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LNJ Logo 『黒と白のピエタ』再演をよろこぶ/反戦・平和を求めたケーテ・コルヴィッツの生涯
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 昨日(11/30)、京浜協同劇団公演『黒と白のピエターー種子を粉に挽いてはならない』を見ました。和田庸子作のケーテ・コルヴィッツを生涯を描いた作品です。ケーテは、画家として、貧困を告発し、反戦・平和を求める美術を描きました。そのケーテの生涯が舞台に躍動しています。上演は、今日(1日)、6日、7日、8日とあります。いずれも満席のようですが、キャンセルが出る可能性もあります。044-511-4951にお問い合わせください。以下は、公演パンフレットに掲載された拙文です。(志真斗美恵)

「黒と白のピエタ」再演をよろこぶ

 和田庸子作「黒と白のピエタ」が再演される。ずっと待ち望んでいたことが実現した。

 2022年、作者の和田さんが亡くなられた。ほんとうに突然のことで言葉が出なかった。「おーい!煙突男よ」(和田庸子作)の上演が終わった直後だった。いつもと変わらない美しい筆跡で書かれた、上演の成功を伝える和田さんの手紙を受けとった。日付は亡くなる前の日になっていた。

 再演の企画は、娘さんの板垣けゑてさんで、彼女は初演のときは役者として出演していた。演出の杉本考司さん(東京芸術座)、ケーテを演じる若杉民さん(劇団民藝)は、初演の時と同じで、再演のために若い人たちがさらに大勢参加されていると聞く。

 私は、学生時代に、ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)の作品と文章にふれ、その時から、彼女を多くの人に知ってほしいと願っていた。ケーテ・コルヴィッツの生涯を言葉で描いてみようと思いたち『ケーテ・コルヴィッツの肖像』(績文堂出版)を2006年に上梓した。その直後に京浜協同劇団の和田庸子さんから連絡をいただいた。彼女は長女をけゑてと名付けるほどケーテ・コルヴィッツを愛していた。「この本を読み、ケーテの生涯の全体像が分かった」と過分な言葉を和田さんにいただき、同時に、劇作への意欲もきかせていただいた。

 私は、それまでケーテ・コルヴィッツが日本の舞台の上でみられるとは思ってもみなかった。ところが、それは実現し、ケーテが舞台の上でよみがえり、語りかけてくるではないか。「白と黒のピエタ」という題名も素敵で、和田さんの言葉への感覚に感じ入った。ケーテが生きてここにいる。なんと素晴らしいのだろう。

 ケーテ・コルヴィッツは、彼女自身が「理屈抜きに美しい」と思った働く者の生活とたたかいを版画で描いた。夫のカールは貧しい労働者を診る医者で、ケーテは日常的に患者たちと接していた。が、第一次世界大戦が勃発すると、一八歳の次男ペーターの志願を認め、戦死させてしまった。それを悔やみ、彼女は、戦争に反対し平和を希求する作品を作り続けた。

 ケーテの代表作の一つに彫刻「ピエタ」がある。ピエタはイタリア語で「悲哀」「哀悼」「慈悲」を意味し、聖母マリアが処刑されたキリストを抱く姿が彫刻や絵画になっている。

 ケーテは、膝に亡くなった息子を抱き、悲しんでいる母を造形し、平和への願いを込めた。それは今、大きく拡大され、ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデンに面したノイエ・ヴァッヘ(戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼所)に設置されている。

 私たちは、ケーテの「ピエタ」を日本の美術館でも見ることができる。小淵沢の「フィリア美術館」そして、沖縄の普天間基地に隣接した「佐喜眞美術館」である。ケーテの作品は、ほかにも、長野市「ひとミュージアム」、長岡市「新潟県立近代美術館」などでもみることが可能だ。

 2015年、ソウルでケーテ・コルヴィッツ展が開かれた。ケーテ・コルヴィッツの作品を日本から韓国に運ぶことに意義があると、佐喜眞美術館から「ピエタ」も含め作品が貸し出され、画集も出版された。日本語で裏表紙に「ドイツ民衆美術の母であり、東アジアの民衆美術の母、ケーテ・コルヴィッツ」と記されている。

 彼女の作品を日本にはじめて紹介したのは、ドイツに留学中の千田是也だった。千田は、1928年、ケーテ・コルヴィッツの生誕六〇年記念展をベルリンで見て感動し、日本へ記事を送った。中国の魯迅は、死の直前、1936年に上海で「ケーテ・コルヴィッツ版画選集」を出版し、人を介し日本の中野重治に届けた。宮本百合子は、1941年、戦争中公表できた最後の文章として「ケーテ・コルヴィッツの画業」を書いた。

 一方、ドイツではヒットラーが政権を握り、1936年、ケーテはベルリンの自宅でゲシュタボの尋問を受け、七〇歳の記念展は、計画されたが結局開くことはできなかった。

 第2次世界大戦のさなか、ケーテは遺言として、版画「種を粉に挽いてはならない」を制作した。第2次世界大戦で孫ペーターが戦死した。ケーテは、亡くなる前に孫娘に語りかける。「いつか、一つの新しい理想が生まれるでしょう。そしてあらゆる戦争は終わりを告げるでしょう。そのためにはつらい仕事をしなければならない。だが、それは、いつかは成し遂げられるでしょう。この確信を抱いて私は死ぬのです。」

 二〇一〇年の初演から一四年がたつ。だが、ウクライナ、そしてパレスチナと戦争は拡大している。今回の上演は、あらためて、戦争をなくし平和を追求する私たちに語りかけている。「種を粉に挽いてはならない」と。


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