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毎木曜掲載・第335回(2024/2/22)

感情と儀式の接合の卒業式は今も続く

『卒業式の歴史学』(有本真紀 著、講談社選書メチエ、1760円)評者:志水博子

 卒業式のシーズンだ。この本を再び手に取ったのは、今年小学校を卒業する娘さんの母である友人から聞いた次の話がきっかけだった。

 娘さんはこう言ったそうだ。
“卒業式の「呼びかけ」、こんな言葉一つも思ったことないわ。どうして思ってもいないセリフを言わされるの? こんなきれいごと、言いたくないわ!”
友人は、“そんなに納得いかないなら先生に相談してみたら?”と。
娘さんは、“そんなこと言えない空気を知らないから言えるんや!”と怒ったそうだ。

 そういえば、卒業式をテーマにして書いた本があったと本書を思い出した次第だ。裏表紙にはこうあったー「最高の卒業式」を目指し、教師と生徒が努力を重ね、みんなでともに歌い、感動し、涙する「感情の共同体」が達成されるー。この日本独特と言える「儀式と感情との接合」は、いついかにして生まれたか。涙の卒業式、この私たちにとって当たり前の光景の背景には、明治初期以来の学校制度構築の歴史が横たわっている。日本の近代と教育をめぐる、新たな視覚!

 はて、今の卒業式もやはり涙するのだろうか。そう思いながらもひょっとしたら娘さんが卒業式の「呼びかけ」について先生に言えないと思ったのは、それが、まさに「卒業式」についてだったからではないだろうか。それを解く鍵が本書に書かれているかもしれないとおよそ10年振りに読み直してみた。

 日本最初の卒業式は1876年陸軍戸山学校で行われたそうだ。いかにも近代を象徴するような話だ。近代国家成立において軍隊は必須であったろうし、そのための学校であったわけだが、そこでは「儀式」が必要とされたということか。そして、この儀式性は今日まで続いている。

 学校儀式での整列や行進といったふるまいは「調教された身体」をもって教育の成果を示すことであり、現在でも卒業生が拍手や音楽の中入場する様は一般的に見られるが、そこで卒業生は身体とふるまいにまなざしを注がれることによって祝祭空間へ入っていく。その原型は明治十年代後半に生まれたと著者はいう。そしてそこでは群れから「一同」となると。

 さらに、卒業式の式次第が全国的な統一を見せるのは国家の教育政策と密接に関連していたと追っていく。「調教された身体」が鍛えられ多くの視線にさらされてきたからこそ天皇制儀式の導入も容易だったと。

 本書で何より印象的だったのは、卒業式につきものの「歌」のことだ。著者はこう記す、一同礼の開式直後「ネーションの歌」を斉唱することで、参集した者全員が互いの声によって、国民としてのアイデンティティーを確かめ合う。この場が国家に見守られた儀式であることを、相互に意味づけるのである、と。ちょうど日本が戦争を本格的に始めた1890年代の話である。そしてそれはやはり今もなお続いている。

 たとえ歌詞の意味理解やそれへの共感を抜きにしても、息を合わせ、「われら」の一員として「われら」全員の声を揃える行為―これが今も続く卒業式の「斉唱」であろう。

 さて、友人の話にあった卒業式の「呼びかけ」は終章にあった。実は、この卒業式の「演出」を考え出したのは、あの著名な教育学者である斎藤喜博であるという。「昔そのままの形式的な卒業式には見られない、大きな感動と暖かさが講堂いっぱいにみなぎっている」と斉藤自身が述べている。ただし、斉藤は1961年の式からは、この「呼びかけ」式を廃止している。それは子どもたちの内面を抑えてしまうところがあると考えられたからだった。

 ところが皮肉なことに、この「呼びかけ」方式は全国に広がっていく。それは、旧態依然とした型通りの儀式から「卒業生が主役」の式、子どもたちが主体的に参加する「民主的」な卒業式へという流れに合致したからだろうと著者は記す。それは金八先生等の数々の学園ドラマ、いわばフィクションによっても強調されていく。

 著者は卒業式の歴史を追った後、儀式の本質が集団の感情を喚起し行き渡らせることであるならば、卒業式は最も成功した儀式といってよいだろうと最後に記している。

 なるほど、友人の娘さんが言えなかったのはこのためではなかったろうか。先生に叱られるからではなく、「感情の共同体」の発露として位置付けられた卒業式には、集団同調圧力以上の力が働くような気がする。いわば、卒業式が垂直の権力性と同時に水平の権力性が働く場であるからではないだろうか。

 本書が著されて10年以上経つ現在、一方で「呼びかけ」方式が続く中、一方垂直の権力からは卒業式には再び儀式性が求められている。本年も大阪府教育委員会から各学校に、「式典は厳粛で簡素なものとすること。国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう適切に指導すること。国歌斉唱時の教職員の起立斉唱について職務命令を発すること」等の通知(写真下)が出ている。

 卒業式とはいったい何だろう。学校というものを象徴的に表しているように思う。こうして「儀式と感情の接合」である卒業式は今後も続いていくのであろうか。


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