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毎木曜掲載・第180回(2020/11/19)

気候変動と資本主義をめぐる意欲的な問題提起

『人新世の「資本論」』(斎藤幸平、集英社新書、2020年9月刊、1020円)評者:志真秀弘

 ソ連崩壊後、資本主義の優位を語り、社会主義を貶める議論が横行し「大きな物語の崩壊」が当然視され、日本ではこの主張は依然として有力である。本書は、そんな状況下で気候変動をめぐる正面からの資本主義批判であり、若いマルクス主義者の意欲的な論考である。問題提起は大まかに三つある。

 気候変動の要因は、私たちの社会生活を成り立たせている資本主義自体にあると指摘したことが第一である。資本の動きそのものが、地球温暖化や異常気象、さらに新型コロナウィルスのような感染症まで引き起こす。化石燃料の約半分は、社会主義崩壊後の30年間に消費されたとのデータがあり、1945年以後をとると85%の化石燃料が消費されている。産業革命以来などという長い期間ではなく、驚くほど短い時間に事態は進んだ。その大半は先進国の生活を保持するためのものであり、グローバル資本主義は、途上国や先進国内部の貧困を梃子にすることで、「豊かな生活」を成りたたせていて南半球の貧困は極限状態にある。著者は、いま社会を変えなければ人類の生存条件が崩壊しかねないとの危機感に立って、ローザ・ルクセンブルクの「社会主義か、野蛮か」の言葉を紹介している。これに私は共感した。

 この言葉はローザの思想を考える大切な手がかりの一つであって「スパルタクスブントは何を望むか」(ローザの起草したドイツ共産党綱領で1918年12月の党大会で採択、1ヶ月後彼女は権力に虐殺される)の中に「社会主義か、それとも野蛮のなかでの滅亡か!」の言葉がある。その表現自体に危機意識と正確な資本主義観がある。ソ連崩壊後、数人で今こそローザを読もうと始めた「研究会」の記憶も、いまよみがえる。ローザの時代に想定された「野蛮」は戦争だったが、50年もたたずに核戦争の、そしてさらに地球の危機にまで「野蛮」は進んでしまった。資本主義に変わる社会こそ必要なのだ。

 二つ目はグリーン・ニューディールに代表される政策によって気候変動を食い止めることは可能かと問いかけている点にある。たとえばSDGs(持続可能な開発目標)による「緑の経済成長」も環境への負荷をゼロにはできないし、結局二酸化炭素の排出を増やしてしまう。では経済成長を前提にしない「脱成長」は可能なのか? 著者は資本主義のもとではそれは不可能だと結論づける。が、さらに困難なのは貧困国にとって経済成長は必要なことである。言わば成長を包む「脱成長」でなくてはならないし、しかも一国規模の「脱成長」はありえない。

 ではどうするか? 手がかりを、マルクスのそれも晩年の思想にみようというのが著者の主張であり、それが第三の問題提起になる。鍵になるのはマルクス晩年の「コモン」と「アソシエーション」の思想である。著者はそれに立って「脱成長コミュニズム」を提唱する。ただそれらを含め頻出するカタカナ語はどうか。先人の苦闘にならい、広く伝わりやすい言葉をいっそう工夫してほしい。

 「気候市民会議」、「労働者協同組合」、バルセロナが呼びかけた「フィアレスシティ」のネットワークなどの先進国内部のいくつもの具体例が最後に紹介される。メキシコのサパティスタの抵抗運動、中南米の運動体が多く参加する国際農民組織ヴィア・カンペシーナ(農民の道)運動など南半球の運動に学ぼうと著者は強調する。ワーカーズコープ、学校ストライキ、有機農業、労働組合など「やれること」はいくらでもあるとの呼びかけで本書は結ばれる。この社会運動を重視する考えには大いに賛成したい。

 本文の展開に荒削りな面があったとしても、開かれた討論が進むなら、それはむしろ長所であって、本書のように豊富な論点を備えた本はむしろ希少と言ってよい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。


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