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太田昌国のコラム : 茨木のり子長編詩「りゅうりぇんれんの物語」の朗読を聴いた | ||||||
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茨木のり子長編詩「りゅうりぇんれんの物語」の朗読を聴いた当日のプログラムは盛りだくさんだった。茨木のり子の詩に曲をつけて、ソプラノ独唱・ピアノソロ・合唱・ピアノ弾き語りなどの、音楽表現が多かった。私がとりわけ注目したのは、茨木のり子の詩の朗読だった。「りゅうりぇんれんの物語」と題する長編詩である。すべてを読み上げるのには、優に30分以上はかかり、ひとつの物語をなしている。 「りゅうりぇんれん」とは中国人の名前で、「劉連仁」と書く。山東省に住んでいた彼が、大日本帝国が立案した「華人労務者移入方針」に基づいて、結婚したばかりの妻と暮らす「日常の場」である生活圏から突如狩り出され、他の800人くらいの中国人とともに青島を経由して日本へ強制連行されたのは、1944年9月のことだった。日本の無条件降伏のわずか11ヵ月前のことである。2ヵ月後、劉連仁たちは、北海道は雨竜郡沼田町の明治鉱業昭和鉱業所の炭鉱労働者として強制労働に使役された。(雨竜郡沼田町といえば、山谷をはじめ各地の日雇い労働者の運動に力を尽くした故・山岡強一さんの故郷である。1980年代前半、山谷では、組織暴力団・ヤクザ・右翼が一体となった者たちが、日雇い労働者に敵対する行動を日々繰り返していたが、1986年1月13日、そのうちの一人が山岡さんを射殺した。)
劉連仁は帰国してすぐ『穴にかくれて14年――中国人俘虜流連仁の記録』を出版している(新読書社、1959年)。その後は、野添憲治や早乙女勝元が書いたノンフィクションもあるが、茨木のこの長編詩の初出は1961年1月号の詩誌『ユリイカ』だから、反応がきわめて早い。しかも、すぐれた作品だ。ところで、個人的なことだが、私には問題が残る。りゅうりぇんれんが西北海道の札幌近くで「発見」された時、私は、東北海道の釧路市で中学2年だった。後年、当人の手になる「記録」や茨木の詩、野添・早乙女らの作品を通して得ることになる知識と、当時の地元紙・北海道新聞で読んでいた記事との区別が判然としない。否、新聞記事の様子が、まったく思い出せない。一年後の59年1月、「カリブ海の島国、キューバで政変(革命?)」の記事は、見出しがどこまで正確かはともかく、ぼんやりとでも視覚の裡にあるのに。それだけに情けない。茨木のり子の、忘れ難い長編詩の朗読に初めて耳を傾けながら、私はしきりにそのことを思っていた。山岡さんと劉連仁の話をしたことはあったか? それもまた、薄明の彼方だ。 因みに、朗読したのは、元フジテレビ・アナウンサー、山川建夫氏だった。朗読活動をしているが、この長編詩の朗読を依頼されることはほぼなかったようだ。 Created by staff01. Last modified on 2021-08-10 19:16:16 Copyright: Default |