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LNJ Logo 村のタブーを打ち破った人々〜『黒川の女たち』
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堀切さとみ


 戦後80年の今、観るべき映画は?といわれたら、迷わず『黒川の女たち』と答えるだろう。すごい記録だった。満蒙開拓団の史実を掘り起こした、というだけではない。
 タブーとされた性被害の体験を、堂々と語る黒川開拓団の女性たち。どんなに「公表しちゃいけん」と言われても、自らそれを打ち破る人がいたことに、ただただ驚いた。

 1945年8月、ソ連が満州国に侵攻。捕虜になるよりはと、集団自決した開拓団もある。
 岐阜県黒川村の開拓団長は、18歳以上の未婚の女性15名を「接待」と称して差し出した。村人を生き残すための取引だった。
 同郷の家族が暮らす家屋のすぐそばで、若い女性たちはソ連兵に犯された。誰が呼び出されたのか、皆わかっている。病気になって命を落とす人もいた。
 敗戦から一年後、開拓団は帰国を果たすが、黒川村に戻った彼女たちは誹謗中傷に晒された。「満州での体験よりも、帰国してからの差別の方がつらかった」。

 「乙女の碑」という地蔵菩薩がある。開拓団員はその意味を知っている。でも口にすることはできない。黒川村の人たちは箝口令に従っていた。
 被害女性たちは黒川村を離れざるを得なかったが、励ましあい、助け合いながら戦後を生きた。そして思う。なぜ同胞を助けるために犠牲になった私たちが、辱めをうけるのか。自分たちが負った性被害は、封印されていいのか。

 長野県に「満蒙開拓平和記念館」がある。2013年にオープンし、いち早くそこで証言をしたのが佐藤ハルエさんだ。彼女は自分の体験を話したくてたまらなかったのだ。ずっと前から開拓団についての取材に応じてきたが、性被害についてはとりあげてもらえなかったという。
 続いて、安江善子さんも証言を始める。彼女はいう。「性被害は隠さなくちゃいけないというのは偏見だ」
 語り始めた二人は、水を得た魚のように生き生きとしていた。


*佐藤ハルエさん

 汚いと言われるのを恐れ、話せなかった人もいる。映画の前半は名前も顔も出さず手元だけが映される。ところが、話し始めたら孫が手紙をくれた。「伝えてくれてありがとう。自殺しないで、ばあちゃんが生きてくれたおかげで、自分たちがこの世にいる」と。

 映画には黒川開拓団の息子たちも出てくる。男たちには経験し得なかった凌辱。それを詫び、次の世代に言葉で残さなければと、勇気ある女性たちに寄り添う。
 松原文枝監督は前作『ハマのドン』でもそうだが、男だからとか、自民党だからという基準で人間を見ないのがいい。

 戦後100年になったら、生きた証言者はいなくなる。戦後80年の今がギリギリだろう。だけど「なかったことにさせない」という思いを、開拓団の娘や息子たち、その子どもたちがつないでいる。語れば必ず歴史に残る。
 「乙女の碑」には、碑文が立てられ、その除幕式では村の子どもたちがロープを引いた。

 隠すようなことではない。被害者はもっと堂々とあっていい。それを全力で受け止めた黒川村の人々に、私は心底学びたい。


*公開初日シネマロサでトークする松原文枝監督


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