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日曜日記362・「じょろうがい」とマイノリティの自覚

2025年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
  社会学者の上野千鶴子氏が、参院選を振り返ってこう書いている。

<「じょうろうがい(女老外)」ということばをご存知だろうか? 社会的マイノリティである「女性・老人・外国人」をまとめて呼ぶ言い方だが、なぜだか外国人排斥を唱える人々と、世代間対立を煽る人たち、そして女性差別をする者とは、かさなっている。

 国政選挙だから、投票権を持たない外国人を仮想敵にしたが、やがてこのターゲットは老人にも女性にも廻ってくるだろう。事実、「日本人ファースト」を唱える政党は、高齢者の終末期医療を自己負担にせよと言い出したし、女性は働かずにさっさと子どもを産め、と唱える。>(3日付京都新聞)

 「じょろうがい」という言葉は知らなかった。そう言われて、はたと気付いた。そうか、「老人」も「社会的マイノリティ」なのか。自分では「老人」とは思っていないが、客観的にみれば72歳はもう「老人」の部類なのかもしれない。だとすれば自分も「社会的マイノリティ」の一員なのか―。

 誰の言葉か忘れたが、社会は、歴史は、マイノリティの人々の差別との闘いによって進歩してきた、という指摘がある。
 その通りだと思う。女性差別とのたたかい、在日外国人とりわけ在日コリアンの人々による差別とのたたかいが、頑迷固陋の日本の差別社会を少しずつ動かしてきた。

 ではもう1つの「社会的マイノリティ」である「老人」はどうだろうか?

 「女」や「外」に対する差別に比べ「老」に対するそれは見えにくいのではないだろうか。あるいは、差別を受けている「老」にその自覚が乏しいのではないだろうか。

 それは「老」が文字通り心身ともに老いていることもあるだろうが、「これまで十分生きてきた。乏しい財政でカネを使うなら自分たちよりもこれから社会を担う若い人や子どもたちへ」という意識が「老」にあるからではないだろうか。私にもそれに近い思いがどこかにある。

 しかし、そういう思いはけっして社会のために世のためにならない。と実は参院選の最中に思い始めていた。参政党や国民民主、維新などの露骨な「老」攻撃を目の当たりにしたからだ。

 「終わり良ければすべて良し」という言葉がある。人生もそうではないだろうか。いろいろなことがあっても、最期にどういう死に方をするかが人生の幸不幸を決めるのではないだろうか。

 逆に言えば、「老」がどういう老後を過ごし、どういう死に方をするかによって、その社会の質(やさしさ)が決まるのではないだろうか。

 だから、「もっと豊かで安心できる老後を保障しろ」と「老」の方から積極的に主張すべきではないか。それはけっして厚かましい主張ではないと思う。

 そういう「老」の主張、たたかいが、「女」や「外」が社会を変えてたように、社会を変える力になるのではないだろうか。それぞれの心身に無理のない範囲でのたたかいによって。

(ここまで書いて、社会を変えてきた「社会的マイノリティ」には「障」すなわち障がい者が欠かせないことに気付いた)



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