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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『自分で考え判断する教育を求めてー「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』
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毎木曜掲載・第324回(2023/11/23)

根津公子さんは紛れもない教師だった

『自分で考え判断する教育を求めてー「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』(根津公子著、影書房、2200円)評者:志水博子

 おそらく多くの親が、そして教員が、子どもたちに「自分で考え判断する」人間になることを望んでいるだろう。それに異を唱える人は、まずいない。ところが、今の学校が「自分で考え判断する」人間を育てているかというと、疑問を呈する人がほとんどだろう。集団生活のルールや規則で縛り、上意下達の体制のなかでは意見表明することさえままならない。

 では、なぜ、日本の学校では「自分で考え判断する」教育が根付かないのか。ひょっとして、それは意図的に仕組まれたものではないか。本書は、そのことを考えるにはうってつけ、いや必須の書といえる。つまり、戦後の公教育における「日の丸・君が代」を巡る問題抜きには現在の公教育の問題性を捉えることはできないのではないだろうか。

 今さら言うまでもないことかもしれないが、日本社会では、忖度、根回し、わきまえ、等々、およそ議論で白黒決着をつけるよりも、「平和裡」と言おうか、「和を尊ぶ」とでも言おうか、つまり責任を追及しないまま、なぁなぁでケリをつけることが喜ばれる。「大人の判断」というやつだ。しかし、それがどれほど子どもたちから希望を奪っていることか。何にしても責任を曖昧にしたままでは、子どもたちは学ぶことすらままならない。

 著者は、学校において、歴史に触れず、その意味を説明せず、ただ「慣例上の儀礼的な所作」、すなわち、卒業式や入学式では、意味を知らなくても、わけがわからなくてもみんなやるものでしょ、と言わんばかりの強制に一貫して反対する。言わんばかりと書いたが、実は、最高裁すなわち司法がそう言っているのだから驚きだ。

 2011年5・6月の最高裁における「君が代」不起立の一連の判決は、平たく言えば、このように言っている、卒業式で「君が代」を歌うのは、「慣例上の儀礼的な所作」、つまり同調圧力としてみんな意味もわからず歌うものなのだから、およそ思想などとは無関係なことなんだよと。司法がそんな簡単に学校でやっていることを「意味もわからずみんながやっていることだ」と言ってしまっていいのだろうかと唖然とする。思想の問題はいとも簡単に「みんなやっている」式の理論によって片付けられてしまうわけだ。ここにこの問題の本質が潜んでいる。

 しかしそうはいっても最高裁、いくら何でも、それではあまりにも憲法19条すなわち「思想及び良心の自由の保障」を軽く捉えていると判断されるのを避けるためか、でもこれは憲法19条の直接的制約ではないけれど間接的制約には当たるかも、と言い出す。そして、「君が代」斉唱命令は、総合的に考えれば「慣例上の儀礼的な所作」という教育上の重要な儀式になくてはならないものであるゆえ、思想・良心の自由を「間接的に制約」することもやむを得ないと結論づける。

 どういう理屈か皆目理解できないが、要するに、学校はみんな同じことを同じようにするところなんですよ、ということか。繰り返すが、これがこの問題の本質をよく表している。

 司法だけではない、本書では行政のありさまが具体的に書かれている。行政、特に教育行政については、学校関係者以外はあまり知られていないかもしれない。本来は政治とは一線を画しているはずの教育行政が、こと「日の丸・君が代」のことになるとここまでするか、という事例がいやというほど出てくる。これはやはり政治勢力と関係しているとしか思えない。しかもやっていることは、ありていに言えば「いじめ」だ。


*写真=根津公子さん(2016年6月19日、裁判勝利報告集会)

 「教え子を再び戦場に送るな」とは、戦後教育の出発点だ。戦中「日の丸・君が代」が果たした役割を考えれば、多くの教師は、再び学校に「日の丸・君が代」が持ち込まれることに反対した。ところが、政治勢力は学校における「日の丸・君が代」の実施を求め、行政はそれに従う。一方で、戦争の記憶が遠のくにつれ、人々はオリンピックやワールドカップを通して「日の丸・君が代」に親しみを持っていく、しかし、だからといって教育の場で一律に「日の丸・君が代」を強制するわけにはいかない。著者の闘いは一貫して筋が通っている。2003年以降、東京では、行政の方針により「君が代」起立斉唱の職務命令が出されている。これは今なお続く。著者は何度も懲戒処分を受ける。しかも累積荷重とやらでだんだん重くなり、ついには免職というところまでいく。それでも「君が代」不起立を貫く。ついに行政も著者をクビにはできなかった。著者は、支援者のおかげというが、著者あっての支援者だ。著者の闘いは並大抵のものではない。

 その闘いの中で見えてきた2つのエピソードを紹介したい。一つは「闘いのなかで克服すべきこと」。名だたる学者やたよりとする弁護士、“仲間”と思ってやってきた人たちからのハラスメントの問題である。著者はこう記す「運動のなかには女性差別をはじめとするマジョリティ男性としての権力を持つ人が少なからずいると感じてきた。克服しなければならない課題であり、ここでも声をあげなければならないと思い、事実を記すことにした」と。私が知る、ある市民活動家の女性も同じことを言っていた。敵はおっさんだと。

 もうひとつのエピソードは、それとは正反対かもしれない。著者は一度校長を慮り「君が代」斉唱時途中まで起立したことがあった。その時、縛られた中国人捕虜を前にした日本軍初年兵の姿が浮かんでくる。「殺すことなど考えられなかったが、1人殺したら平気になった。2人目からは殺すことに快感を伴った」とは元初年兵の言葉だが、お前は刺すのかと問われた思いで、それでも約束した「さざれ石の」まではふらふらしながら立っていた。苦しくて苦しくて着席して「突かなくてよかった」とほっとする。

 その思いを土井敏邦監督制作のドキュメンタリー映画の『“私”を生きる』のなかで語る。この映画には、キリスト教者として「君が代」ピアノ伴奏を拒否した佐藤美和子さんも取り上げられている。その佐藤さんと著者の話が「佐藤美和子さんからのメール」として出てくる。佐藤さんはこう記している「生徒たちの前で一度だけ起立した根津さん、根津さんを一人にしてきた私。自身の加害の直視しながら自分を取り戻してきたと思う」と。これも闘ってきたからこそ得られた出会いであろう。

 実は、東京の根津公子さんらの闘いからおよそ10年経った頃、大阪でも橋下維新政治のもと、「君が代」強制・処分の嵐が吹き荒れる。これを書いている私自身も「君が代」不起立で2度の懲戒処分を受けた。その私が、曲がりなりにも「闘って」来られたのは根津公子さんの不屈の闘いがあったからこそだ。それを思うと、本書は、「歴史」の記録としての意義がある。この歴史を残さなければとの思いで本書を著されたことが痛いほどわかる。

 最後に、本書には、著者を支えてきた生徒や保護者や同僚が数多く出てくる。それらの関わりを読みながら、私は、ふと、2021年、松井市長に「提言」を出した大阪市立木川南小学校元校長の久保敬さんを思い出した。久保さんの教育実践も素晴らしい。ところが、行政は、久保さんを公務員失墜行為を理由として「文書訓告」とした。久保さんの元同僚が処分取り消しを求めて大阪市教育委員会に言い放った言葉が的を射ている。「久保さんこそが公務員ですよ」。それでいうなら、本書の著者、根津公子さんは紛れもなく教師であり公務員であった。


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