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毎木曜掲載・第177回(2020/10/29)

リベラル・フェミニズムを超えて

『99%のためのフェミニズム宣言』(シンジア・アルッザ、ティティ・バタチャーリャ、ナンシー・フレイザー著/惠 愛由訳/菊地夏野 解説、人文書院、2020年10月、2400円)評者:菊池恵介

 2016年のアメリカ大統領選前夜、民主党陣営は祝賀ムードに包まれていた。人種差別やセクハラ発言を連発するドナルド・トランプに対し、国務長官や上院議員を歴任し、知性と品格を備えるヒラリー・クリントン。そのどちらが次期大統領にふさわしいかは、世論調査の結果からも一目瞭然だと思われた。開票時にはアメリカ史上初の女性大統領誕生を祝おうと、大勢の支持者がガラス張りのアリーナに詰めかけた。マイケル・ムーアの『華氏119』の冒頭シーンは、開票速報とともに、歓喜から緊張、そして驚愕へと暗転する会場の人々の表情を映し出している。民主党の伝統的支持者の票のほか、有権者の半分を占める女性票がなぜヒラリー・クリントンに集中しなかったのか。本書は、その大きな原因としてヒラリーが体現する「リベラル・フェミニズム」の限界を指摘する。

「資本主義の侍女」としてのリベラル・フェミニズム

 アメリカの主流メディアが持ち上げるリベラル・フェミニズムは、能力のある女性たちが競争に参入し、「ガラスの天井を打ち破る」ことを目標に据える。だが問題は、その可能性を与えられているのが、「すでに社会的、文化的、経済的に相当なアドバンテージを与えられている者たち」に限定されることだ。リベラル・フェミニズムは、新自由主義を肯定し、特権的な女性たちが同じ階級の男性たちと同等の地位に上り詰めることを目指す。「それがほんとうに求めているのは、平等ではなく、能力主義(メリトクラシー)なのだ。社会における序列をなくすために働きかけるのではなく、序列を《多様化》し、勇気を与えてくれるような《才能ある》女性たちがトップへと駆け上がることを目指すのである」。一方、非正規雇用者として働き、さらに育児や介護で身をすり減らす大半の女性たちは底辺に置き去りにされる。そんな「資本主義の侍女」としてのリベラル・フェミニズムに対して、本書が掲げる「99%のためのフェミニズム」は何を目指すのか。「飛び散った破片の片付けを圧倒的多数の人々に押し付けてまで、ガラスの天井を打ち破ろうとすることに興味はない。役員室を占拠する女性CEOたちを称賛することはおろか、私たちはCEOと役員室自体を撤廃したいのである」。

マルクス主義とフェミニズム

 本書は、アメリカで活躍する三人のフェミニストの共著であるが、その共通点はいずれもマルクス主義フェミニズムの系譜に属している点である。本書によれば、フェミニズムは資本主義との対決を避けられない。なぜなら、資本主義は階級対立の源泉であると同時に、性差別の源泉でもあるからだ。たしかに女性差別は、資本主義が誕生する以前から存在してきたが、近代資本主義はセクシズムの新たな形を編み出した。その特徴は、出産や育児、教育などの「人間の形成(the making of people)」に関わる労働と「利潤の形成」(the making of profit)に関わる労働を分離した上で、性別役割分業によって前者を女性に委ね、後者の踏み台としたことである。こうして、工場や炭鉱、オフィスにおける生産活動には対価が支払われる一方、育児や介護などの労働は「家庭」の領域に追いやられた。その「《家庭》において、再生産労働は《仕事》ではなく、《ケア》だとして規定され、金銭ではなく、《愛》のためになされる行為となった」。実際のところ、利潤を生む企業の生産活動は、出産や育児、教育などの「再生産労働」なしには成り立たない。だが、資本主義社会において、その価値は否認されている。「人間を育む仕事はそれ自体の価値を認められていないばかりか、利潤を形成するための手段に過ぎないとされているのだ。資本は、金銭がすべてを動かすと謳っていながら、社会的再生産には限界まで対価を支払おうとしない。そしてそれゆえに、社会的再生産労働をする人々を従属の地位に追いやっているのだ」。女性の役割とされた再生産労働を男性中心の賃労働に従属させ、ジェンダー差別を固定化する近代資本主義との対決がフェミニズムの課題となるのは、そのためである。

人種や階級の分断を超えて

 しかし、ここで注意しなければならないのは、「女性」という集団が一枚岩の存在ではなく、階級や人種、国籍やセクシュアリティにより、幾重にも分断されていることである。実際、資本主義社会は、常に再生産労働のなかに人種的、階級的分断を組み込んできた。たとえば、奴隷制や植民地支配を背景に、有色の女性たちは白人の「姉妹」のために子育てや家事などを無償、もしくは微々たる賃金と引き換えに行うことを強いられてきた。「彼女たちは自分の女主人や雇用者たちの子どもたちに、またその家庭に尽くすことを強いられていたので、自分自身の家や子供の世話をすることはいっそう困難な苦闘となった」。

 しかも、この構図は移民女性のケア労働の連鎖となって反復されているのである。「今日、何百万人もの黒人と移民の女性たちが介護職や家事労働者として雇用されている。しばしば非合法移民であり、自分の家族から遠く離れた場所で就労するので、彼女たちは搾取と収奪の被害に同時に遭うことになる。つまり、不安定かつ低い賃金で働き、権利を奪われた上で、あらゆる種類の暴力さえ受けてしまうのだ。彼女たちがグローバル・ケア・チェーンによる抑圧を受けるおかげで、より特権のある女性たちは、(いくらかは)家事をしないで過酷な専門職に従事することが可能となった」。このような人種、階級、性的指向などに基づく分断状況をどう乗り越えていくべきか。その筋道を11のテーゼによって描き出すことが本書のもう一つの課題である。それは同時に、すべての問題を階級に還元し、セクシズムやレイシズムを些末な問題として片付けるオールド左翼の階級一元論への異議申し立てともなっている。

 2016年3月のポーランドにおける大規模な女性ストライキを皮切りに、南北アメリカ大陸からトルコや西ヨーロッパまで、世界的にフェミニズム運動が高揚してきたが、社会運動の中心が社会的再生産の領域に移行しているのは偶然ではない。なぜなら、新自由主義の矛盾が集約的に現れているのが社会的再生産の領域だからである。戦後の福祉国家体制のもとでは、性別役割分業などの限界を伴いながらも、公共サービスの拡充により、保育や介護などの負担軽減が図られた。ところが、新自由主義のもとでは、労働市場の規制緩和によって非正規雇用が拡大すると同時に、民営化や財政削減により、公共サービスの縮小が進んできた。その結果、圧倒的多数の女性たちが低賃金労働とケア労働の二重の負担に喘いでいるのである。利潤の最大化を追求する金融資本主義は、階層格差の拡大とバブル経済、排外主義の台頭、地球温暖化など、複合的な危機に直面している。その矛盾を社会的再生産の観点から分析する本書は、マルクス主義フェミニズムのアクテュアリティを再発見させてくれる。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。


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