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「戦はNO」が日常にある中で〜映画『戦雲―いくさふむ』を観て

笠原真弓

 スクリーンに映し出されたおばぁの姿。彼女は静かに歌い出す。八重山の魂の歌「とぅばらーま」が薄曇りの空に吸い込まれていく。
 これまでの沖縄の、また今の基地闘争の中で、これほど島の人々の生活が描かれた映画があっただろうか。その生活基盤が壊されるから反対するのだということが、痛いほど伝わってくる。彼らの息の長い基地反対闘争は、日常の中から自然に湧き上がってくる「強さ」なのだと納得できるのだ。

 だから、与那国島のカジキ漁師は、自分は保守だと言いつつ、軍事基地化には心が揺れる。弾薬庫は作るけれどミサイルは持ち込まないはずが、いつの間にか弾薬庫の次に、ミサイルの格納庫を作り始める政府。国の裏切りに歯ぎしりする住民。”攻められたら積極的に攻撃する”ために、沖縄本島はじめ南西諸島を軍事要塞化していることは、隠しようがない
 子どもの頃から両親と共に闘争現場に立っていた宮古島の女性は、今や自分の意思で市議になって、最前線に立つ。彼女は議会で遠慮なく市長に異議を訴えるが、したたかな市長は、事実は認めても変更はしない。帰宅した彼女は、そのモヤモヤをヤギの世話をすることでリセットし、新たな活動に向かう。

 戦争をしない監視部隊のはずの自衛隊が、戦闘部隊化していくのを憂う例る人々は、様々な場面で激しく、あるいは静かに意思表示をしていく。 人々は自衛隊員にも地元の行事への参加を促しているし、その子どもも地元小学校に受け入れられ、お互いに屈託なく学び、遊んでいるようだ。確かに、自衛隊の家族が島に来たことで、統廃合は免れてもいる。
 でも自衛隊は、島民の生活は守らない。勝手に作った「全島避難」計画には、牛の命は含まれず、人々は手荷物1つでの逃避行だという。

 沖縄の人々は賛成派反対派が日常的に対峙しているわけではなく、お互いに尊重しながら、戦のない暮らしを望んでいるのに、それが真逆の方向に行く。その悲しみが、日常が映し出されれば映しだされるほど、私の胸にキリキリと深く浸透していった。
  (消費者レポートより加筆訂正)

  

 132分/3月16日より東京・ポレポレ東中野、3月23日より沖縄・桜坂劇場ほか全国順次公開
 写真=(C)2024『戦雲』製作委員会


Created by staff01. Last modified on 2024-03-17 14:00:28 Copyright: Default

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