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〔週刊 本の発見〕ジョージ・オーウェル「ナショナリズムについて」 | ||||||
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思考の歪みはどこからくるのかジョージ・オーウェル「ナショナリズムについて」『オーウェル評論集』(岩波文庫) 評者:加藤直樹
こうした歪みの根底に動いている感情を「ナショナリズム」と呼んだのが、小説『1984』で知られるイギリスの作家ジョージ・オーウェルだ。普通、ナショナリズムという単語は愛国主義、民族主義、国家主義などの意味で使われるが、オーウェルはこれを、「党派感情」とか「陣営主義」といった全く別の意味で使っているので要注意だ。つまり、世界を敵と味方の二つに分けて、そこから物事の是非を評価する考え方を指しているのである。「ナショナリズムについて」は、政治や思想にとって避けられない党派感情や陣営主義による思考の歪みを批判する文章だ。 オーウェルによれば、「ナショナリズム」は、あらゆる思想的政治的立場に現れる。「ナショナリスト」は、物事を「威信競争という観点からしか考えない、少なくともまずそれを考える」「つねに勝利か敗北か、栄光か屈辱かといった思想を軸に回転する」「現代史を、大きな勢力の果てしない興亡としてとらえる」。さらには、「単に何かにたいする反感にすぎず、はっきりした忠誠の対象を必要としない消極的なものの場合もある」という。うちの父はアンチ巨人で、どこが相手でも巨人が勝つと不機嫌になったものだが、これなんかまさにそれだ。反米だからといってロシアを擁護するのも当てはまるだろう。*写真=ジョージ・オーウェル
こうした定義から、オーウェルは「ナショナリズム」思考に表れる特徴を挙げていく。たとえば「現実無視」。 「ナショナリストはすべて、そっくりの事実をいくつ見ても、それら相互の類似性を認めないという特技を持っている。英国の保守党員はヨーロッパでの民族自決主義なら擁護するくせに、インドのそれには反対して、矛盾とは思わない…拷問、人質、強制労働、強制的集団移住、裁判なしの投獄、文書偽造、非戦闘員に対する無差別爆撃――こうしたいかなる無法きわまる行為でも、それをやったのが『味方』だとなれば、まずたいていの場合は道徳的な意味が微妙に変わってしまうのだ」 他にも、今も思い当たる指摘がいくつもある。 「客観的真実の無視という行為を平気で行えるのは、世界の一部を遮断して、現実に起こっていることをますます見えなくしてしまうからである。時には非常な大事件についてさえ、本心から疑うことも珍しくない」 「この種の感情に支配されたらさいご、どんなに馬鹿げたことでもうのみにできるのだ。わたしは、アメリカ軍がヨーロッパへ来たのはドイツと戦うためではなく、英国の革命を弾圧するためだと、真顔で言う男に会ったことさえある。こんなことを信じられるのは知識人だけで、大衆はそれほど馬鹿ではない」 「正邪の感覚までが狂ってしまうのだ。『自分たち』の側がやった犯罪ならば、どんな犯罪でも許されないものはない。…たとえ、その犯罪が行われたことは否定しなくても、以前には当の自分が告発したのとそっくり同じ犯罪であることを承知していても…これは間違いだと感じることができないのだ。忠誠心がからんだらさいご、憐みの情は湧かなくなってしまうのである」 オーウェルは、「ナショナリズム」によって歪んだ思考を、当時の様々な政治的潮流のなかに見つけては具体的に指摘していく。ソ連派の共産主義者、反ソ連の「トロツキスト」、保守派、反ユダヤ主義者、カトリック信者、さらには平和主義者まで。 だがオーウェルは彼らを高見から嘲笑しているのではない。各人に、内なる「ナショナリズム」への抵抗を呼びかけているのだ。 「すくなくとも自分にそういう感情があることを認識し、それによって思考過程が歪むのを防止することはできるはずである。誰もが逃れられない、そしてあるいは政治行動に不可欠なのかもしれない感情的な衝動には、同時に現実認識が伴わなければならない。だが、くりかえして言えば、これには道徳的努力を必要とする」 党派感情、陣営感情があるのは仕方ない。しかし、それによって思考の道筋が歪むことに気を付けよう。不愉快な現実であっても、それをむやみに否認したり、陰謀論に逃げ込んだりしないよう、それぞれが努力しよう――。オーウェルはそう呼びかけているのだ。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2022-06-16 01:13:05 Copyright: Default |