待ち受ける。しかし、人々は行く... さもなければ、
致命的な飢えが待っているからだ。

しかし、食料がある場所にたどり着く前でも、ゲートが開くのを待っている間でも、人々
は砲撃を受け、直接撃たれる。食べ物にたどり着く前であっても撃たれる。

そして、まだ何十人もの人々が戻ってこない。私たちは彼らの運命を知らない。死んだの
か、投獄されたのか。私たちは彼らに何が起こったのかを知らない。

ガザでの「イカゲーム」

人道支援を受けに行くということは、現実の 「イカゲーム 」に参加するということだ。
アナウンスがあり、集合があり、スナイパーの監視の目やまばたきもしないドローンの目
に見張られる長い待ち時間がある。

先に到着した者は小麦粉のバッグをもらえるかもしれないし、遅れた者は轢かれるか、狙
撃されるか、愛する人の遺体とともに戻ってくるかもしれない。ルールも安全も人間性も
ない、命がけの競争なのだ。私たちは生きるために行くのではなく、もう1日生き延びる
ために生と死のゲームをするのだ。このゲームでは、誰も勝てない...生き残った者でさ
え、誰もが負けるのだ。

生と死に向かって走る

とオマル・アブド・ラッボは次のように私に語った。「私たちは太陽の下で救援所が開か
れる瞬間を何時間も待ちました。2025年7月2日、彼と彼の友人である私の弟オバダは、一
緒にネツァリムの救援所に向かいました。ゲートが開くや否や、私たちは飢えと恐怖と希
望を抱いて走りました。私たちはただ食べ物を探していたのではなく、命に向かって走っ
ていたのです。」

「私たちは地面に座り込み、石や壁、鉄片でもいいから身を隠せるものはないかと右往左
往しました。私たちは自分の目で死を見た。死は私たちのすぐそばまでやってきて、私た
ちの魂に別れを告げるところでした。私たちはもう戻ってこれないと思いました。私たち
は銃弾のシャワーの下で死ぬと確信しました。しかし、神は奇跡的に私たちを救ってくだ
さった。私たちは生き延びました。」

「あの日以来、ガザに支援に行く者は、バッグを一杯にして戻ってくるか、袋一杯の魂の
ない死体になって戻ってくるかのどちらかだと思うようになりました。」

さらに悪いのは、小包の多くが目的の受取人に届かないことだ。

大勢の人々に紛れて危機で稼ぐ商人たちが援助物資を奪い、飢餓市場で想像を絶する値段
で売りさばくのだ。小包は分配されることなく略奪される。人々は分かち合うのではなく
、争う。尊厳が足元から踏みにじられ、悲鳴が上がる。これでも私たちはまだ人間なのだ
ろうか?

援助か、死の罠か?

今日ガザで起きているのは、救済ではなく、血なまぐさいデマである。ガザに入る援助は
乏しく、劣悪で、死の罠となるような空き地に捨てられている。それは、爆撃によって占
領の魔の手が放たれ、絶望的な飢えを搾取することによって屈辱の魔の手が放たれる死の
罠なのだ。皮肉なことに、アメリカを筆頭とする世界の指導者たちは、援助を提供してい
ると自慢している。しかし、私たちの生活が血の混じった小麦粉まみれになっていること
など気にも留めていない。

この光景は、ニュースを見ているだけでは理解できないだろう 。 飢餓を経験し、飛行機
の下を列になって歩き、「援助」カードを手にミサイルの音を聞いた者だけが理解できる
。ガザでは、私たちは毎日、飢餓の銃弾か救援のミサイルかを選んでいる。世界は、行列
や援助のバッグを目にすることはあっても、国内避難や度重なる強制移動、尊厳と生存の
どちらを選ぶかというトラウマを目にすることはない。

これは食料だけの問題ではなく、その場所から強制的に引き離された命/生活の問題なの
だ。

https://wearenotnumbers.org/between-starvation-and-treachery/
​
写真を含む日本語訳が下記にあります。
https://cryptpad.fr/pad/#/2/pad/view/81cH5SlAgsGJTjlUmfFHnkMt-zTsKkcyh-0jExsHHLU/

__________________________
Toshimaru
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