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1985年8月12日に起きた日航ジャンボ123便墜落事故から40年を迎えたことを受け、安全問題研究会が声明を発表しました。なお、印刷に適したPDF版をご希望の方は、以下のURLからダウンロードできます。

https://transportation.sakura.ne.jp/123accident/250812jal123statement.pdf

<写真>「御巣鷹の尾根」登山道入口付近に建てられた遺族から犠牲者への呼びかけ(撮影=黒鉄好/2015.8.3)

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<安全問題研究会 声明>世界情勢激変の中で迎えた日航機墜落事故40年 羽田事故が象徴する空の危機克服し「その先へ」

 乗客・乗務員合わせて520名の犠牲者を出した1985年8月12日の日航123便墜落事故から40年を迎えた。安全問題研究会は、犠牲者のご冥福を改めてお祈りする。

 この40年間、日本国内では名古屋空港での中華航空機の事故(1994年4月、264人死亡)と福岡空港におけるガルーダ・インドネシア航空機事故(1996年6月、3人死亡)が起きたほか、乱気流による客室乗務員の死亡事故はあったものの、日本の航空会社の営業旅客機で乗客に1人の犠牲者も出すことなくこの日を迎えられたことは、まさに偉業と呼ぶに値する。昼夜を分かたず各現場で安全のために奮闘してきた航空労働者に最大級の謝意を表したい。

 その一方で、安全問題研究会は、日本航空界のこの偉業達成を手放しで喜ぶばかりではいられない厳しい現実も指摘しなければならない。特に、2024年1月2日、羽田空港におけるJAL機と海上保安庁機の衝突事故は破局的であり、JAL機側に死者を出さなかったことはいくつもの幸運が重なった、まさに「紙一重」と呼ぶべきものであった。日本の空の安全は、実際には事故と隣り合わせの脆弱な基盤の上に立つ砂上の楼閣に過ぎなかった。

 このような事態を招いた最大の原因は安全軽視・効率優先の航空行政にある。羽田事故にあたって当研究会は、航空機の発着回数は右肩上がりにもかかわらず、航空管制官が削減され続け、管制官1人が受け持つ航空機数が最大1.8倍に増えている事実を公表し大きな反響を呼んだ。管制官の増員を要求する国土交通労働組合の現場からの要求と相まって、削減続きだった管制官数は増員に転じた。空の安全を確立するには程遠い水準だが、これまで管制官数が削減続きだったことを思えば、航空行政を預かる国土交通省現場での闘いと「羽田事故を問う」当研究会の連続キャンペーン(※)の相乗効果によって勝ち取った大きな前進であり、まさに「闘いなくして安全なし」の典型である。

 「羽田事故を問う」連続キャンペーンの過程では、(1)東京五輪招致やインバウンド拡大のため、羽田国際化や羽田新ルートが安全を顧みることなく強行されたこと、(2)機体のドア数に見合う客室乗務員数の配置が義務化されていないこと、(3)客室乗務員が接客サービス要員とされ保安要員として位置づけられていないこと――など様々な問題点が明らかになった。羽田新ルートを強行した国土交通事務次官経験者が空港関連会社を私物化している実態まで明らかにできた。今後はこれら残された問題を、日本の空を危険にさらす航空行政、モノ言う労働者165名を不当解雇したまま復帰させないJAL経営の腐敗などとともに引き続き監視・追及していく。

 40周年の今年、当研究会が危惧しているのは事故「風化」の傾向が露わになってきたことである。日航123便墜落事故に限らず、あらゆる歴史、事件、事故、災害が風化の試練にさらされている。10年前と異なるのは、新型コロナ禍による混乱に引き続き、戦争・虐殺、差別・排外主義が台頭する中、世界中が目先の課題に追われ歴史を俯瞰する精神的余裕を失っていることだ。だが、このような時代だからこそ、過去の歴史、事件、事故、災害などに改めて目を向け、そこからの教訓を読み取る必要がある。

 日航123便墜落事故の原因について、国に再調査を求める当研究会の主張は10年前と変わっていない。運輸省航空機事故調査委員会(当時)が1987年に公表した報告書で事故原因とした圧力隔壁崩壊説は矛盾だらけであり、同意できないという点も同じである。機内で酸素マスクを必要とするような急減圧がなかったことは明らかであるにもかかわらず、相模湾に沈んでいる垂直尾翼の引き上げも行われていない。このような国の不審かつ不誠実な姿勢こそ、事故後40年経過しても「陰謀論」がやまない原因であることは何度でも指摘しなければならない。

 遺族の高齢化も顕著となり、事故現場「御巣鷹の尾根」に慰霊登山ができる遺族も次第に少なくなった。代わりに事故の継承の役割を担うのは遺族2世たちであり、一部は3世にまで広がりつつある。遺族会「8・12連絡会」は事故20年、30年の節目にも遺族の手記を集めた文集「茜雲」を発行するなど、空の安全のため、たゆみない活動を続けてきた。40周年の今年も「茜雲 そのあとに」の出版にこぎつけたことは特筆すべきであり、敬意を表する。御巣鷹の尾根を目指す航空労働者の姿も絶えることがなく、当研究会はそこに空の安全への希望を見出す。

 10年後の2035年には、いよいよこの事故から50年となる。米国ではほとんどの公文書の機密指定が50年で解除される。その際、驚くべき事実が明らかになる可能性がある。当研究会が、有志を募り、民間事故原因調査団を組織して渡米調査を行う構想を持っていることを明らかにしておきたい。この準備のため、今後10年を有意義に使いたいと考えている。

 外国航空会社によるものを含めても、営業旅客機で乗客が死亡する事故は、国内ではガルーダ機を最後に起きておらず、来年まで起きなければ「30年間犠牲者なし」の偉業が加わる。羽田事故で明らかになった空の危機を克服し、さらに「その先」に向け、当研究会は今後も行動を続ける。

※「追跡 羽田衝突事故〜日本の空を危険にさらした効率優先・安全軽視の国土交通行政を問う」

https://transportation.sakura.ne.jp/240102haneda/240108tsuiseki.pdf

2025年8月12日 安全問題研究会


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