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<美術館めぐり>時代と正面から向きあって/「戦後の女性画家たち」展 | ||||||
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志真斗美恵 第1回(2024.7.22)・毎月第4月曜掲載 ●「戦後の女性画家たち」展(実践女子大学香雪記念資料館) 時代と正面から向きあって同館では、すでに、朝倉摂個展、有馬さとえ小企画展を開催している。今回の有馬の「5月の窓」(1946)は戦後の明るさを、朝倉の「日雇いの母」(1953)は「戦後復興の中で置き去りにされていく」母子を描いていた。 展示作品の多い小林喜巳子と招瑞娟は、1946年、連合国軍総司令部(GHQ)の介入を受け男女共学になった東京美術学校(現・東京芸術大学)の1期生だった(招は外国籍のため油絵科特別学生)。2人は、ともにケーテ・コルヴィッツの影響を受け、日本では数少ない版画運動に参加した女性画家である。
3歳の時の病いで、指先以外右手が動かなかった小林は、1951年東京美術学校卒業後、同級生とグループを結成、平和美術展、日本アンデパンダン展等に出品。今回展示された油彩の「題名不詳 (貝を剥く人)」(制作年不詳)、「町工場」(1957)で働く女性を、木版多色刷「アトリエにて」(1987)でも女性を意識的に描いていた。 中国・広東生まれの招瑞娟は、1924年、3歳で家族とともに神戸へ。華僑として教育を受け、華僑の幼稚園教師になった。魯迅の木刻運動に共鳴した李平凡が起こした神戸新集体版画協会に招は参加したが、その後、特高警察による監視や空襲のために版画制作は不可能な状態に追い込まれた。敗戦後、版画を学ぶために上京し、東京美術学校に入学したものの、数年間学んだ後に、神戸同文学校の教員不足のため呼び戻された。だが版画の制作はやめなかった。1959年、反原爆の版画を多数描いた上野誠の勧めで日本版画協会に入会。 木版画「老婦」(1959)は、ケーテ・コルヴィッツが描いた手を思わせる。「石炭かつぎ」(1956)、「麻袋を繕う老婦」(1957)、「鳩と少女(孤独)」(1964)「シャボン玉の中の私」(1976)等、彼女の木版画は、抑圧されたもの側に立ち、生涯神戸で生きた招瑞娟だからこそ描ける作品だった。その多くは、日本版画協会展に出品されている。彼女の版画をもっと知りたいと思い、帰宅して、遺作展を開いたという神戸華僑歴史博物館に問い合わせをした。 彼女たちの作品は、より広く見られ、討論されることを私は切望する。ぜひ見てほしい。(実践女子大学渋谷キャンバス香雪記念資料館・無料・8月3日まで) 〔著者紹介〕志真斗美恵(しまとみえ) Created by staff01. Last modified on 2024-08-01 14:38:59 Copyright: Default |