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路上に追いやられた難民申請者〜「コロナ被害相談村」には外国人も

レポート=松本浩美


*左から、Zさん、Pさん、指宿弁護士

 新年2日目の「コロナ被害相談村」では、生活困窮した外国人も訪れた。その一人がミャンマー人男性のZさんだ(48歳)。なんと、2年間、新宿区にある戸山公園で野宿生活を送っていたというのだ。所持金ゼロ。大きな荷物を抱えたZさんはふらついた足取りで、支援者のPさんとともに相談村にやってきた。

 彼はミャンマーの少数民族カチン族で、2006年に来日して難民申請。難民認定されなかったが、特定活動6か月というビザが与えられ、都内の焼き肉屋で働いていた。しかし、ビザの更新手続きでミスをしてしまい、いったんオーバーステイ(超過滞在)の状態に。非正規滞在者となった彼は、働くこともできず、社会保障制度も利用できなくなってしまい、路上で暮らすことを余儀なくされてしまった。

 それでも、コロナ禍前はミャンマー人の仲間の助けで、なんとか食いつなぐことができた。新宿区内の高田馬場にはミャンマー人のレストランが多い。駅近くに仲間が集まり、食べ物やお金をカンパしてくれた。しかし、コロナ禍により仲間も収入が減り、カンパもできなくなってしまった。

 ただでさえ過酷であった路上生活。それにコロナが追い打ちをかけた。仲間からの支援が得られなくなったZさんの生活はギリギリまで追い詰められた。満足に食事ができなくなった。たまにキリスト教会の人たちが路上で暮らす人向けに食べ物を持ってきてくれたが、そうでないときは、公園内にある植物で食べられそうなものがあれば口にするまでになった。

 幸い、Zさんの窮状を同じカチン族のPさんが知り、Zさんを「相談村」会場の大久保公園まで連れてきた。Pさんは指宿昭一弁護士のFB投稿で「相談村」が行われていることを知り、Zさんが暮らしている戸山公園まで出向いた。そして、広い園内を携帯電話を持っていないZさんを探し歩いたという。 「温かく迎えてもらえて本当にうれしい。心から感謝している」。記者から「今はどんな気持ちか?」との問いかけに、Zさんはこのように答えた。そして、日本語で「ありがとうございます」と言った。

 しかし、肝心の支援で問題が持ち上がった。取材後、Zさんは指宿弁護士とともに、宿泊場所を得るため「TOKYOチャレンジネット」を申請しようとしたが、担当者から断られたという。担当者は足元がおぼつかないZさんを見て就労に結びつかないと踏んだのか、「4日になったら宿泊先のビジネスホテルから出て行ってほしい」と言ったという。困っていったん「相談村会場」に戻ってきた指宿弁護士はスタッフに相談。「TOKYOチャレンジネット」に詳しいスタッフとともに再度申請を行い、2週間のビジネスホテルへの滞在を許可されたという。

 ホテルへ滞在することはできたが、外国人のZさんの場合、支援策が相当に限られていて難しい。例えば、彼はPさんの支援を得て、オーバーステイ状態から脱して、「特定活動3か月」というビザを得ることができた。とはいえ、このビザでは合法的に日本にいることはできるが、働くことはできないし、社会保障制度も利用できないのだ。

 市民として暮らすには、安定した在留資格が必要である。そのため、再び難民申請を行うつもりだという。なお、当日は、やはり難民認定されず、短期ビザで働くことも公的支援も得られないエチオピア人家族がやってきた。「日本にいさせてやるから、自力で生きていけ」とばかりに放り出す日本。難民認定率が0%台が意味するのは、市民とか人権とかという言葉からかけ離れた過酷なサバイバル生活だ。それが国策としてまかり通ってしまっている。

 路上で暮らさざるを得ない難民申請者がいることは情報としては知っていたが、実際に出会ったのは初めてであった。 この現実を知ってほしいと思う。


*Zさんが雨風をしのぐためにすごしていた場所。建物と花壇のわずかな隙間で寝ていたという。晴れてるときは、テントらしきものをつくってそこで寝る。


Created by staff01. Last modified on 2021-01-04 12:56:57 Copyright: Default

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