


6月23日は沖縄に駐留した帝国第32軍の牛島満司令官、長勇参謀長が自殺したとされている日(いわゆる「沖縄慰霊の日」)ですが、防衛省・自衛隊が隊員教育の教材に使っている牛島司令官の「辞世の句(歌)」(以下「句」)が、大本営によって改ざんされたものだったことが分かりました。
22日付の沖縄タイムスが報じたもの。沖縄国際大非常勤講師の吉川由紀氏が、国立公文書館アジア歴史資料センターが公開している暗号電報の訳文などから確認しました。
「句」は牛島司令官が沖縄の戦況とともに1945年6月18日に大本営に打電したもの。「句」とともに戦況も改ざんされました。
牛島司令官の実際の句は、「秋ヲモ待タデ枯レ行ク島ノ田草ハ帰ル御国ノ春ヲ念ジツツ」でした。
これを大本営は、「秋を待たで枯れゆく島の青草は皇国の春に甦らなむ」(大本営発表を受けた45年6月26日付新聞各紙に掲載)と変えました。
沖縄タイムスの記事によれば、「田草」は雑草、「青草」は臣民の意味。「御国ノ春ヲ念ジツツ」が「皇国の春に甦らなむ」に書き換えられたことにより、「わが国が安泰になることを願う」が「天皇の臣民に再び立ち上がってほしい」という徹底抗戦を呼びかけるものに変えられました。
吉川氏は、「辞世の句は牛島の遺志を伝えたものに過ぎなかったが、戦争を推進する人々によって改変された。決して平和を願って詠まれたものではない」(22日付沖縄タイムス)と指摘しています。
牛島司令官の孫の牛島貞満氏(71)は、牛島司令官が南部撤退を決め、自死にあたってもなお兵士らに最後まで戦うよう命令を出したことを重く受け止めて沖縄戦を調べ続けています(同沖縄タイムス)。
今回明らかになった「句」の改ざんについて貞満氏は、「多くの県民や日本軍兵士の命を犠牲にした責任は変わらない」とし、沖縄戦を調べてたどり着いた結論は「牛島満は、天皇への忠誠心しかなかった」ということだと述べています(同)。実の祖父の行為・信条を冷静・客観的に分析した見解として注目されます。
関東学院大名誉教授の林博史氏は、「牛島司令官が沖縄の人たちを犠牲にしたことに対する反省が全くない電報であることは書き換え前も後も同じだ」と指摘し、「自衛隊は沖縄戦で第32軍が住民を守らなかったという問題点を反省することなく電報を自衛隊の教育に利用してきた。それこそが問題」と強調しています(同沖縄タイムス)。
大本営(トップは天皇裕仁)が戦況を偽って発表し、戦意高揚を図って戦争を長引かせたことは周知の事実ですが、そのために「辞世の句」に込められた司令官の遺志さえも改ざんしていたところに、裕仁をはじめとする戦争推進勢力の非人間性が表れています。
そして中谷元防衛相(自衛隊出身)が「句」を「平和を願う歌」と強弁し、今も自衛隊の教材にしている事実は、防衛省・自衛隊が大本営の皇軍体質をそのまま受け継いでいる軍隊に他ならないことを明りょうに示しています。