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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕もう一つの捕虜体験/『シベリヤ物語』
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毎木曜掲載・第285回(2023/1/26)

もう一つの捕虜体験

『シベリヤ物語』(長谷川四郎 著、講談社文芸文庫、1991年刊、980円)評者:佐々木有美

 映画『ラーゲリより愛を込めて』が好評である。残念ながら未見だが、映画の宣伝を見て、真っ先に思い出したのが、長谷川四郎の『シベリヤ物語』だった。著者のシベリアでの捕虜体験をもとに描いた短編集は1952年に出版されている。長谷川は戦前、南満州鉄道に勤務、その後、満州国協和会調査部に入り1944年に現地招集、入隊。1945年から1950年までの約6年間、シベリアで抑留生活を送った。帰国直後から執筆活動を開始。「わたしは戦争がなかったならば、小説みたいなものを書くハメにおちいらなかっただろう」と後に書いている。

 『シベリヤ物語』には、わたしたちが想像するような、捕虜生活の過酷と苦難は描かれていない。11篇からなる本書で語られているのは約1篇を除き、ほぼ現地に住む人々と作者の交わりである。日本人捕虜たちは、シベリア各地を転々と移動させられ、炭鉱や工場などの労働力不足を補うために使われた。長谷川も、多様な労働につき、多くの人々と出会った。ロシア語に通じていた彼は、より深く民衆の気持ちに分け入ることができた。

 今回、読み返してみてあらためて感じたのは、この本の暖かな手触りと不思議な透明感である。主観を排して淡々と語られる物語は、名もなき人々の懸命に生きる姿を活写する。シルカの町で出会ったコルホーズ(集団農場)の野菜班長、マリーア・ゾロトゥヒナは、腹をすかせた日本人捕虜たちに、じゃがいもを指して「食え、兵隊たち」と言う。彼女は「兵隊たち」に捕虜とか日本人とかいう観念を全然もたず、ただの労働者として扱った。写真=長谷川四郎

 酷寒の中、カチカチに凍ったごみ捨て場の掃除を命令され、黙々と仕事をこなす主人公に、ごみ運びのヴィクトルは、一緒に温まろうと近くの家にさそう。自分の人生を「悪い人生だ」と言う彼は、ウクライナ人だ。戦争で侵攻してきたドイツ人にはソビエト人としてこき使われ、そのあとソビエトが勝つとドイツに味方したとシベリアに送られて来た。

 煉瓦工のベラルーシ人ラドシュキンは、5人家族。ベッドが足りず妻の妹は食卓の上で眠った。「俺は小さな人間だ」と言うラドシュキン。しかし、その「小さな世界」の中で、彼の誠実さはきわだっている。そう、さまざまな民族のさまざまな人間が登場する。社会主義革命後30年でも、正教徒たちは堂々と神を支持する。謎のにわか通訳アンナ・ガールキナは自分の出自を頑なに明らかにしない。印象的なのは、作品中に登場するソ連内の少数民族やモンゴル人の少年たちの姿だ。颯爽と馬を駆る彼らは魅力的で、作品に生命の息吹をそそぎこんでいる。

 作家の五木寛之は、かつて本書を「捕虜生活の苦しみが描かれていない」と長谷川に語った。長谷川はそれに「それは罪あるものとして私がよろこんでシベリヤに服役したためかもしれない」と書いている。官民一体の国民教化組織である満州国共和会に所属していた長谷川は、自らを「戦犯」としていた。作家の小沢信男は書いている。「(長谷川は)被害の泣き言物語を一行たりとも書く気がなかった」「加害者としての懺悔も禁じる。謝ってすませようとめそめそしてみせるのは、裏返しの被害者意識かもしれない」(『長谷川四郎 鶴/シベリヤ物語』「解説」より)と。そしてその回答がこれらの作品なのだと。

 戦時中、日本の敗戦を疑わなかった長谷川四郎は、人間を自由を愛したのである。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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