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LNJ Logo 太田昌国のコラム : ガザで始まったもう一つの「9・11」事態
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 ●第83回 2023年10月10日(毎月10日)

ガザで始まったもう一つの「9・11」事態


BBCニュースより

 ハマスがパレスチナ自治政府の主流派組織ファタハと連立政権を発足させたのは2007年だったが、すぐに内部抗争が激化し、ハマスはガザ地区を武力で制圧し、実効支配を始めた。同じ年、イスラエルはガザを封鎖し始めたのだが、この過酷な状況の下でハマスが貧困層への支援を行ない、医療施設や学校の整備に力を注いで、民衆の一定の支持を受けているらしいことは、さまざまな報告から知っていた。同時にこの15年有余、ハマスがイスラエル領内にロケット弾を打ち込むというニュースもときどき流れた。軍事国家イスラエルは、「やられたらやりかえせ」とばかりに、これに倍する報復攻撃を、狭いガザ地区に向けて行なうのが常であるから、私は、勝ち目のない軍事作戦を採用するハマスは、ガザに住む200万人の民衆に対して、どうやって責任を取るつもりなのかと、いつも訝しく思っていた。

 それらに比すれば、今回の軍事作戦ははるかに大規模であり、事前の計画性もあったように思える。イスラエルは常に、パレスチナに対する絶対的な軍事的優位性を誇りにしているだけに、その「神話」を少しなりとも揺るがせたには違いない。これはイスラエルにとっての「9・11」だとの解釈も散見される。2001年に「9・11」攻撃を受けた米国は「対テロ戦争」なる復讐戦を20年間にわたって繰り広げた。アラブ世界全域での直接的な戦闘による死者は93万人、経済破綻・医療インフラの崩壊・環境汚染・住民のトラウマと暴力などによる間接的な死者は360万〜370万人と推定されている(米国ブラウン大学ワトソン研究所の報告書による→ Costs of War brown.edu

 イスラエルは、それを支える大国=米国と同じく、傍迷惑な自己中心主義を軍事面での絶対的な優位性に依拠して実践する国家だから、この先どんな恐るべき未来がガザにもたらされるものか、と危惧する。

 だが、それ自体が不当なことであるとはいえ、イスラエルに完全に包囲・封印されている、したがって住民は逃げ出そうにも虐殺的空爆の場から逃れることができないガザ地区の特殊な状況を考えると、いったいどんな展望の下で今回の作戦に至ったのか、変わることなく訝しさは残る。イスラエルの占領政策に抵抗してパレスチ民衆が起こした1987年の大衆的な蜂起(第一次インティファーダ)を契機に、ハマスが創設されたことを思い起こせば、そこに見られた「大衆性」が保証されていない形での軍事行動が何をもたらすか。当然にも、ハマス指導部はそれを語らなければならないだろう。絶望的な状況の中で、武力闘争にかすかな希望を託しているのかもしれない民衆のこころを思えば、とりわけ。

 先に「9・11」に触れた。絶えることなく戦争を続けている米国だが、自国領土が攻撃されたり、そこが戦場になったりしたことは、旧日本軍による真珠湾攻撃を除けば、ない。すなわち、米国は常に、軍隊を他国に派遣し、侵略軍として振る舞ってきていることを意味する。そんな国が、2001年の「9・11」に際しては、世界史上例を見ないような「被害国」であるかのように振る舞い、「対テロ戦争」を20年間も繰り広げて、上に述べたような驚くべき犠牲者を生み出したのだ。

 イスラエルのネタニヤフ首相は、米国バイデン大統領との電話会談で、今回の事態を「ホロコースト以来の残忍な攻撃」と規定し、ハマスは「イスラーム国より悪魔」と呼んでいる。

 イスラエルは、22年前の米国に似せて、自らがパレスチナの地で展開している人種差別行為・ジェノサイドには素知らぬ顔をして、一方的な「被害国」だと偽装しようとしている。

 知る努力を怠らなければ、この偽装に反駁する資料・証言・映画は多々ある。以下に、ひとつだけ、国連のグラフを引用しよう。2008年から2020年までの、イスラエルとパレスチナ抗争での死者と負傷者数を示すものだ。

 一目瞭然である。
 こんな己の姿を思い起こさせてくれる出来事が本当はあったのに、それを敢えて無視したことが、現在のイスラエルの在り方に繋がっている。そのことを思い起こしておきたい。

 2001年8月末から9月にかけて、南アフリカ共和国の、インド洋に面する港町、ダーバンで、あらゆる人種差別に反対する国連主催の国際会議が開かれた。正確には「人種主義、人種差別、排外主義、および関連する不寛容に反対する世界会議」(通称「ダーバン会議」)という。つい10年足らず前までは、白人政権の下でアパルトヘイト(人種隔離)体制が堅固に形作られていた南アフリカ共和国で、こんな性格の国際会議が開かれたのだから、時代の変化をこころ深く実感させるものだった。奴隷制と奴隷貿易を「人道に対する罪」とする考え方が世界的に広がりを得たのは、2020年5月米国で起きた警察官による黒人の虐殺事件をきっかけに高揚したBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動によるものだと、一般的には考えられていよう。しかし、数世紀も過去に遡って、奴隷制、奴隷貿易、植民地主義に関わる歴史的評価を行なったダーバン会議は、それまでの国際社会では考えられない常識破りを実現したのだと言える。現代にあっては他国に対して「人権尊重」を旗印に外交政策を繰り広げる欧米諸国が、実はかつて奴隷貿易・奴隷制・植民地支配など「人道に対する罪」に他ならない制度に支えられて本源的な蓄積を成し遂げ、豊かな社会を実現したことを、この問題設定自体が明らかにしたのだ。被害国(地域)と加害国との間には埋めがたい対立と矛盾が残ったとはいえ、21世紀初頭のこの国際会議は、歴史解釈の新たな基準をつくったと言えよう。

 各国政府代表はもとより、個別の課題を担う非政府組織(NGO)メンバーも参加した。一万人以上の人びとが集まった。参加者の報告によると、最後の一大争点はパレスチナ問題でのイスラエル批判をめぐるものとなった。国際NGO のレベルでも、「シオニストは人種差別主義者だ」として、1948年のイスラル建国それ自体が人種差別だと主張する者がいた。他方「それは反ユダヤ主義を助長するものだ」と反対する者もいた。「パレスチナを支援するユダヤ人グループ」もいて、ユダヤ人といっても一枚岩ではないと強調したという。政府レベルでは、イスラエルと米国が、「現代の人種差別」としてイスラエルの対パレスチナ政策を批判する動きを不満として中途退席した。そして、会議終了から三日後の9月11日、米国においてハイジャック機を利用した同時多発攻撃が起こり、ニュース報道はこのこと一色に染め上げられた。そのため、ダーバン会議と宣言文書が世界中の人びとに深く印象づけられる機会は失われてしまった。

 つまり、この時、イスラエルは、人種差別を討議する世界規模の会議で、「現代」の際立った人種差別の実例として、自らがパレスチナの地で行なっている政策が論じられるという「幸運」に恵まれたのだ。世界中の視線がそこに集まったのだから、己の姿を凝視する絶好の機会で得たのだ。だが、イスラエルが選択したのは、強力な後ろ盾である米国政府と共に席を立つことだった。

 それから20数年、イスラエルが日々怠ることなく実践している人種差別の実態は、上のグラフに限らず、さまざまな形で明らかにされている。だが、無念にも、その批判が有効性を伴うことは、少ない。この既成事実の上に、ガザの地で、新たな「対テロ戦争」が始まっているのだ。

追記――同じ問題意識で、『サンデー毎日』10月11日号に、「もう一つの『9・11』 驚愕の全貌」と題した文章を寄稿しています。できれば併読されますように。


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