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LNJ Logo 国賠訴訟におけるウィシュマさんのお母さんの意見陳述
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情報提供 : 指宿昭一弁護士

以下は5月21日の会見で読み上げた、国賠訴訟におけるウィシュマさんのお母さんの意見陳述(入管がビデオ映像を渡さない理由についてのコメントの部分)です。ウィシュマさん遺族は、20日に「入管の全映像開示を求める」訴訟を東京地裁に提訴しました。

【原告ポールニマ意見陳述2025年2月5日】

私、ポールニマが、母の言葉を続けます。

「娘の苦しむ姿を映したビデオの全部を遺族に引き取らせていただくこと。そ
れが、私の強い願いです。日本の入管は、なぜ今日まで、ウィシュマの姿を映
した映像のうち、全体の98%を遺族に渡さないのでしょうか。日本の入管は、
私たちが、豊かでないスリランカの人間だから、あるいは女性ばかりの家族だ
から、ビデオを渡さなくても構わないとお考えなのでしょうか。
私は知っています。母親に娘の映像を渡せない理由は、ただひとつです。そ
のビデオに『どうしても隠さなければならないもの』、つまり、とても見るに耐
えない恐ろしい虐待と過ちが映っているからです。
ビデオを家族に渡してしまえば、日本中の人が、世界中の人が、真実を知っ
てしまいます。平和で安全であると世界で信じられてきた日本の入管が、実は、
人間に対して、どれだけ残酷なことをしてきたか、入管が隠しておきたい悪事
と恥を、日本社会と国際社会に知らせることになるでしょう。けれども、日本
の入管にも、教えて差し上げたい。やってはならないことをしたときに隠して
済ませようという方法は、あなた方の組織を必ず根元から腐らせます。あなた
方の組織が未来に向かって正しく機能するために、あなた方自身が同じ過ちを
二度と侵さない組織に生まれ変わり、立ち直っていくために、あなた方は、あ
なた方自身のために、私たちにビデオを渡さなければならないことを理解する
べきです。
ウィシュマは、日本で、ルール違反を犯しました。そのことを母親として申
し訳なく思います。しかし、日本の入管は、在留期限を過ぎて滞在した娘に対
して、どんな罪人にも決して与えてはいけない虐待を与えることで、限界まで
追い詰め、ついに命を奪いました。
留学先で勉強を怠り、恐ろしい男性に振り回されてしまったウィシュマと、
もしも、生きて再会できていたならば、私は真っ先に、ウィシュマをきつく叱
ったでしょう。きつく叱って、ウィシュマを泣かせてしまったかもしれません。
でも絶対に、その後、私は、ウィシュマを力いっぱい抱きしめて、『一緒に人
生を立て直していこう、もういちど、頑張って一緒に生きていこう。バカな娘
だけれども、お前は、私とお父さんの宝もの、大切なウィシュマなんだから』
と言って、ウィシュマを許し、死ぬまでウィシュマを支えたでしょう。日本の
入管は、ウィシュマの命を奪うことで、私が母親としてウィシュマの過ちを精
いっぱい叱り、その後で、ウィシュマを抱きしめる機会を永遠に奪いました。
裁判官にお願いします。どうか、入管の責任を認める判決を書いて下さい。
身体と心の全てが張り裂けそうな思いで、今日も明日も、我が子の死を悲しみ
続けなければならない母親が、私で最後になりますように、私がいま感じてい
る、こんな思いを、もう絶対に、誰にもしてほしくないのです。」

【原告ワヨミ意見陳述 2025年2月5日】

本日は、スリランカからこの訴訟の行方を見守りながら、勝訴を祈り続けて
いる母のメッセージを、私とポールニマとで手分けして、母の代わりに読ませ
ていただきます。

「ウィシュマ。私の上の娘が亡くなって、もうすぐ4年です。毎日、娘のこと
を思い出して、言葉で表せないほど大きな悲しみに、今日も苦しみ続けていま
す。ここまで、私たちを励まして下さった日本の皆さまに感謝します。
けれども、娘の命は二度と戻りません。
ウィシュマは、私にとって、愛する夫との間に最初に授かった、かけがえのな
い娘でした。光り輝くような娘でした。毎日、ウィシュマを授けられた喜びに
満たされながら、夫婦で大切に育ててきました。美容師だった夫は、とても子
煩悩で、ウィシュマや、下の娘たちと少しでも長く一緒にいたくて、自宅のそ
ばに美容院を建てました。ウィシュマは、小さい頃から学校が終わると、この
美容院に駆けて行って、父親を手伝い、父親から髪を切る技術を学びました。
ウィシュマは、勉強も大好きでした。とても賢い娘に育ちました。大学にも行
きました。ジャーナリストになりたくて、テレビ局に勤めていた時代もありま
した。仕事で紛争地に取材に行くとウィシュマが私たちに言ってきたとき、私
たちは激しく反対しました。紛争地で大切なウィシュマの身に何かあったらと
原告ワヨミ意見陳述 2025 年 2 月 5 日 考えただけで恐ろしかったのです。
ウィシュマは私たちの気持ちを理解し、と
ても残念だったと思いますが、ジャーナリストの道を諦めてくれました。そし
て、学校の先生になってくれたのです。心優しいウィシュマは、自宅の庭も子
どもたちに解放して、子どもたちに勉強を教えてもいました。私がウィシュマ
とふたりで街に買い物に出ると、ウィシュマの生徒さんたちが駆け寄って来て、
身をかがめてひざまずき、生徒の先生に対する尊敬と感謝を込めた挨拶をウィ
シュマにしました。そのたびに、その挨拶を受けているウィシュマの横で、母
親の私がどんなに誇らしい気持ちになったか、お分かりになりますでしょうか。
「この子は、私の娘なんですよ」と大きな声で言いたかった。ウィシュマは、
本当に自慢の娘でした。
その娘が、日本で英語の先生になるために、日本に留学したいと言ってきた
とき、私はまた、強く反対しました。遠い外国に行ってしまって、娘が危険な
目に遭ったらどうしようと恐れました。早く亡くなってしまった夫の分まで、
私には、ウィシュマを守る責任があったのです。でも、私はこのとき、ウィシ
ュマの強い気持ちに、最後まで反対しきることができませんでした。日本語の
辞書をボロボロにするまで勉強して、「日本は安全で素晴らしい国なの!」と、
目を輝かせて話すウィシュマの夢を、二度までも潰したくなかったのです。私
は、家を担保にしてお金を借り、ウィシュマの日本への留学費用を作って、ウ
ィシュマを日本に送り出しました。
他の娘たちと一緒に空港まで、旅立つウィシュマを見送った日、ウィシュマ
の乗った飛行機を見ながら、私は一心に、ウィシュマの無事と健康を祈りまし
た。そのとき、まさか、ウィシュマが、日本でここまで酷い拷問を受けること
になるとは、想像もしませんでした。」

Created by staff01. Last modified on 2025-05-21 13:20:13 Copyright: Default

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