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「新元号で新時代」という”元号史観“の危険

2019年04月02日 | 天皇・天皇制

     

 新元号の決定に際し、NHKはじめメディアは「平成はこんな時代だった。令和はどんな時代に?」などと意図的に改元によって時代を区分しようとしています。”一般市民”も街頭インタビューで、「新元号で新しい時代に」などと言っています。

 元号と時代を結び付け、改元によって時代を区分しようとするこうした”元号史観“は、重大な結果をもたらす極めて危険なものであることに目を向ける必要があります。

 元号はたんなる「紀年法」ではありません。まして庶民の目標や願いを表す標語ではありません。

 「年号(元号)制の本質は、紀年法の一種であることにあるのではなく、君主の威徳あるいは理想を実現する号を年につけ、全社会と各人を、その号による年の表記を通じて君主にしばりつけ依存させる、君主の臣民統合・支配を強化する政治的制度であることにある」(井上清著『元号制批判』明石書店)

 元号は、「皇帝は時間を支配する」という王権思想に起源をもつ、天皇の「臣民支配」の手段です。とりわけ「富国強兵」を図る明治藩閥政府によって「一世一元」が制度化されたことで、その本質は一層顕著になりました。今回の改元も、「元号法」(1979年)によってその「一世一元制」を引き継いでいることに留意する必要があります。

 庶民が元号で時間(月日)を認知し、それによって時代(歴史)を区分しようとすることは、天皇(制)の「臣民統合・支配」に自ら取り込まれることに他なりません。これが第1の問題です。

 第2に、元号による時代区分は、本来目を向けなければならない歴史の教訓・責任をあいまいにしてしまいます。
 それ典型的に表れるのが、「敗戦」と「戦後改革」の認識です。

 「1975年は『昭和50年』であり、『戦後30年』であった。年号(元号)、すなわち天皇の在位期間をもって歴史を区分する『昭和50年』観が、終戦と戦後の民主的価値転換に立脚する『戦後30年』観の否定であることはいうまでもない。明治、大正、昭和が『歴史の刻み目』をあらわしているなどと言っていたのでは、近代日本にしめる戦後変革の歴史的意義など後景に退けられるか、あるいは否定されるしかない。

…それらは、国民の民族的共通体験、国民的変革を基礎に歴史を区切る、そのような時代感覚、歴史意識・民主主義的歴史意識の否定でもある。そして年号制は、まさに『昭和50年』・『明治100年』観の立場にたつ勢力によって存続せしめられ、また制度化されようとしている(元号法によって制度化された―引用者)のである」(峯岸賢太郎都立大助教授「元号問題と国民の歴史認識」、永原慶二・松島栄一編『元号問題の本質』白石書店1979年所収)

 「戦後改革」だけではありません。敗戦とともに日本は侵略戦争・植民地支配の歴史を深刻に反省し、償わねばなりませんでした。しかし日本(日本国民)はそれをせず、今日に至っています。
 その大きな理由は、敗戦後も裕仁が天皇の座に居座り「昭和」が継続したことにあります。元号で時代を区分することによって、侵略戦争・植民地支配の責任がうやむやになった(うやむやにされた)のです。

 そして明仁天皇が即位し「平成」になったことで、侵略・植民地支配の歴史的責任を消し去ろうとする日本国家の力はいっそう強くなりました。「令和」になってその力がさらに増幅することは目に見えています。

 「新元号で新時代」という元号史観は、歴史の重要な節目と教訓、歴史に対する「日本国民」の責任を忘却させ、消し去るものであることを銘記する必要があります。


Created by sasaki. Last modified on 2019-04-02 11:42:32 Copyright: Default

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