パリの窓から : 極右化、イスラモフォビアと闘うとき | |
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極右化、イスラモフォビアと闘うとき
アブバカール・シセの殺害4月25日金曜の朝、南仏ガール県の町グラン・コムブのモスクで22歳のマリ人、アブバカール・シセが57回もナイフで切りつけられ殺された。犯人はその様子を自分の携帯で撮影し、逃亡した。28日の夜遅く、彼(21歳のフランス人)はイタリアで警察署に自ら出頭して逮捕され、まもなくフランスに送還される。アブバカール殺害の前日にはナント市のカトリック校で、ヒットラーやネオナチに影響を受けた16歳の少年が、同級生の女生徒を数十回ナイフで切りつけて死亡させ、他に3人生徒を負傷させるという事件が起きたばかりだった。*写真上=アブバカール・シセの5月1日の追悼集会「30年前にレイシズムによる殺人があった。今日は会うバカール・シセが殺された」
モスクの中の監視ビデオには、アブバカールの殺害者が「お前の糞アラー」と言ったシーンが映っていて、モスク内の殺人だから明らかにイスラモフォビア(イスラム嫌悪)の行為だ。しかし内務大臣(宗教部門の担当省でもある)とマクロン大統領の対応は鈍く、2日後の4月27日にようやく被害者への弔辞やイスラム教徒への連帯をツイートで述べた。事件の翌日に現地で行われた追悼行進には2000人の市民が集まったが、内務大臣も県知事も、市長(共産党)さえ参加しなかった(参加した議員は「服従しないフランスLFI」2人のみ)。残虐な殺害事件が起きると、国のトップや内務大臣は直ちに現地と家族のもとに赴いて弔辞を述べるのが常なのに、この事件ではまったく反応が遅かった。銃撃や爆弾でなくてもナイフによる殺害(計画犯罪だとビデオから判断できる)は、犯人がイスラム文化系だと直ちにテロと呼ばれ、メディアで大きく取り上げられる。ところがアブバカール殺害に関しては「反イスラム行為の可能性が高いが動機はそれだけでないかもしれない」と慎重な扱いで、反テロ特別検察の管轄にならなかった。イスラム教徒が加害者ではなくて被害者の場合、国家とメディアがどれほどダブルスタンダードの反応をするかが示されたわけで、イスラム文化系フランス人をはじめ心ある人々は大きなショックを受けた。 差別主義、イスラモフォビアをルペンと競い合う保守陣営
アブバカール殺害の2日後の日曜の夕方、彼の家族がパリに来てレピュブリック広場で最初の追悼集会が開かれた。スピーチした人たちはみんな、イスラム教徒を目の敵にするメディアのコメンテーターや政治家の発言が何ヶ月も何年も続いた末にこの殺害が起きたと指摘し、イスラモフォビアをやめさせる必要性を強調した。服従しないフランスLFIとエコロジストの政治家たちも同じ現状認識だが、マクロン陣営と保守、極右はそのことを認めない。イスラモフォビアという言葉についても、ムスリム同胞団(イスラム主義の政治・社会運動)が使ったからイスラム過激主義の語彙だという誤った解釈を主張して、言葉自体を拒否する。イスラムフォビアは、宗教への批判や嫌悪を超えて相手を非人間化する行為だと、LFIのジャン=リュック・メランションは述べる。 事実、国民議会でアブバカールへの1分間の黙祷をしようと左翼野党が提案した時、マクロン与党の議長は最初反対した。結局、意見を変えて黙祷が行われたが、国民連合RNや共和党(保守)の多くの議員は黙祷に参加しなかった。翌日、元老院の保守の議長も黙祷を拒否した。国の対応の悪さを批判した左翼議員の質問に対して、ルタイヨー内務大臣は自分に非はないと主張する。伝統主義(反動)カトリック教徒の彼は、「紙(身分証明書)だけのフランス人」というヴィシー政権の表現や、「民族的退行」など差別主義と植民者意識が表れた発言を繰り返してきた。ヴェールをつけたイスラム教徒のスポーツ選手の試合への参加を禁止する法律(共和党発案の法案が3月に元老院で可決されたが、国民議会ではまだ討議・投票されていない。「非宗教(ライシテ)」の原則とは関係ない差別法案)を擁護して、「ヴェールを倒せ!」と集会で叫んだ(独裁政権など不当な権力に対して闘う者が使う表現を、イスラム教徒の女性がつけるヴェールに対して使ったことは理解しがたい)。4月末、路上でヴェールをつけた女性が襲われてヴェールを引き剥がされそうになった。イスラモフォビアの言説が絶え間なく繰り返される空気の中で、行為に移す人が増えたのだ。
ルタイヨーはアブバカールの殺害後も立場を変えず、次には大学生のヴェールを禁止する法律を作ると息巻いている。さらに4月30日、反ファシズムの若者たちの団体「ジューヌ・ガルド(若い見張り番)」と、パレスチナの支援団体「パレスチナ緊急」を解散させる手続きを始めたと語った。双方とも暴力行為や不正の事実など皆無の団体だから、明らかな権力濫用である。ルタイヨーは2027年の大統領選に向けて、極右のルペンやゼムールに対抗する保守の候補を目指していると見られており、そのために極右と同じ差別主義とイスラムフォビアの発言と政策を打ち出している(マリーヌ・ルペンと彼女の党は欧州議会から公金横領した罪で3月末に第一審で有罪判決を受け、ルペンが2027年の大統領選に出馬できない可能性が出てきたことは、別の機会に書く)。国家の中枢におけるイスラモフォビアの激化と極右化は、フランス共和国と民主主義の重大な危機だ。国家元首マクロンの責任は大きい。 極右化、イスラムフォビアと闘う前回のコラムでも指摘したように、極右化とイスラムフォビアはメディアと政治家、文化人など社会の指導者層が主導する現象だと言える。マクロン大統領は昨年夏の総選挙の結果を否認し、首位の新人民戦線NFP(左翼)ではなくて、5パーセントしか得票できなかった保守の共和党とマクロン陣営の連立政府を組閣した。バルニエ内閣の失墜後は、政権を保持して大多数の国民が望まない緊縮政策を続行するために、極右の国民連合RNが要求する差別政策をさらに進めている。この異常な事態が存続できるのは、国家の三権を監視する役割を担うため第四の権力と呼ばれるメディア(報道界)の大部分が、政権に都合がいい報道ばかりして共和国と民主主義の理念を守ろうとしないからだ。それどころか、多くのメディアは極右の差別主義とイスラモフォビアを蔓延させた。九人の億万長者に主要メディアの八割以上を買収されたフランスでは、報道の独立性はひどく後退した。中でもボロレという極右の富豪は、差別主義とイスラムフォビアの言説を24時間テレビや雑誌・新聞で絶え間なく流布し、それが公共放送を含む他のメディアにも感染していった。さらに、政府の政策やイスラモフォビアを批判する服従しないフランス(LFI)など数少ない対抗勢力は、主要メディアで激しいバッシングを受ける。とりわけイスラエルによるガザ攻撃開始以来、ネタニヤフ政権による国際法蹂躙、ジェノサイドやパレスチナ支援を語る人たちはことごとく、ハマスとテロリズムを擁護する反ユダヤ主義というレッテルを何の根拠もなく貼られる。フランス国内のシオニズム団体は、パレスチナ支援の市民団体、労働組合員、研究者、LFIの議員、市民たちを「テロリズム擁護」の名目で訴え、検察が800件もその調査を開始したのだ。 ところが、大学や研究者へのトランプの圧力を批判するフランスの「文化人」と政治家の多くは、国内での同じ思想弾圧(パレスチナ支援の講演会の中止や支援学生の退学処分、研究者の告訴など)に対しては何も抗議しない。移民系の人たちへの暴力(警察官による殺害含む)やイスラモフォビアに対しても、左派の一部しか抗議しない長年の状況が、極右や国家による差別行為をますます助長されているのだ。これらの人権侵害を告発し続けるメランションやLFIの議員たちは、SNSでの中傷だけでなく携帯電話に死の脅迫を受けたり、住所を流布されたりする。メランションの暗殺計画2件の極右の犯人たちは有罪になったが、裁判が行われるまで警察は、暗殺計画があることをメランションに知らせなかった。つい最近も、LFIの議員が「自宅の前でお前を斬首する」と携帯に脅迫を受け、その議員は調査の即開始と護衛を要求した。これまで何度も脅迫を受けており6度告訴したが、検察から何の返答もなかったという。イスラム教徒や移民系フランス人、パレスチナ人や難民と同様、LFIの議員や支持者は、国と多くのメディアから同じ人間とは見なされていないらしい。 しかし、頭から腐ってきていても、フランス社会全体が差別主義、イスラモフォビアになったわけではないことを前回のコラムにも書いた。5月1日メーデー(祝日)の正午、アブバカールの家族はパリのレピュブリック広場で再び追悼集会を開き、多くのマリやソニンケ語族出身者を含む市民が集まった。パリ以外の複数の町でも追悼集会が開かれた。シセ家族の弁護士はアブバカールの殺害をテロ行為として訴えたが、この件の担当検事は、強迫観念的な殺意による犯行でイデオロギー的な要素はないと発表した。モスク内の殺人、「糞アラー」や「黒人だ、やって(殺して)やる」という犯人の言葉よりも、個人的で病的な要素を重視した見解だ。モスクで残酷にイスラム教徒が殺された事実にショックを受け、恐怖を覚える人がこの国で大勢いることに、この政権は無頓着なのだ。ルタイヨー内務大臣は、殺された青年は不法滞在者だから家族に連絡できなかったと述べたが、なんと非人間的で卑劣な言い訳だろうか。 さて、メーデーのデモは全国で数十万人、パリで十万以上(ATTACによると25万)のものすごい人出となった(写真上)。労組より一般市民の姿が目立ち、政府が進める労働者いじめ、大企業による工場閉鎖などに反対し、公共サービスの改善を要求すると共に、ヨーロッパとフランスが進める戦争準備への反対、レイシズムと極右への反対も大きく掲げられた。たくさんのパレスチナの旗とスカーフ(ケフィエ)やニューカレドニア・カナキーの旗も目立った。夏のような暑さの中、ダイナミックで陽気な雰囲気に溢れたデモは、市民の抵抗力を感じさせてくれた。 内務省が解散させようとしている反ファシズム団体とパレスチナ団体には、数多くの市民団体と市民が連帯を表明している。5月11日は、反イスラモフォビアのデモが行われる。急スピードで進む政権の極右化とイスラモフォビアの激化に対し、断固として闘うときに来ている。 2025.5.4 飛幡祐規 コラム第98回 マクロン陣営と極右の融合(2)バイルー新政府
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