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丸木夫妻の〈沖縄戦の図〉はどのように描かれたのか〜映画『沖縄戦の図』を観て

志真 斗美恵

 沖縄慰霊の日の前日、映画『沖縄戦の図』(監督・撮影=河邑厚徳 2023年88分)を、見るために、東京写真美術館へ行った。この映画を見るのは2度目だ。

 丸木位里(1901-1993)、丸木俊(1912-2000)夫妻は、原爆が投下された直後、位里の生まれ故郷でもある広島に入り、未曽有の惨状を経験した。2人は〈原爆の図〉15部(1950−1982)を制作したのち、作品を携えて、日本国内そして世界を行脚し、衝撃を与えた。続いて〈南京大虐殺の図〉〈アウシュビッツの図〉〈水俣の図〉〈足尾銅山鉱毒の図〉等を描き、さらに晩年80代の6年をかけて〈沖縄戦の図〉14図を制作した。

 丸木夫妻は、沖縄を描かずにはいられなかった。沖縄は、日本で唯一の地上戦になった「現場」。だが、記録は、アメリカのもののみで、日本によるものはまったくない。夫妻は、本島のみならず近隣諸島にまで赴き、体験者の話を直に聞く。沖縄の人をモデルにスケッチをする。

 丸木夫妻が、描いた〈沖縄戦の図〉が、河邑監督によって、ドキュメンタリー映画となった。映画『沖縄戦の図』は、佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」の前で、三線を弾きながら、若い新垣成世が聞くものに染み込むように歌うところから始まる。

 〈沖縄戦の図〉を常設する佐喜眞美術館はどのようにして建てられたのか、さらに〈沖縄戦の図〉はどのように描かれたのか。何人もの人からいくつものエピソードが語られ、映画はそれを〈沖縄戦の図〉の作品画像に織り込んでいく。

 〈沖縄戦の図〉を展示するために、米軍普天間基地から美術館建築用地として佐喜真道夫現館長が土地を返還させた。佐喜真館長は鍼灸師として、11年間、夫妻を治療していた縁から美術館開設に至ったことを「奇跡」だったと語る。「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県・東松山市)の丸木ひさ子さん、学芸員の岡村幸宣さんも〈沖縄戦の図〉に二人はなぜ取り組んだのかを語る。また平良牧師夫妻も二人の情熱の大きさを話す。沖縄での夫妻の写真(撮影・本橋誠一)も挿入される。スケッチブックを携えて浜を歩き、楽しそうにカチャシーを踊る2人。

 こうした写真や動画を交えながら、映画は、全14図の作品を制作年順に丹念に追っていく。

 「久米島の虐殺」(1) (2) 「亀甲墓」「自然壕(ガマ)」「喜屋武岬」「集団自殺」「暁の実弾射撃」「ひめゆりの塔」(各180×1801983)の8作品が、翌年、シリーズと同名で最大の「沖縄戦の図」(400×850)が描かれた。「沖縄戦―ガマ」「沖縄戦―きゃん岬」(各180×3601986)と続き、最後は、〈沖縄戦読谷三部作〉「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」(各180×7201987)。

 丸木夫妻は、連作を日本兵による朝鮮人虐殺から始めた(「久米島の虐殺」(1) (2))。子供を抱え乳飲み子を背負った妻(日本人)は日本刀で殺され、スパイ容疑をかけられた朝鮮人の夫は、首に縄をかけられ引きずりまわされたあげくに殺される。その図がクローズアップされる。戦いが終わった後、日本兵によって朝鮮人一家が皆殺しされたことを、夫妻はまず訴えずにはいられなかったのだ。

 次の「暁の実弾射撃」では、戦後の沖縄が描かれる。実弾射撃に旗をもって抗議する青年たち、基地に張めぐらされたフェンスの前には機動隊のアルミの盾が並ぶ。「ひめゆりの塔」では、沖縄を訪れた若い皇太子夫妻の実写映像が挿入され、図の左下に描かれた2人の顔がクローズアップされる。沖縄訪問に反対するヘルメットをかぶった青年2人が、沖縄戦で死んだひめゆり部隊の若い女性の顔に交じっている。映画に、女子学生だった少女たちの記念写真のショットが挿入される。

 「沖縄戦の図」の赤は、血の色、炎の色。女性が、頭に風呂敷包みを持ち足元には子どもをつれ、逃げていく。骸骨の中に混じって丸木夫妻の顔。生き残った3人の子供も描かれているとナレーションが入る。3人は、死んだ人びとを忘れはしない。

 「沖縄戦―きゃん岬」では、中央で舞うオレンジ色に彩色されたたくさんの蝶が目に入る。死んだ人は蝶になると琉球の伝説にはあるという。 

 最後の〈沖縄戦読谷3部作〉(1987年制作)―「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」。映画では、子供の時、ガマから逃げ生き残った男性が、現地で当時の状況を話し、知花昌一は、若い女性2人をガマに案内する。

 シムクガマに逃れた村民は、ひとりの日系米兵の説得で誰一人死ななかった。図は、ガマの中を滔々と水が流れているだけ。水の音、そして、生き残った人びとの声が聞こえてくるようだ。

 夫妻は、最後に〈希望〉を描きたかった。シーサーの前で大太鼓を打ち鳴らす若者、三線をひく人、聞き入る人びとによる村の祭りが描かれる。だが、その中に沖縄戦で亡くなった少年が描かれている。その死者は、忘れないことのあかしだ。

 上映後に登壇した河邑監督は、丸木夫妻の絵をみると、反対に自分が見られているといつも思うと静かに話された。地上戦では一番弱いもの―子ども、老人、病人がまず犠牲になる。沖縄がそうだった。いまの、ガザやウクライナでも同じだ。

 明治維新からの80年は敗戦で終り、来年、敗戦からの80年を迎える。今後の80年はどうなるのか。大きな転換点にさしかかっている。私たちはこれからどうすればよいのかと、問われた。

 私は続けて「座・高円寺」に向かった。20日から沖縄慰霊の日まで行われた〈日韓琉 鎮魂のまつり〉を見たかった。ここでは、伝統芸能を中心に、戦争を題材にした多田富雄作の新作能や組踊、韓国のパンソリ、農楽など、1回ごとに異なった「日・韓・琉」の作品が上演される。私が見たのは、韓国農楽、日本の仕舞、沖縄の組踊。これまで自分がどんなに西欧中心の文化にならされていたかを思い知らされた。パンフレットの中心には丸木位里・丸木俊の「沖縄戦―きゃん岬」が使われていた。

 今朝(6月24日)新聞で、沖縄全戦没者追悼式で朗読された宮古高校3年仲間友佑さんの詩「これから」を読んで、胸が詰まる思いだった。「あの日も/海は青く/同じように太陽が照りつけていた/そういう普遍の中にただ/平和が欠けることの怖さを/僕たちは知っている」(仲間さんの詩より)

 東京都写真美術館での『沖縄戦の図』上映日程は次の通り。6月18日〜30日、8月3日〜23日。(月曜日は休み・時間等詳細はHPで)


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