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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『食べものから学ぶ世界史〜人も自然も壊さない経済とは』
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毎木曜掲載・第303回(2023/6/22)

優しく学べるマルクス経済学の入門書

『食べものから学ぶ世界史〜人も自然も壊さない経済とは』(平賀緑著、岩波ジュニア新書、2021)評者:菊池恵介

 世界には120億人を養えるほどの食料があるにもかかわらず、現在78億人の人口のうち、約20億人が食料不安に直面し、7〜8億人が飢餓状態に置かれている。一方、十数億人が肥満で生活習慣病を患うと同時に、膨大なエネルギーを浪費して生産された食料の三分の一が廃棄されている。このような倒錯した世界がいかにして作りだされたのか。その背景には、食べものが「商品」となり、資本主義体制に包摂されていったプロセスがあると本書は指摘する。

 かつて地球上のほとんどの地域で人々は農村に住み、自分たちの食料や衣服、道具などを自給して生活していた。労働とは、自分たちが食べたり、使用したりするものを作る行為であって、利潤を目的とする「商品」を生産することではなかった。ところが、産業革命以降、多くの人々が農地を追われ、工場や商店などで働くようになった。こうして都市部に流れてきた人々は、自分たちの食料や道具を自給できなくなり、他人から購入せざるをえなくなった。ここに「需要」が生まれ、食料などの生活必需品を「商品」として販売する「市場」が発展していった。

 こうして都市部の工場で働く底辺労働者たちに、いかにして十分な食料を供給するか。その一つの解決策としてイギリスで始まったのが、新大陸からの穀物の輸入である。コロンブスの「発見」以来、西洋列強は、カリブ海や南北アメリカ大陸を征服し、金銀の略奪を繰り広げた。その結果、先住民の人口が激減すると、大西洋間奴隷貿易によって西アフリカから労働力を調達し、農園経営を営むようになった。こうして新世界のプランテーションで生産された小麦や砂糖などの商品作物をヨーロッパに輸入し、安価な食料を労働者に供給して、産業革命を支えていった。近代世界システムの誕生を背景とする「第一次フード・レジーム」の構築である。

 この最初のフード・システムが大英帝国の覇権のもとで作り出されたのに対して、「第二次フード・システム」は、アメリカの覇権のもとで誕生した。第二次大戦後の資本主義は、自由放任の経済からケインズ主義体制に移行し、「大量生産・大量消費」のサイクルを生み出したが、その流れは、工業部門だけでなく、農業や畜産などにも及んだ。地平線に広がる広大な農地に、石油から作られた大量の化学肥料や農薬を投下し、巨大な農業機械でトウモロコシや大豆などを収穫する。そして、これらの穀物を飼料として、「動物工場」と呼ばれる狭い空間で鶏、豚、牛などを大量に飼育し、畜産物や乳製品を生産する。「資本主義的な食料システム」の誕生である。

 だが、食料を「商品」として大量生産すれば、大量に販売するための「市場」が必要となるが、国内で消費できる食料には限度がある。そこで、二つの方法で問題の解消が図られるようになった。一つは、農産物や畜産物の市場を海外に拡大すること。もうひとつは、原材料を加工して新商品を開発し、宣伝することで消費量を拡大することである。

 とりわけ、戦後のアメリカは、過剰生産された小麦や大豆などの農産物を海外に輸出することに国家を上げて取り組んだ。当初の目的は、戦禍で荒廃した西欧や日本に「食糧援助」を施し、戦後復興を支援することだったが、まもなく米国産の農産物への海外市場を開拓することに主眼が置かれるようになった。敗戦後の日本に米国産の「メリケン粉」や大豆が流入し、学校給食などを通じてパン食が普及した背景には、これらの思惑がある。また、東西冷戦が激化してくると、食料援助は独立したアジア・アフリカ諸国を西側陣営に取り込むという戦略的意義を帯びるようになった。

 こうしてアメリカを中心とする「第二次フード・レジーム」が誕生したが、それに伴い、二つの矛盾が拡大していった。一つは、小麦や砂糖、油脂、肉類などの栄養価の高い食料の大量消費の結果、先進国では肥満の割合が増大し、糖尿病などの生活習慣病が急速に拡大したこと。もう一つは、工業的農業によって生産された安い農産物が大量に先進国から流入したことで、途上国の経済基盤が破壊され、大量の農民が失業することにより、スラムの人口が爆発的に増加したことである。とりわけ、1960年代には「緑の革命」の名において、「北」の農薬、化学肥料、種子産業が「南」に進出し、工業的農業モデルの導入を図ったが、その結果、農業資材を購入できる少数の大規模農家が収穫量を増やす一方、大半の小規模生産者は淘汰され、飢餓人口が増大するという皮肉な帰結がもたらされた。

 こうして「資本主義的食糧システム」は世界を包摂したが、ここに来て大きな壁に直面している。環境破壊と地球温暖化である。現代の工業的農業・食料システムは、化石燃料や地下水などの資源を枯渇させるばかりでなく、化学薬品やプラスチックなどの有害物質を大量に生み出している。さらに、二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを大気中に排出し、気候変動を加速させている。その排出量は、世界の温室効果ガスの26%とも、34%とも推定され、苛烈な熱波や森林火災、集中豪雨やハリケーンなどの大きな要因となっている。

 この破壊的な経済モデルからどのようにして脱却し、「人も自然も壊さない経済」へと移行できるのか。斉藤幸平の『人新世の「資本論」』に続き、本書も「〈商品〉としての価値ではなく、〈使用価値〉(有用性)を重視する社会」へと移行することを提唱する。GDPを指標とする現在の経済モデルでは、皮肉にも人や環境に悪影響を及ぼせば及ぼすほど、「成長」したことになる。「食品を過剰に生産して必要以上に消費(食べ過ぎ)すれば経済成長、メタボになってジムや医者に行けば経済成長、トクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長、食品ロスを増やせばその処理事業でも経済成長というぐあいに」。これに対して、「逆に、自分が家庭菜園で有機栽培した野菜を、自分で料理して、おいしく健康な食生活をすることは、人と自然がハッピーになれても、GDPには計上されず、経済成長につながらない」。そんな倒錯した尺度を見直し、自分自身や周囲の人々、地域や環境に役立つ活動が重視されるような社会へと移行する必要があるというのである。その手始めとして、本書が最後に提案するのが、日々の食卓に並ぶ食材の生産過程に目を向け、地域に根ざした食と農のシステムを再構築していくことである。

 資本主義の権力構造に踏み込まず、もっぱら価値観の転換一本で、巨大アグリビジネスの世界を突き崩せるかどうかは、若干、議論の余地が残る点である。だが、砂糖や小麦、豚肉といった身近な食べものの歴史を通じて、資本主義による農業の包摂のプロセスを世界史的な観点から描き出していく著者の手腕は見事である。また、中学生にも理解できる優しい語り口で綴られている点でも、本書はマルクス経済学や近代世界システム論への類を見ない優れた入門書となっている。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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